小野先生の一期一会地球旅55「大失態あれこれ その2」

一期一会 地球旅 55
大失態あれこれ その2

列車を非常停車させた!

昔も今も日欧間あるいは欧州内でも長距離区間は航空便を使うことが多いが、鉄道や貸切バスでの移動も多い。むしろ、鉄道もバスも途中の車窓風景、変わりゆく景色、車中での語らいなど単なる移動のための手段ではなく、その交通機関を使うことそれ自体が目的ということもある。景勝地めぐりや豪華な列車の旅などはその典型であろう。鉄道は、利用するときは多くの場合、数時間になるので心地よい列車の揺れにしばし旅の疲れを癒されることも多い。けれども、時にとんでもない失敗をしたことは前回も書いた通りで、駆け出しのころはとんでもない失敗を幾度も犯している。未熟さゆえと言えばそうかもしれないが全くお恥ずかしい限りである。そして、どういうわけか産業青年海外研修での鉄道の旅はトラブルが多かった。

1そんな中で、これは自分が張本人ではなかったが団員に替わって始末書(?)に署名をしたことがある。オランダでの研修を終えて、アムステルダムから鉄道でパリへ向かった。鉄道の旅では荷物(スーツケースなど)は、車両内に荷物を置く専用ロッカーが無いのでとりあえずは、通路やコンパートメントに入れて、比較的小さな荷物はシートの下にしまい込む。大きなスーツケースはこれもかなり広い網棚部分に置くことになる。これがひと仕事で、20kgsあるいはそれ以上の重さがあり、これを網棚まで上げるのは容易ではない。これにはコツがあり要領よく持ち上げないとうまく上げられなかったり、人の頭の上に落したりしてけがをすることもある。そこで、自分がやるから、皆さんは待っていてほしい、と伝えて各コンパートメントを順に回って上げて行った。ところが、小野一人にやらせては申し訳ない、ということで自発的に荷物を持ち上げてくれるグループもあった。有難いとは思いながらも、自分がやるから待ってください、と声をかけようとしたときはすでに遅かった。荷物を上げていたある団員氏がよろけて、スーツケースが壁に設置されている非常コックに触れてそれが動いた。その直後、列車に急ブレーキがかかったらしく、ガクンとスピードが落ちてやがて停車した。いまさらどうしようもなかった。急いで、車掌を探して、自分たちの過失を正直に説明してお詫びした。

2何処までも広がる牧場と遠くに集落が見える一面の緑の中で列車は停まっており、窓の外を見下ろすと機関士らしい人物が車輪や連結部分を手分けして調べていた。車掌は、過失による出来事として認めながらも、一方で悪意ではなかったということについても念を押された。団長である県の職員氏も同席のうえ、過失により列車を緊急停車させたことについて調書を取られ、署名をさせられた。そして、罰金であろうと思うが、かなりの金額(多分数万円相当?)を払わされたような気がする。最近の高速鉄道は、いずれも日本の新幹線型の車両が多いのでその心配も少ないが、コンパートメント車両に乗るときは、荷物の扱いと非常コックについては、くれぐれも注意していただきたいとお願いしている。

声が出なくなった!
3
勤務中であれ、日常生活であれ、健康維持と体調管理は誰もが一番気にしていることは論を待たない。特に、添乗期間中はなおのこと体調万全であることが一層強く求められる。添乗員はとにかく頑強な体が資本、特に海外の場合は、出発から帰国まで睡眠時間を除いてほとんどすべての時間がお客様と一緒であり、自分の時間は皆無に近い。夜中とて、緊急電話で呼び出されることもあるし、何があるかわからない。帰国する頃には体重がかなり減っていることも多かった。4しかし、若さと常に緊張感があったからであろうか、少々体調が悪くても何とか頑張って最後まで乗り切るということを30年以上繰り返して来たと言ってもいいであろう。とは言え、添乗員も人の子、風邪をひくこともあれば、発熱や腹痛もある。高熱でボーっとしながら、お客様をハイデルベルクの古城散策や中心街にあるやZum Roten Ochsen=通称 赤牛亭)に案内したこともある。特にドクターはぜひ行ってみたいとおっしゃる方も多く、自分の体調が悪いからと言って失礼することは自分自身でも許せないことであった。

5ある年、喉を傷めて、声が出なくなり苦労したことがあった。農協関連の視察団であったが、イタリアのミラノからローマまで列車の旅をした。7月のことであり、イタリア半島は真夏の暑さでカラカラ状態、列車には冷房が無く、窓を開けては風を入れ7時間、ローマに着いたころは、喉に痛みがあり、声がかすれ気味であった。幸いローマでは市内観光だけであったので、現地ガイドにお願いして、お客様へ明日の予定であるとか、細々した連絡事項を代弁してもらった。

6翌日、空路ジュネーブへ飛び、さらにバスツアーでベルン~チューリヒへと3泊4日ほど視察とユングフラウ周遊などが予定されていた。多くの旅行会社では、このようなバスツアーの場合は、スルーガイド(Through Guide)という現地在住の日本人あるいは日本語の達者な現地人などを雇用してその区間を案内してもらい、添乗員は添乗業務に集中するというのが普通であった。しかしながら、社では、農林業や医療・福祉、教育や都市計画など専門視察のお世話が多く、添乗員としては多方面にわたる知識や経験があった。結果的には、通常のスルーガイド並みに詳しいだけでなく、現地語にも多少通じている者もあり、添乗員自らバスツアーを運転手との連携ですべて賄うことが多かった。この時はそれが裏目に出てしまい、自分自身では案内も出来ない状態になり、スルーガイドを探してもらったがその場では勿論お手上げ。止む無く、現地手配会社につい数週間前に日本から赴任してきたというT氏を派遣してもらえることになり、メモを書いては、彼から代読してもらったり、細々した手伝いをしてもらって3日間を過ごした。お蔭さまでチューリヒに着くころ頃には少しずつ声が出るようになった。お客様にご迷惑をおかけしたことをお詫びし、ご心配いただいたことへのお礼を申し上げた。 手伝ってくれたT青年には感謝の思いがいっぱいであった。そして、予定通りの行程を終えて帰国した。その後、新たなセールス先として、食道がんなど病気で失語された方々の組織に伺ったことがあるが、この時のことをしみじみ思ったものであった。

資料 (上から順に)
列車のコンパートメント(2等車) 入口の上に非常コックらしきものが見える。(例)
運河沿いを走るオランダ鉄道(資料借用)
古都ハイデルベルク(資料借用)
Zum Roten Ochsen(赤牛亭 : 資料借用)
イタリア国鉄長距離在来線(実際はもっと古い車両であった : 資料借用)
スイスでは山岳牧場が美しい(通称 アルプ)

(2015/05/12)
小 野  鎭