2014.12.09 小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅㉞「侑愛会と大場茂俊氏のこと」

一期一会 地球旅 34

お世話になった方  侑愛会と大場茂俊氏のこと

76年のIASSMD世界会議ご出席のお客様のお世話をさせていただいてから毎年1~2回、全体では20数回の国際会議関係の旅行業務をお取り扱いしてきたがその半数近くがアジア精神薄弱会議、そして国際精神薄弱研究会議(のちに知的障害と改称)、ILSMH(国際精神薄弱者育成会)などであった。お客様は、会議主催の立場でお出かけの方、国際会議関係団体としての日本の組織の事務局、そして多くはその組織の会員などであって会議に出席して多くを学ばれ、国際交流を大切にされる方などであった。 個々に見ると研究者、医療関係、行政、福祉施設の職員や様々な専門職、当事者やご家族など様々であった。回を重ねるごとにお馴染みの方が増え、リピーターのお客様が多くなっていった。そして、会議出席だけでなく、専門分野の視察や研修、あるいはスタッフ有志の方々のグループ旅行などもお世話させていただくことが多くなり、とてもありがたいことであった。   そのようなお客様の中から、大場茂俊氏のことを書かせていただきたい。氏は社会福祉法人侑愛会の創設者であり、理事長であった。今では、北斗市となっているが、北海道の函館の西部一帯の広大な地域で知的障害者へ様々な地域サービスを展開しておられ、当時は、おしまコロニーと称しておられた。勿論、昔、アメリカで言われていた巨大施設という意味ではなく、居住施設や通所施設が地域に密着して知的障害あるいは発達障害のある児童から高齢者まで多くの利用者がおられ、必要とされる求め(ニーズ)により的確に応えるために様々なサービスを展開してこられて現在に至っている。   大場茂俊氏に初めてお会い
したのは、77年のアジア会議、インドのバンガロールであった。この時は、3つのコースがあり、氏はネパールコースに参加されたので筆者は直接にお世話する機会はなかったが、以前に社会福祉調査会の研修事業で存じ上げていた同じ法人のおしま学園の近藤弘子さんから、大場理事長をご紹介いただいた。おしまコロニーでは、スタッフを海外研修などに派遣されて海外の先駆的なプログラムなども学ばせるだけでなく、米国などの専門家を招聘して研修会を開催されることも多かった。一方では発展途上国からの研修生を受け入れるなど国際協力にも努めておられ進取の精神に富んでおられたと思う。氏ご自身は、国際会議だけでなく、海外視察などでも旅行業務をご下命くださった。悲しいことに、1998年(平成10年)に亡くなられたが約20年にわたって親しく接してくださり、おしまコロニーの皆様にも長年ごひいきいただいたので、今も感謝の念にたえない。 そこで、いくつかの思い出などを書いてみたい。  
  1. エンコール・プログラム視察(ENCOR = Eastern Nebraska Community Office of Retardation) 1982年5~6月
60年代から米国では、ノーマライゼーション理念が広まってくるにつれて大型施設での収容形態から地域主体の居住重視へという動き(De-institutionalization)が強まり、それにつれて地域に根差した様々な訓練プログラムや居住形態、地域サービスが開発されていった。とりわけ、優れたプログラムとして「東部ネブラスカ知的障害者サービス」がわが国でも紹介され、この内容をもっと詳しく見たい、とのことで出かけられたのでお伴した。ネブラスカ州のオマハで集中的に視察され、その後、ミズーリ州セントルイスでも大型施設と地域サービスをご案内した。ここは、その数年前に別の研修団で訪問していたので、個人的にも興味深いものであった。今回は、現地の協力もあって、何とBush Memorial Stadium で大リーグの一つであるセントルイス・カージナルスのゲームをボックス席で観戦というラッキーサプライズもあり、一行は大喜びの一夕であった。それまでは、グループと言えば多くは15人であるとかそれ以上であることも多かった。それに比べると、この時は数名の専門家であり、それだけに個別対応あるいは視察内容もより深く幅が広かった。
           
