小野先生の一期一会地球旅74「南十字星に送る歓喜の歌(その1)」

一期一会 地球旅 74

南十字星に送る歓喜の歌 (その1)

 

ボンでのコンサートの成功で大きな自信を得た合唱団では、機会があればもう一度挑戦したいという声が聞こえていた。特に、第1回の海外での演奏会に参加できなかった人たちが、次はぜひ連れて行ってほしいなどの声もあった。そこで具体的に考えてみようということになり、候補に挙がったのがニュージーランドであった。ゆきわりそうグループでは、数年前に二度のオーストラリア旅行を実施されたがオセアニアにあるもう一つの英国系の国への興味がつよかったようである。人間よりも羊のほうが多い国、そしてこの国には温泉もあり、野趣あふれる楽しみも多そうである。

医療や福祉、教育分野などの視察で数回の添乗経験はあったが、同じ英国系であってもオールトラリアとは少し雰囲気も違っておりこの国への興味は私自身も強まっていった。現地オペレーターにも相談したところ、かなり難しい内容であり、最初のうちはいささか自信がなさそうであったが、ボンでの演奏会のビデオを見せ、どのように準備を進めていったかなどの経験談を伝えて協力を呼び掛けたところ、次第に興味を示して話に乗ってきた。そこで、より具体的に準備を進めるためにもニュージーランド航空や政府観光局などに相談してみた。ここでも、ボンでの経験とビデオが大きく役立った。小規模な合唱団などの現地訪問や文化交流はこれまでにも行われていたが、重度障害のある人たちが第九の歓喜の歌を合唱するといったことはたぶん考えも及ばなかったであろう。しかしながら、現地の人たちにも参加を呼びかけるなど社会的にも大きな意義が感じられるということで積極的に協力してくれそうな感触が得られた。

観光局の紹介を得て、現地へ打診したところ、オークランド市が協力してくれそうであり、オーケストラもある。また、大小の合唱団もあり、幾つかが一緒に歌うということについて興味を示しているという情報も得た。加えて、今回は合唱とは別にプール教室の指導者グループがニュージーランドではイルカとの遭遇(Dolphin Encounter)というアトラクションが盛んであり、そのプログラムも加えてほしいという希望が寄せられた。観光局などに問い合わせてみると北島のオークランドから近いパイヒアという海岸もあるが一番成功率の高いところでは、南島のカイコウラであろうという話も聞いた。合唱だけでなく、複数の希望を満たすためには多くの条件を克服しなければならないのでそれ自体が大仕事であったが、一方ではそのような未知の可能性を探ることはうれしい悩みでもあった。様々な情報を寄せ集め、慎重に検討した結果、オークランドとパイヒア、そしてカイコウラとクライストチャーチへの現地調査を行うことになり、代表以下、合唱関係者とプール教室関係者を合わせて合計6名で1994年12月に出かけた。

慎重な事前準備が奏功してオークランド市長にもお会いでき、コンサートは1995年12月10日に行うことがおおむね決まった。そして、これへ向けて全面的に協力をするとの約束をしていただけた。主たるところでは、オークランドでも代表的なホールであるアオテア・センターを半額近い金額で使用できること、コンサートについては市の後援として公的な案内をしていただけることなど大変うれしい申し出をいただくことができた。

小野先生3

一方、オーケストラの指揮者との協議は少々難しいところがあった。コンサートが予定されている12月のこの時期は、クリスマスに近い真夏の夏季休暇シーズンも始まっているころである。一方では、この国では第九が演奏されることはあまりないし、市民がそれほど興味を持っているとは思えない。 1時間余りの第九交響曲をじっと聞くということは難しいであろう、せっかくの催しが不成功に終わることもあり得るので、指揮者としては賛成できない、とのことであった。第九交響曲は第1楽章から第4楽章に至り、「歓喜の歌」の合唱で終わることでこの曲の意味があるということを私たちの合唱指導者である新田光信氏は力説した。しかしながら、先方は聞き入れず、むしろ、前段としてこの国でも良く聴かれるエグモントの曲などポピュラーなプログラムをいくつか、ほかに何か日本側の演奏はメロディを加えて、メインを第九の4楽章~歓喜の歌の合唱へもっていくというアイデアが出された。私たちの願いである“平和と人々の連携”ということについては指揮者であるMr. Gary Daverneもそれ自体はよく理解しており、それ故に、聴衆により喜んでもらえるプログラムを編成しようということになり、結局、彼の主張に沿うことになった。日本側では和太鼓の演奏も加えることになり、オーケストラが外山雄三の日本のラプソディを演奏することで落ち着いた。また、この演奏会をチャリティとして、入場料をいただき、その一部を福祉関係団体などに寄付をすることの提案があった。しかし、これについては私たちが受け入れなかった。入場料はいただかず、来場者から任意の寄付を仰ぐこととして、それをそのまま障害者団体などに寄付をすることで落ち着いた。

