小野先生の一期一会地球旅㊹「海外看護事情視察団に添乗して その3」

一期一会 地球旅 44

海外看護事情視察団に添乗して (その3) 回を重ねて

Nurse Tour は、その後も継続して派遣され、米国各地やカナダも訪問され、各団はその都度多くのことを学ばれたと思う。共通していえることは、年ごとに3つか4つの大項目を設定され、これを縦軸に、そしてそれぞれのテーマに沿って各地の著名な大学の看護学部、医療施設や長期滞在施設そして看護関係団体などを横軸として訪ねられたことである。 その中心にあったのがイリノイ州立大学シカゴ校看護学部(UIC School of Nursing)であった。1989年に派遣が始まり2002年まで、途中95年は阪神淡路大震災、01年はニューヨークの同時多発テロのため2度を除いて12回担当させていただいた。 視察テーマは時代背景や我が国の医療と看護に於いて求められた様々な課題でより緊要とされたものが掲げられたのであろうと思う。 流れとしては、看護サービスにおける革新的な方法、能力評価、品質管理、法令順守(コンプライアンス)、危機管理(リスクマネジメント)などが挙げられていた。毎回の団は年ごとに特徴があり、忘れられない思い出、様々な人々との出会いがあった。今回は、平成11年度(99年)視察団の添乗について書き、次回は毎回お世話になったUICの先生方との思い出などを書いてみたい。

1999年はNurse Tourが派遣され始めて10回目(途中95年は中止されたと思う)という節目の年でもあった。全社連では、看護課長の由井様が担当され、団長も務められた。この団は、臨床と教育の場から保健婦、助産婦、看護婦(いずれも当時の呼称)の8名様で構成されていた。テーマは、①マネージドケアにおけるクリティカルパスの位置づけ、②ヘルスプロモーション、③看護職の養成にかかる専門学校と大学教育レベルでの役割、④看護管理として院内教育と人事考課が掲げられ、全米各地で5施設を選択してテーマに沿って集中的に学ばれた。この団の報告書を開いてみると興味深い記述がたくさんあり、主なところを挙げさせていただこう。

1最初に訪れたのは、ワシントン州エヴァレットのプロヴィデンス総合医療センターと職業専門学校のエヴァレット・コミュニティ・カレッジの看護学科であった。この町は、シアトルから北へ50㎞、カナダとの国境に近く、航空機メーカーのボーイング社があることでも知られている。医療センターは、エヴァレット市とその周辺からカナダ国境までを対象圏とする3次施設で262床、平均在院日数は全米どこでもそうであるように3.5日でこれは日本よりずっと短い。一方で、病院以外の療後施設や訪問看護、在宅診療&看護に大きな力が入れられていた。医療施設では、CCU(循環器系集中治療)とPICU(幼小児)等に重点を置き、病院内ではより重篤な患者のケアに力が入れられていることがうかがわれた。一方で、ヘルスプロモーションという観点から患者や一般の消費者への健康教室(Health Resource Center) が町のショッピングモールの中に設置されていた。買い物に行ったときに気軽に立ち寄れるようにして、健康と福祉についてのサービスを行うということであった。病院では、患者教育委員会が設けられており、手術・検査を受ける前からプログラムに沿って自己管理へむけての指導が行われていた。私事で恐縮であるが、昨秋、腹部の腹腔鏡手術で2泊3日ほど自宅近くの病院に入院したが、まさにこの患者教育を受けた。このセンターの連携施設として、コミュニティ・カレッジの看護学科があり、ここではRN(Registered Nurse=正看護職師)の資格取得を目指して学んでいる学生の様子を見学した。男子学生もかなり多かったことを覚えている。毎回の視察団では、管理職などを目指す教育は大学の看護学部などでご覧になっていたが看護の現場で活躍するナースの養成について専門学校などを訪問されたのはこの時が初めてであったのではないだろうか。

2この時は、週末の一日シアトルから南へ2時間ほどにあるレーニア山国立公園周遊のプログラムも加えられた。ワシントン州一帯には日系移民なども多く、彼らはレーニア山(4392m)の秀麗な美しい山容を称して、「タコマ富士」と呼んで親しんでいる。晩秋の大自然の美しさはまた格別であり、山麓一帯の紅葉と澄んだ青空に映える白雪を抱く雄大な風景に忙しい視察旅行中に味わった清涼感が好評であった。

 
続いてアメリカ大陸を横切り、テネシー州ナッシュビルにヴァンダービルト大学看護学部と医療センターを訪れた。3この大学は、南部の名門校の一つとして数えられ、看護学部は1909年開設という歴史とその優秀さで知られているそうでマネージドケア(Managed Care=管理医療)における看護教育と実践は特に有名であった。視察団は、それをこの時は2日間にわたって集中的に学ばれた。以下、報告書を抜粋してみる。

