2014.12.17 小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅㉟「北の大地の熱い人々」

一期一会 地球旅 35

北の大地の熱い人々

  北海道を訪れる度にその懐の大きさと人々の心の熱さを感じてきた。 前回書いた侑愛会・おしまコロニーのある北斗市(当時は上磯町)や函館は幾度も訪れたが他にも札幌、富良野、北見、中標津などそれぞれに忘れえぬ思い出がある。ほとんどが福祉や医療、看護関係団体の旅行に関することであったが講演させていただいたこともあった。そこで、いくつかのことを書いてみたい。   富良野での講演  1984年(昭和59年)1月   北海道精神薄弱者愛護協会、通称 道愛(今は、北海道知的障がい福祉協会)の知的障害児・者関係施設職員研修会が富良野で開催された。84年の1月末であった。その数年前に社会福祉調査会の海外研修に参加されていた北の峯学園の荒川広秋氏ほか数名の方が実行委員であり、道愛の会長が大場茂俊氏であったことなどから海外の障害者福祉の様子について話をして欲しい、とのお申し出を頂戴したのであった。   50年代末から60年代にかけて北欧で始まったノーマライゼーションの考え方は次第に大きなうねりとなり、欧州各国からカナダやアメリカに広まっていた。特に、巨大施設(Institution)での処遇の在り方が問われて各地で訴訟が起きるとかマスコミでもたびたび報じられていたそうである。脱施設化(De-institutionalization)が叫ばれ、地域での処遇(Community Care)などが促進され、訓練や療育の方法等についても大学や様々な研究機関で研究されて様々なプログラムが実践されていた。欧米での新しい考え方や手法などが様々な形で我が国にも紹介されていた。福祉や社会保険関係の会報などに時々そのようなことを書いたりしていたので関係各位の耳にも入っていたのかもしれない。とは言え、旅行の説明会などではたくさんの場数を踏んでいたが、専門家の前で専門外のことについて長時間話すことは、はなはだ心もとなく、不安で自信も無かったがあれこれ準備して1時間余り夢中でしゃべった。 当時は、パワーポイントもなく、何枚かの写真を拡大して提示したり、模造紙に資料らしきものを描いたり、北海道の白地図に各施設の所在地を書き込んだりして説明した。   千歳空港から石勝線で占冠(しむかっぷ)まで行き、そこからタクシーで金山峠を越えて富良野へ向かった。大地はどこまでも白く、日が暮れると気温はさらに下がり、明け方には-20℃を下回っていた。雪道を歩くとキュッキュッと靴が鳴った。かつて経験したことのない寒さであったが会場はいっぱいの人で埋まっており、熱気にあふれていた。要領を得ない話であったとは思うが、皆さんが熱心に耳を傾けてくださったことが嬉しかった。   道愛海外研修団 1989年(平成元年)1月   北海道各地の施設職員の方が全国レベルの海外研修旅行や国際会議に参加されることで次
第に多くの方々にご贔屓をいただけるようになった。そして、道愛独自での海外研修を計画したいとのお話しがあった。数年前に富良野でお話しさせていただいたことも関わりがあったのかもしれない。海外研修担当は佐々木明員氏であり、欧州の大型施設の動きや地域居住型サービス、職業訓練や就労などの様子についても見たい、とのことで具体的な計画を提案させていただいた。たくさんの研修希望事項を織り込むことは容易ではなかったが、ドイツ、オランダ、フランスでの視察を主とした計画がまとまり、21名の方々をご案内して13日間の研修旅行が実施された。出発したのは1989年1月16日、昭和天皇が崩御されて日本中が悲しみに暮れ、平成元年になって一週間ほど過ぎた頃であった。   大型施設は南ドイツにあるアンシュタルトシュテッテンを訪問した。シュツットガルト周辺の7町村に様々な施設が点在し、当時は1100人の利用者への支援をしていたと聞いている。中心となる施設は、敷地内にグループホーム型の居住棟が点在し、学校、作業所、乗馬場などがあり、郊外の住宅団地といった感じであった。これに生活、職業指導、医療、心理、宗教関係などの専門家約900人余りが従事しているとのことであった。   このほかにも、シュタイナーの教育論に拠って立つ施設なども訪れたがが、印象深かったことは、ドイツ精神薄弱者育成会(Lebenshilfe fuer Geistig Behinderte : 当時の邦訳)の本部を訪れたことである。フランクフルトから60㎞ほどのところにある大学都市マールブルクにあり、会長のトム・