演奏会のスタイルや会場の見学、日本領事館訪問も訪問して趣旨を述べ、ここでも日本人関係者への呼びかけなどの協力をしていただけることの約束が得られた。また、宿舎はオークランド・シェラトンとすることで車いす使用者はじめ障害のある方の宿泊について可能な限りの配慮をしていただけるよう申し入れた。これらの基本的な事前準備は、ボンの時に比べればはるかに前進的であり、効率的な進め方であったと思う。やはり経験は力であることを実感し、一方で文化交流とは自分たちだけの押し付けでは容易に進まないことも学んだ。

オークランドでの調査の後、ニュージーランドを代表する温泉保養・観光地であるロトルアを訪れた。ここではコンサートで緊張した後のプログラムとして、温泉、観光、牧場での遊覧などを楽しんでもらえるよう様々なアトラクション検討した。牧場では羊の毛刈りや飼料運搬用の車の後ろに牽引車をつけて車いすの人たちにも羊と一緒に遊んでもらおうとか乗馬体験などの機会も作ってもらえるらしい。なんといっても楽しみは、ポリネシアン・スパでの温泉入浴、言ってみれば温泉プール、水着をつけてはいるがぬるめのお湯からかなりの高温まである。きっとゆったりリラックスしていただけるであろう。オークランドからロトルアまで2時間近くの列車の旅も大いに楽しみ!  ロトルアは先住民族ポリネシア系マオリの人たちの多いところでもあり彼らのパフォーマンスも加えてもらえることになった。

小野先生2

 

続いて、南島のクライストチャーチへ向かった。そこで、ドルフィン・スイミングについて調査しているスタッフと合流し、ミニバスで東海岸を北上すること3時間、カイコウラという小さな町へ向かった。今では反捕鯨活動の筆頭メンバーも多いがかつてはニュージーランドも捕鯨国、カイコウラは捕鯨の基地でもあったそうだ、日本流にいえばクジラ供養の記念碑らしきものもある。 今では、ホエール・ウォッチングやドルフイン・エンカウンター(クジラ見物やイルカとの遭遇)などの新しい海上観光産業でこの小さな町が世界的に知られるようになり、町にはイルカやクジラの絵を描いた看板が見られ、水着姿の若人たちが楽しんでいる様子がうかがえた。紹介されていた観光事務所を訪ねてみると12月のそのころは、クジラを見るチャンスは90%以上、イルカもかなりの効率で現れるとのこと。町の背後には雪を抱いた山脈がそびえているが、そのおかげで冷たい風がさえぎられるらしく、ひんやりした風景であるが海は比較的穏やか。きっと楽しいプログラムが期待される。とは言え観光など団体客向けのホテルなどは乏しく、キッチン付きの短期アパートや規模の小さなホテルしかないので本番の時に2~30名で訪れるとすれば、あらかじめ団員にはそのことを断っておくことが必要であろう。

小野先生1

翌日、船で少し沖合へ出て、待つことしばし、インストラクターがイルカだ! と声を張り上げた。それを確認する必要もないほど、目の前といい後ろといい船の周りからはるか遠くまでイルカが泳いでおり、そのうちジャンプをする風景もそこかしこ、かつて見たこともない壮観な風景が広がっていた。泳ぎにはあまり自信はないが泳ぐことに抵抗はない。とは言え、添乗業務である以上、万一のことがあってはいけないのでここは我慢の子、水入ることはしなかった。スタッフはさっそく海に入ってイルカとの泳ぎを楽しんだ。これならばきっとメンバーも十分できるであろうし、楽しめるであろう。 いかにして安全を確保するかが最大の課題であるが、海さえ荒れなければきっといい経験になるに違いないとの感想が寄せられた。カイコウラでもきっといいプログラムが組まれるであろう。

こうして、現地調査は大きな収穫を得て終了、本格的な準備に取り掛かった。本番まで1年間、様々な課題があるのでそれを逐一処理していかなければならない。姥山代表以下合唱団とプール教室それぞれの事務局との綿密な打ち合わせと練習や現地とのやり取り、気が遠くなるような準備が進められた。偶々この時の資料を今も保管しているが、厚さ7㎝のファイル二冊などをみると当時が懐かしく思い出される。社の他の業務と並行して準備を進めていったが、1995年が明けて間もなく思いもかけない大きな悲劇が日本中を襲った。1月17日、阪神淡路大震災である。ゆきわりそうグループと合唱団関係者は、ほとんどが東京または関東地域であったので、直接に被災するとか被害を被った人はいなかった。しかしながら、この震災では6000人以上の方が犠牲になったし、家屋の焼失や倒壊はじめ被害額は膨大であった。たくさんの人がボランティア活動に従事し、日本中で鎮魂の祈りがささげられた。海外旅行を取りやめるとか様々な行事を自粛する傾向が強まっていった。 もしかするとニュージーランドでコンサートをやること自体、取りやめになるかもしれない、という危惧を抱かざるを得なかった。結論から言えば、予定通り実施されたが、それに至るまでに様々な動きがあった。それらのことを次号に書きたい。

 

(資料 上から順に)

アオテア・センター(Aotea Centre : 資料借用)

ポリネシアン・スパ (Polynesian Spa, Rotorua 資料借用)

カイコウラの海(Kaikoula 資料借用)

 

(2015/9/20)

旅先にて、小 野  鎭