2014.10.29 小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅㉘「国際精神薄弱研究会議参加旅行のこと」

一期一会 地球旅  28 国際精神薄弱研究会議参加旅行のこと (その1)

1976年の夏、アメリカ合衆国の首都ワシントンDCで開催された国際精神薄弱研究協会(IASSMD = International Association for the Scientific Study on Mental Retardation)の第4回国際会議ご参加各位の旅行のお世話をさせていただいた。この旅行業務受注の経緯は地球旅24に書いたが、東京都の社会福祉施設職員海外研修事業に参加された東村山市のMさんから日本精神薄弱研究協会(JASSMD)の事務局長 高橋彰彦氏をご紹介いただき、ご下命いただいたものであった。8月14日から31日までの18日間、今で言えばピークシーズンであり、しかもこの年は、米国の建国200周年にあたっており、全米どこへ行っても星条旗がひときわ高く翻っていたのが印象的であった。旅行手配も航空便始めホテル等どこも例年以上に混み合っており、苦労したことを思い出す。 旅行先は、発達障害関係の研究施設や大学など通常ではなかなか行くことも少ない都市が多かった。カンサス州パーソンズ、ローレンス、テネシー州のナッシュヴィル、そしてワシントンDCに至った。参加者は、高橋先生はもとより、JASSMDの菅修会長はじめ、旭出養護学校の三木安正先生、東京学芸大学の山口薫教授ほか大学の医学部や教育学部、工学部の教授など研究者、精神科医、発達障害関係施設の療育関係者など錚々たるメンバーであった。当時、まだ発達障害分野にはあまり関わっていなかったのでこの顔ぶれがそれほどすごいということは知らなかった。しかしその後、この分野の団体の仕事をたくさんいただくようになってこの時のメンバー各位が我が国の発達障害関係の施設、教育、研究など各分野ではいずれも大変な権威であることを知った。 改めてこの仕事を頂戴できたことのありがたさをしみじみ思い、まさに宝の山に入り込んだような思いであった。
カンサスでは、パーソンズにあるParsons State Hospital and Training Center, そしてローレンスではKansas Center for Mental Retardation and Human Developmentを訪れた。これらはカンサス州立大学を基礎とするUAF(University Affiliated Facility)であり、ケネディ政権下で開始された発達障害等の研究や処遇方法、教育などを改善するための特別法によって全米に造られた20数か所の専門機関と施設の内の一つであった。 パーソンズでは、オペラント(発達障害児などのトレーニングのための手法)や行動療法(Behavior Modification)などについて専門家からの説明があったと記憶しているが最初はなんのことかさっぱりわからなかった。ひたすら通訳するように努めたが8月のさなか猛暑の時期であり、文字通り汗だくだくで付いていくのがやっとだった。幸い先生方は英会話の得意な方や勿論発達障害に関する専門家が殆どであり、わからなかったのは筆者一人であったのだろう。少しずつ理解できるようになっていったことを思い出す。この町はいわばアメリカ大陸のど真ん中にあり、州都のカンサスシティから南へ約240㎞の地にあり、貸切バスで往復したが途中の風景はどこまでも続く畑作地帯、トウモロコシや麦であっただろうかとにかく広かった。 ローレンスはカンサスシティの西30㎞位に位置した学術都市でKU(カンサス州立大学)の メイン・キャンパスもこの町にあった。 ここでも精神遅滞人間発達センターを訪れたが、夕方、大学側の主催でレセプションが行われ、学部長(?)が歓迎の挨拶をされた。筆者はここでも通訳を仰せつかり、少しびくびくしながらお歴々の前で夢中で付いていった。あまりむつかしいことは言われなかったような気がするが、続いて、日本側からJASSMDを代表して菅修会長があいさつされた。菅先生は、最初に小さな声で、「小野君、Mental Retardationは精神遅滞であって、精神障害ではないよ。」とたしなめられた。
どうやら、学部長の挨拶の中でこの言葉が幾度か出てきたが、慌てて精神障害と訳していたらしい。 全くの誤訳であり、意味がすっかり違ってくる。先生方はどなたも小野の誤訳を承知しておられ、間違った解釈はしておられなかったが穴があったら入りたい気分であった。その時の写真はその後、会社の机の上のガラスの下に置き毎日眺めていた。勿論写真では冷や汗の様子は見えないが今も懐かしい思い出である。 その後、テネシー州のナッシュヴィルに行った。ここでは、George Peabody College for Teachers(John F. Kennedy Center)を訪れた。今では、特別支援教育といわれているが当時の言葉で言う特殊教育では米国でも有数の研究機関であり、特殊教育の専門家や教員養成ではもっともすぐれた大学の一つであったらしい。今回の団員として、全日本特殊教育研究連盟の理事長となられた山口先生やその後、日本精神薄弱者福祉連盟の会長になられた三木安正先生などの権威もおられたので一層興味深く訪問されたのではないだろうか。ナッシュヴィルは、カントリーウエスタンの本場として知られている。連日の視察で疲れもあり、カントリー音楽はちょっとだけ頭を休めてくれたような気がする。 そして、いよいよワシントンDCに入った。前述したように、建国200周年の慶事が続き、米国各地、首都ワシントンDCは特に賑わい、ホテル事情はとても厳しかった。