  1. TEACCH特別講演会 (Treatment and Education of Autistic and Communication Handicapped Children ) 1997年6月
TEACCHは、「自閉症等コミュニケーションに障害のある子どもたちやその家族への包括的対策プログラム」の略称で米国の北カロライナ州立大学で開発された訓練プログラムであると承知している。日本からこれを学びに行く専門家グループが多かったと思う。おしまコロニーでは現地へ研修に行かれるだけでなく、このプログラムを開発してこられたエリック・ショプラー博士を招いてより多くを学んでおられた。さらに97年にはジョン・M・ドハティ博士を招聘されて特別講演会を開催された。この時は、筆者が通訳としてご下命いただいた。正直なところ躊躇する気持ちもあったが、事前に講演原稿も頂戴できるとのことで何とか頑張ってみようとお受けした。頂戴した原稿には難解な学術用語や技術的な専門語が溢れていて苦労したが、準備して当日に備えた。実際には、話がさらに広まり、加えて質問も多かった。当初通りには付いていけないこともあり、幾度も聞きなおしたり、目を白黒させることも多かった。幸い、この道の専門家でもある佐々木正美先生が最前列におられて助け舟を出してくださったので、何とか取り繕うことができた。終わって、ぐったりしたことを思い出す。  
  1. IASSID(国際知的障害研究協会)世界会議 フィンランド 1996年7月
以前はIASSMD(国際精神薄弱研究協会)と呼ばれていたが、このころにはMental DeficiencyはIntellectual Disabilityと改称されており、その世界会議がフィンランドのヘルシンキで開催された。この時の旅行には、34名もの多くの方々が参加された。以前にも述べてきたJASSIDの山口先生や高橋先生ほかたくさんの会員がおられたし、これに大場氏ご夫妻他、北海道別海町の村上徹氏や中標津の小笠原淳氏といった教員もおられて多彩な顔ぶれであり、幾度もお供していた方が多かった。会議終了後、オプショナルコースとして北極圏に近いラップランド地方まで足を伸ばされる方が10名ほどおられた。大場理事長は、スウェーデンやデンマークの様子はこれまでも見聞しているが、フィンランドはご覧になったことが無かったらしい。せっかくの機会なので知的障害者福祉において、児童や成人だけでなくさらに高齢者についても様子を見たいとのご希望が寄せられていた。幸い、これまでの会議で南西フィンランド自治体連合知的障害者福祉サービスの代表であるセッポ・オイノネン氏に幾度もお会いしていたので、彼の協力を得てロヴァニエミ郊外の施設やヘルシンキ近郊でもいくつかのプログラムを見学していただくことができた。広大で冬の寒気も厳しく人口密度の低いラップランドなどで展開される地域サービスを見ることは、同様に広い地域を対象とする北海道でのサービス展開にあたって参考にされることもあると考えられたのかもしれない。  
  1. よせる想い
「人間は常に未完成である。だから、絶えず教育されなければならない。幼い子はもちろん、知恵のおくれた子等も恵まれた環境と指導のもとで、より多く成長し、又、社会復帰も可能となる・・・」ということばを残しておられる。これは、昭和28年(1953年)に社会福祉法人侑愛会の母体ともいうべき七重浜保育園が開設された際の、大場氏のことばの一部である・・・(社会福祉法人侑愛会創立三十五周年、総合施設おしまコロニー開設二十周年記念として発行された「軌跡」より)。このことばに筆者は深い感銘を受けていたので、1994年に「大場茂俊より、甲戌首春」として試筆させていただいたことが懐かしい。
多くのことを教えられ、いつもご愛顧くださっていた大場茂俊氏は、しかしながら、98年4月25日に75歳で帰天された。侑愛会とゆうあい学園では、「この人達こそ、わが師」 大場茂俊追悼集を発行されたが、筆者も、「よせる想い」の中に一文を書かせていただけたことは光栄であった。        
  1. 英国自閉症関係事業視察旅行のこと
大場茂俊氏の後、ご子息の大場公孝博士が理事長として後を継がれて、現在に至っておられる。医師でもある現理事長には、92年に豪州のゴールドコーストで開催されたIASSMD会議への旅行でお伴しているが、2000年には英国の自閉症関係のプログラムをご覧になりたいといということで専門家チームが編成されて出かけられた。この時は、侑愛会の成人自閉症者の施設である「星ヶ丘寮」の施設長であった寺尾孝士氏が事務局を務められ、筆者がお伴させていただいた。折しも、イングランド各地は数日来の大雨のあと、あちこちで道路が冠水したりしていたが、ノッティンガム、バーミンガムそしてロンドンで、英国自閉症協会関係のプログラム等へご案内した。  
  1. そして今、
侑愛会では今も会報「ゆうあい」をお送りくださっている。当時とはスタッフの顔ぶれもすっかり変わっているが様々なサービスと活動は今に焦点を当て、これからを見据えながら幅広く展開されていることを毎号のニュースなどから感じている。 また、ゆうあい養護学校高等部で作っておられた牛乳パックの再生によるハガキを長いこと愛用している。和紙の風合いが感じられてわたしはとても好きである。先日、追加注文をしたところ今はワークセンターがこれを受け継いでおられるとのこと。新たに送っていただけることを楽しみにしている。   この稿を書くにあたり、大場茂俊追悼集や軌跡、軌跡Ⅱ(同上四十五周年&三十周年記念)を読み返し、侑愛会の皆様から賜った長い間のご愛顧に対して改めて感謝を申し上げます。   余談 さる12月2日の新聞に「北の大地を新幹線走る 試験スタート」として、「2016年3月に新青森~新函館北斗間(北海道北斗市)で開業予定の北海道新幹線の試験走行が1日スタートし、新幹線の車両が初めて北の大地の営業用レールを走った。以下略」と報じられていた。おしまコロニー ゆうあいの郷のふもとを新幹線が走る様子が目に浮かぶ。北斗市一帯は、さらに活気づいていることであろう。   (資料 上から順に) 大場茂俊様 (追悼集より借用) エンコール・プログラム視察(1982年6月) 甲戌首春 試筆(1994年=平成6年 書初め) ゆうあい製 郵便はがき   (2014/12/5) 小野 鎭