米国で管理医療が発展した背景は、倫理や法律に関する問題の増加、人口の高齢化、断片的な患者ケアへの危惧、HIVや感染症の流行、医療提供者への償還、それに関連して科学技術の急増、政府からの勧奨の増大、経済的な縛り、市場競争の増大、低額で多くのヘルスケアサービスの供給、生産性と効率性の強調、人・資金・寄付・技術・時間など資源に対する熾烈な奪い合いなどが因子としてあげられていた。換言すれば、いつでもどこでも医療を提供し、出来高払いという伝統的な医療保険の時代から、必要な時に必要な医療を包括的、効率的に、しかも質の保証をもって提供するシステムへの変化、見方をかえれば医療の管理化への変化でもある。これを推進していく上で重要なことは、患者を全人的にとらえること、専門家と患者はパートナーであること、意思決定は患者と医療者が一緒に行うこと、患者本人自身のケア、自己信頼と責任が鍵となること、そして焦点はケアのプロセスに移ってきたことを認識すべきである。今後は、人口の見直し、情報の幅広い活用、患者から顧客へという視点を持つこと、治療の結果についての知識を持つこと、限られた資源の最大限の活用、サービスの調整を行うことの必要性などが挙げられている。こうした状況下で看護職の責任として期待されることは次のようなことである。

①    地域をベースにして、顧客にヘルスケアを提供すること。

②    共同作業に焦点を合わせること。

③    個人のケアのみならず、地域全体のヘルスケアを改善すること。

④    予防や健康の保持増進に焦点を合わせること。

⑤    ケアのコスト、品質、そして結果に焦点を合わせること。

4これらのことを見て行くと、当時のわが国ではすでにかなり普及していた部分もあるように思えるし、その一方で、患者を顧客として見ることや意思決定は医療提供者と患者が一緒に行うことなどの考え方が次第に日本にも普及してきたのであろうと思われることも多い。20世紀末、今から14~5年前のアメリカでの医療を巡る様々な課題が浮き彫りにされ、それらを解決するために行われていた多くの挑戦を見てきたような気がする。

 
ここでは副学部長リンダ・ノーマン教授を筆頭に熱心にご案内くださり、ケースマネジメントとクリティカルパスに関して指導してくださった。講義と併せて、附属の医療センターでは臨床の場を実際に見学されるなど、密度の濃い二日間であった。ナッシュビルは、個人的には1976年に当時の国際精神薄弱研究関係者のお伴をしてジョージ・ピーボディ大学を訪れたことがある。523年ぶりに訪れたこの町はニューヨークやボストンなど北東部の大都市に比べるとおっとりした感じの南部の中核都市、明るくのんびりした佇まいに緊張感が和らいだような思いもあった。音楽ファンならずともカントリーウエスタンの本場として知られたこの町、中心街の一部にはジャズ酒場やレコード店、楽器店などが並んでおり軽快なメロディーが流れていたことを思い出す。

6視察団は、この後ニューヨークで週末を過ごされ、ボストンではベス・イスラエル&ディアコネス医療センターで現任教育、シカゴにUICを訪れてヘルスプロモーション、イリノイ・メソニック病院で臨床実習指導などを見学された。UICは第1回目から実に10回連続して訪問しているので毎回の団員は初めてであっても、キャンパスに近い駅で電車を降りた時から、何やら親近感を覚える。看護学部の研究室に入ると和気あいあい、楽しい雰囲気で研修が始まったことが印象的であった。

実は、この時の旅行業務のお取り扱いは、それまでの明治航空サービスではなく、株式会社キク・インターナショナルとして筆者が業務をお受けして添乗させていただいた。看護事情視察事業が始まって11年目であったが途中1回中止されている(と思う)ので、結果的に10回目であったが、この間一貫して添乗してお世話させていただいてきた。このことなどを忖度されて、この団では、報告書にこれまでの思いをつづらせていただくという栄誉を賜った。このこととUICや各地でお世話になってきた方などには格別の思いがある。このようなことなどを次に書かせていただこう。

(資料 上から順に)

プロヴィデンス総合医療センター保健教室(ヘルス・リソース・センター)

(ワシントン州 エヴァレット)

レーニア山国立公園にて(ワシントン州)

ヴァンダービルト大学看護学部ペーパーウェイト(テネシー州ナッシュビル)

同上 看護学部ゲストセンターにて

ナッシュビル(絵葉書 1999年に現地で求めたもの)

ボストンの地下鉄(コプリー駅)これからベス・イスラエル病院に行くところ。

 

(2015/2/22)

小野 鎭