ムッター博士ほか幹部に歓迎され、当時の西ドイツで行われていた知的障害者福祉の様子について説明を受けた。実は、ムッター博士とは、アジア会議で幾度かお会いしており、ドイツに来るときは協力するよ、と約束してくださっていたのでそれを頼りにお邪魔したのであった。4泊5日滞在したドイツが主要訪問国であったが視察はほとんど氏の紹介によって実現したといっても良いであろう。人とのつながりの大切さとありがたさをしみじみ思ったものである。     北海道各地で活動している団員各氏にとってこの研修旅行では日頃自分たちが直面している課題に類似したものを見聞し、それをいかにして克服したのかについて学ばれたことが多かったようである。1月下旬の欧州各国は底冷えのする日々であったが北国の彼らにとってはまるで気にならない寒さであり、移動するバスの中はいつも若さと笑いと熱気があふれていた。当時、社での役割と添乗業務との兼ね合いで苦しんでいたが、今とこれからを見据えようとしている団員各位の情熱に素晴らしい感動を覚えたのであった。
        旅行の中間にスイス中央部にあるティトリスへの周遊を楽しんだ。展望台(3020m)から見たアルプスの雄大な風景に一行はしばし旅の疲れを癒すことができたと喜ばれた。筆者は、ロープウェイの駅に併設されているレストランのトイレに車いすマークがあることに以前から気づいていた。当時、重度障がい者の旅行に力を入れ始めていたのでいつの日かこの万年雪の上からの絶景をぜひ眺めていただけるようにしたいと話したような気がする。この時のメンバーからはその後、施設の利用者のハワイ旅行をお世話させていただいたこともあるし、数人とは今もご交誼いただいている。すでにOBあるいはOGとなっている方もあるが、今も地域福祉の担い手として活躍しておられる方が多い。   別海町で話したこと。 1997年(平成9年)10月  
アジア会議や国際知的障害研究会議出席旅行で幾度もご一緒させていただいた方の中に道東の村上徹氏とお仲間の小笠原潤氏がおられる。共に教員であり、障害児教育(現在は、特別支援教育というべきか)がご専門であったと承知しているが会議に参加するだけでなく開催地各国の歴史や文化、人々の生活や習慣などにも強く興味を示されて精力的に見聞を広めておられた。96年にはフィンランドへお供したが帰国後しばらくして、来年地元で開催される障害児教育研究会で話して欲しい、とのお申し出をいただいた。10数年前に富良野で講演させていただいたことを思い出しながら、今度はもう少し幅を広げて海外の障害者福祉の様子であるとか、添乗業務などで出会った方々、優しいまちづくり、そして当時一番力を入れていた重度障害のある方々を核とした合唱団の活動などについて話をさせていただくことにした。
平成9年度 第31回根室管内障害児教育研究会 別海大会では、『私が出会った素晴らしい人々』~すべての人々が旅行に出られるように、もっと優しい町造りや、社会基盤の整備を訴えたい~ として講演させていただいた。改めて、研究集録を読み返してみると当時は夢中で歩んでいたことが懐かしく思い出される。実は、その数年後、自社を閉鎖せざるを得ない事態に陥り、大きな試練を味わった。しかしながら別海町の講演で訴えた優しい町づくりは2006年のバリアフリー新法が施行されたこともあってバリアフリー化や「ユニバーサルデザインの町づくり」などが多くの地域で推進されていることがうれしい。   中標津や別海町などの一帯は広大な原野と牧場が広がっている。村上氏は、その広い大地を走り抜けて、その先の丘陵地のふもとにある養老牛温泉へ案内してくださった。氏は、「養老牛温泉の
露天風呂に浸って聞くせせらぎの音に癒されることの素晴らしさをきっと喜んでいただけると思います。」といって一夕を準備してくださったのであった。10月上旬であったが、この地はすでに紅葉の季節、澄んだ青空のもと、白樺や楡(にれ)の葉が黄や茶色に色づいていた。そして、枯葉が散るごとにその音が聞こえるほどで、その森閑とした佇まいと静寂さに心洗われる思いであった。     あれから17年が過ぎるが、村上氏とは今もご交誼をいただいている。山好きと見受けるがいつも前年に登った山で撮った写真でご一家が紹介されている。年ごとにお子さんたちが成長していき、今はどうやら父親より息子さんの方が背丈は高いかもしれない。来年は、どこの山頂の風景を見せていただけるであろうか。   (資料 上から順に) ヨーロッパ研修記(北海道精神薄弱者愛護協会 団員 陸野好男氏記録) ドイツ精神薄弱者育成会 会長 トム・ムッタース博士(1989年) 北海道精神薄弱者愛護協会 職員海外研修旅行 終了後 労っていただきました。 フィンランド・ロヴァニエミにて 村上徹氏などと(1996年) 平成9年度(1997年度)第31回根室管内障害児教育研究会 別海大会 研究集録 養老牛温泉のせせらぎ   (2014/12/14) 小野 鎭