幸い、学会の指定でShoreham Americanaという大型ホテルが確保されており、7泊して毎日会議の会場である大学(大学名は忘れた)に通った。構内には大きなチャペルもある緑濃く美しいキャンパスの一角にある建物の一つに会議事務局が置かれていた。それまで日本からの参加申込書を送るとかいろいろなことを航空便でやり取りしていたので、事務局では筆者の名前はわりに通っていたらしい。こちらも数名の方の名前は心当たりがあり、実際に顔を合わせて挨拶をすると一気に親しくなっていった。大学の講堂で開会式があり、その後はいくつかの教室で分科会へと続いていった。胸に名札をつけて会議のプログラムや案内が入ったバッグを提げた各国からの参加者が様々な服装で会場内を行ったり来たりしていると名札を見てはお互いに挨拶したり、ちょっとした言葉を掛け合うようになり親密感が増していく。もとより、筆者はその分野の専門家ではないが、様々なプログラムにも興味が持てるようになっていった。
この学会では、会議の実行委員会では有力メンバーであるカンサス州立大学の言語学の権威シーフェルブッシュ博士(Dr.Schievelbusch)を通じて特別にInformal Meetingとして特別分科会を設定してくださっており、毎回一時間くらいの特別講座が開かれた。講師は、学会で発表される米国はじめいくつかの国の専門家であったと記憶しているが、これは逐語訳であるので筆者も必死で付いていった。その中の一つに、Dr. Marc Goldのプログラムがあった。発達障害児に対するより効果的で新しい手法を取り入れた訓練方法とそのための特殊教育教員に求められるものなどに関する高話をいただけることになっていた。10数名の聴講希望者が指定された教室に集まり、氏の登壇を待っていた。教室の隅に、スニーカーを履き、ジーンズとシャツ一枚のひげ面の学生か研究者らしき青年の姿があり、なにか書き物をしていた。もしかすると教室を間違えたのか、それとも何かで時間待ちしているのか?
 時間になっても、氏が見えなかったので気になっていたところ、ひげ面の青年が、「Are you ready ?」と立ち上がり我々に声をかけられた。それが、イリノイ州立大学の教授 マーク・ゴールド博士であった。彼は、ニヤッと笑って自己紹介され、一気に会場は和やかになり、1時間のセッションはあっという間に終わってしまった。彼の話は、一方的にまくし立てるのではなく、参加者がどのくらい英語を使えるのか、通訳者の英語力も判断しながら、むつかしい言葉を使わず、できるだけ理解しやすい内容であったと思う。 今回、この稿を書くにあたり、彼のことをホームページで調べてみたところ、MG & A(Marc Gold & Associates)という組織が作られており、障害児・者の雇用や地域参加のための専門家の養成に関するコンサルタントのネットワークを主催しているとある。残念ながらマーク・ゴールド博士自身は1982年に早逝されたそうであるが、彼の弟子やその研究業績に共鳴する人たちが今も活躍しているらしい。彼の名前を見るにつけ思い出されるのがあの教室のひげ面の青年、「Are you ready?」の一声から始まった高話を思い出す。服装にこだわらず、ざっくばらんな典型的アメリカの研究者のスタイルはそのころから現れていたような気がする。 1週間の会議はあっという間に終わったが、興味深い経験であった。会議終了の前夜、日本側の主催で特別プログラム設定のお礼を兼ねて講師各位や関係者をお招きして、ホテルの一室でお礼のパーティーが行われた。シーフェルブッシュ博士なども参加されていたと思う。筆者は裏方として忙しかったが、それぞれの講師や事務局関係者とも接触があったので、声をかけられることも多く皆さんのお仲間の一人として遇されたことがうれしかった。ビールやワインも相当出ていたので、会場は一層にぎやかになっていったが、そのうち、日本側では歌が始まり、「黒田節」まで出てきた。筆者は黒田節の歌詞の説明をするように言われ、ワイワイガヤガヤの中で即興の通訳らしきものは冗談交じりで言わざるを得ず、遂にはジェスチャーで示すことになり、半分踊りながら、♪Drink Sake,drink Sake,even this Japan’s strongest sword ・・・♪とやり、会場では大笑いとなった。槍(Spear)という単語がわからなかったのでSword(剣)とせざるを得ず、噴飯ものであるが仕方が無かった。 こうして、IASSMD会議参加旅行団はその後ラスベガスからグランドキャニオンの日帰り旅行を経て、ロサンジェルスに至り、8月31日に帰国した。お陰様で、この時ご参加の先生方がそれぞれ属される組織や日本精神薄弱者福祉連盟で派遣されるアジア精神薄弱会議(いずれも当時の表現)の旅行業務などをいただける足がかりができていった。 それぞれに様々な思い出やつながりがあり、今も大変懐かしく、今日まで得るところがとりわけ多い分野である。 IASSMD会議参加旅行はその後も、数回担当させていただいた。それらのことについても次回もう一度書かせていただこうと思っている。

* おことわり : 団体名等は当時のものであることをおことわりします。 (資料 上から順に) Parsons State Hospital and Training Center (広大な敷地に点在する建物群) カンサス大州立学にて (学部長、シーフェルブッシュ博士の後ろ姿、菅修、三木安正氏、山口薫各先生方の顔も見える) シーフェルブッシュ博士(Dr. Schievelbush) Informal Meeting  Dr. Marc Gold のセッション

                          (2014/10/24) 小野 鎭