小野先生の一期一会地球旅58「嬉しいハプニング」

一期一会 地球旅 58

嬉しいハプニング

その1、 アイスランドからワイシャツが送られてきた・・・・

貴重品の入ったバッグを駅前に置き忘れた、などの失敗談を先だって書いたが、他にも大切なものを置き忘れた苦い思い出がある。これまでずっと書いてきた地球旅であるが、遥か昔のことを思い出しながらより正確に書くには様々な記録や資料、写真などが根拠として必要である。そんな資料の中で、それぞれの旅行の携行旅程表は最重要な資料の一つである。ところが、最初のころから数年分、10数回分が残っていない。添乗に出る度に旅先から顧客先へ絵葉書に時候の挨拶を認めることにしていた。今と違って、海外から航空便でお送りする絵葉書は何回もご挨拶に伺う以上に喜ばれることも多かった。ところがどこかのホテルにこの携行日程を綴じた冊子を置き忘れてしまった。取り返しのつかない後悔であるが今更どうしようもなかった。大げさに聞こえるかもしれないが、自分にとっては、終生の悔やみである。

ところがそれと反対に素晴らしくラッキーな思い出も残っている。それこそ、古い記録を見ると幾度も世界一周をしているがおよそ思いもつかない回り方をしたことがある。79年9月、成田からカナダのバンクーバーを経て、プリンス・ルパートという太平洋岸を北上した港町、さらにカナダを横断してハリファックスに至り、ニューヨークを経てアイスランドのレイキャビク。さらにはロンドン、パリそしてノルウェーのベルゲンと回りコペンハーゲンを経て帰国した。漁連関係の海外視察であった。

1アイスランドは火山島としても知られており、漁連などの訪問のほか、広大な溶岩台地や大小の間欠泉なども見物、なかなか得難い経験をした。首都レイキャビクには、世界最大級の温泉プールがあり、ここで慌ただしい旅の疲れを癒した。心身ともに爽快な気分になったが、ホテルで朝頼んだワイシャツのクリーニングが夕方になっても返してもらえず、結局翌日出発時間になっても戻って来なかった。洗濯物が戻って来なかったのは、ホテル側の責任であり、回収次第、送るから次の旅行先を教えてください、と言われた。しかしながら、前述のような行程でしかも各2~3泊であり、その旅先に送ってもらっても手元に届くとは思えなかった。そこで、ダメ元で日本の住所を伝えておいた。そして予定通りの行程を終えて帰国した。

戻ってから1週間後くらいであっただろうか、アイスランドから航空小包が届き、開けてみたらワイシャツが入っていた。多分、ワイシャツ本体の値段よりもはるかに高い運賃であったと思うが、アイスランド人の義理堅さに感心し、すっかり嬉しくなった。数年前、アイスランドの経済危機が世界中を震撼させたが、私にとってはあの実直さと温かい人柄に溢れたこの国が早く元の素晴らしい国として立ち直ってほしいと願ったものであった。

その2、 ミューレンとホテル・アイガー

多くの添乗経験の中には嬉しいハプニングもたくさんある。その一つを紹介させていただこう。73年頃であっただろうか、スイスのベルナーオーバーラント地方を含めた農業関係視察団の準備を進めていた。時期は6月上旬であったが午前中にベルン周辺での視察を終え、その日はインターラーケンに一泊、翌日ユングフラウ・ヨッホ周遊、午後にはチューリヒへ向かうという慌ただしい行程が予定されていた。ところが、インターラーケンにおいて大きなイヴェントが予定されており、主要ホテルはどこも満杯でお手上げ状態、代わりにグリンデルヴァルトなどもあたってもらったがこれもダメであった。この時の手配会社はスイスに本社のあるクオニ・トラベルで欧州でも実力のある会社として知られていた。この会社が、それもスイスのホテル一か所を確保できないとは!?と毎日プッシュしていたが、芳しい話は出てこない。前後関係もあり、今更日程変更も出来ず、これ以上は待てないという段階になった。そして、クオニの営業マンから、代わりにミューレンはどうか、中級のホテルを確保できるのでこれを検討していただきたいと提案があった。地名は聞いてはいたが、それまでに訪れたことは無かったので最初は素直に頷くことはできなかった。とはいえ、時間もなく、他に選択肢もなかったので受けざるを得ない状況であった。

2ミューレンは、ユングフラウ・ヨッホへの登山電車で上る途中、ラウターブルンネンの巨大なU字谷を挟んで向かい側はるか遠くに眺めていた小さな集落。海抜1620mのこの村までは、自動車道路は無く、ロープウェイと鉄道が交通手段であった。当時は、ホームページなどは無いので、写真や観光資料などを取り寄せて、視察旅行の主催団体にこの案で承諾いただきたい、と説明し、お願いをした。チーズ作りなどを見学する余裕はないが移牧といわれるアルプス一帯で行われている農業形態を垣間見ることがはできるであろう、ということで提案を飲んでいただくことができた。

何とか準備を終えて視察団は出発した。そして、ミューレンを実際に訪れてみると、今まで幾度も上っていたユングフラウ・ヨッホへの鉄道が反対側斜面を登っている。目の前に広がるアイガー・メンヒ・ユングフラウの三山、3その両側に連なる峻厳な山並みの雄大な パノラマ、集落一帯はのどかな緑の斜面とシャレー風の民家の庭先には美しい花々、どこを見ても一幅の絵のような風景にシャッターを切る音が続いていた。もう一つ、うれしいことがあった。ホテル・アイガーは、ミューレン鉄道の終点である駅のすぐ目の前にあり、シャレー風の建物、ベランダからは雄大な山並みを独占気分、あの有名なアイガーと対峙し合っている感じでホテルのネーミングはまさにそのものずばり。インターラーケンなどにある大型ホテルと違って、家族経営のほのぼのとしたホスピタリティは言うところの“おもてなし”の暖かさに溢れており、総支配人以下フロント、レストランのウェイターなどが歓迎してくれてわずか一泊では何とももったいない滞在であった。

翌朝、「今度はぜひ数泊滞在して、シルツホルン(2980m)からの展望とホテル周辺のハイキングを楽しんでください」との挨拶に送られながら、谷を下り、そしていよいよユングフラウ・ヨッホ Top of Europeへ向かった。アルプスを二度楽しんだ、そんな気分であった。この時に味わった楽しい気分と雄大な景色、空青く美しい花畑の散策など、きっとお客様にも喜んでいただけるに違いない、というのが率直な感想であった。新たなデスティネーション(旅行先)の発見は思わぬことがきっかけによるものであった。それからはこの美しい集落に滞在するプランを組み込み、多くのお客様に喜ばれて自信を持ってお勧めするようになった。中には、お客様自身でもう一度行ってきたよ、そんな声をお聞かせくださった方もある。 次回は、ホテル・アイガー滞在を楽しんでくださったお客様やこのホテルで経験した忘れられない思い出を紹介させていただきたい。

(資料 上から順に)

アイスランドの地図 (訪問当時に求めたもの 1979年)

ミューレンの村 (ミューレン駅付近 1970年代中期)

右下にミューレンの集落があり、谷の向こう側にアイガーとメンヒがそびえている。(後年、筆者撮影)

 

(2015/05/31)

小 野  鎭