2015.10.07 小野 鎭
一期一会地球旅76「南十字星に贈る歓喜の歌(その3)」
一期一会 地球旅 76 南十字星に贈る歓喜の歌 (その3) 毎回の原稿は、当時を振り返りながら、写真、搭乗や添乗記録、携行旅程ファイル、残していた業務取扱関係書類などを開いて何らかの資料を探し出しては、その中から印象深いことを書いている。そういえば、この旅行では、数名の方が出発を前に様々な理由で参加を取りやめられたことを思い出す。お気の毒であった。特にご家族がお出でになれない場合は、重い障がいのある利用者さんをゆきわりそうのスタッフが体制を組んで介助されることでご本人のみが参加されるという例もあった。24時間の介助が必要であり、スタッフはもとより、ご本人も参加できた喜びと、その一方でこれを成し遂げられた介助体制のすばらしさ、スタッフ各位の熱意に深く敬服したことが思い出される。今年の12月であれから20年が過ぎる。まさに光陰矢の如しである。 今回はコンサートとその後のいやしの旅について心温まる感想を綴っておられるお二人の記録を拝借して紹介させていただきたい。最初は、ゆきわりそう代表の姥山寛代氏が会報に載せられた「ニュージーランド旅行記」である。以下、転載させていただく。 座席を埋め尽くし、なお一階二階の後方にギッシリと立っている2500余名の聴衆。『ゆきわりそう一番太鼓』が鳴り響く。凛々しい田中雅子の『エイヤー』の気合を頭に、新山玉峰先生の軽やかな“チャンチキ”の心弾む音が色を添える。コンサートは、和太鼓で幕を開けた。障害をもつみつばちブンブンのNI、TIの二名を加えた7名のチームは寝言でリズムを口ずさむほど、短期間だが猛練習を重ねてきた。山本良夫は中央に座し、リズムを口ずさみながらバチを振り下ろしている。高橋明邦講師による創作曲『ゆきわりそう一番太鼓』の激しくたおやかな日本的リズムは、会場の割れるような拍手を誘った。 今更ながらベートーヴェンの第九は圧巻。国によって、指揮者によって演奏法がそれぞれに違う。前日のオケ合わせの時、事前に知ってはいたがオーケストラと合唱と、別々の指揮者による演奏に戸惑った。ニュージーランドの場合は、極端にゆったりした演奏法を採る部分があって各パートがバラバラになってしまって慌てたが本番はバッチリ決まる。中段の二重フーガを過ぎたあたりになると、歌い始めの過度の緊張も解け、心から歌詞や旋律に酔い、自分の中から音楽が沸いてくる。こんな時、きれぎれに我が人生の様々な場面、共に歌う一人一人の身の上、今は無き友のこと、雪の降りしきるなか、車いすを押して練習会場へ向かった時の凍えた手の痛み、やさしく優しくこの活動を見守り応援してくれている人のことなどが走馬灯のように頭を駆け巡る。それは皆『人』のことなのだが、いつものことながら涙があふれ、温かな連帯の意識に満たされる至福の時だ。これは私だけのことではない。会場の方々も「涙して聞く」とよくおっしゃる。『幾百万の人々よ、兄弟になろう』と呼び掛けるベートーヴェンの第九は、人類が存在する限り歌い続けるだろう。 障害があろうとなかろうと、国籍や肌の色やすべてを乗り越え、あらゆるバリアを取り払い、第九を歌い続ける。「私たちは心で歌う目で歌う合唱団」の七年の歩みは今日、再びニュージーランドのオークランド市にあるオアテアセンターで一つの実を結んだ。『フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン』と歌い終わると会場には長く激しい拍手が溢れる。オークランド市長レス・ミルズ氏の大きくたくましい手が私の手を包み肩を抱く。 あゝ人生は限りなく希望に満ちている。弱い人々よ明日に希望を持とう。 演奏会直後の交流会には地元から300名を超える方々が参加して下さる。ブンブン・ポシェットのメンバーがゆかた姿で大正琴を演奏披露する。よくここまで育った。みんなとても上手に弾けた。本物の外人と障害者たちのつたない英会話はあちこちでさわやかな笑いの渦を作り出している。君たちは今、立派に交際交流と親善の役割を果たしているんだよと、心から思った。 出発までにはいろいろあった。流感であの人が、この人が倒れた。直前に食道がんが発見されて入院、旅行荷造りの途中で背筋を痛め、激痛のため中止。祖父が危篤、父が入院。出発当日の朝、下痢と発熱で、等々。残念無念、それでも116名の一行は成田を発った。しかし機内でも頭痛、ぜんそく発作、嘔吐等続出。一晩中眠るどころではなかった。 コンサートが終わり、ロトルアとカイコウラの二手に分かれた観光・保養の旅に出発する頃になって、同伴の親たちの顔色が良くなる。そして次第に全体が元気になって声が行きかい、笑い声がはじけるようになった。『癒しの旅』と名付けたこの後半の時期に、普段、介護に明け暮れる親たちの頬がかすかに赤みを帯び始める。乗馬、水泳、散策、買い物などを体験し、身も心も解放されたためか、本来の健康を取り戻し、皆さんシャキッとしてみえる。 10日間に凝縮された、夢と希望と信頼に満ちたこの旅行の成功の裏に、多くの人々の献身があったことを、多くは語らなくとも私たちは良く知っている。それに応えるべく、すべてにパーフェクトであろうと誓っての今回の企画であった。 機上から外を眺める。海と空の水色を背景に積乱雲が群れている。やがて、夕暮れの赤黒色の光彩が、あたり一面を染め始め、メランコリックな風景に変わる。『核廃絶の運動への連帯』をメッセージした私の挨拶に、期せずして会場から沸き起こった嵐のように拍手が耳に蘇ってこだましてくる。あゝ三年近く準備したこの旅も間もなく終わる。そう思った瞬間、私は深い眠りに落ちていった。 (1995年12月16日 姥山寛代氏) ボンに次いで二度目の参加者はオークランドまで10時間余りの飛行、日本とはあまり時差も大きくなく、到着後もさほど緊張することも無かった。しかし、今回初めての参加者は、興奮と緊張で大きく体調を損ねた人もあった。また必ずしも体調万全ではないままに全体練習に臨んだ人などもあったが、次第に落ち着かれたように思う。また、合唱には参加されず、客席で鑑賞し応援される方も多かったが、コンサート終了後の交流会では、現地参加の市民たちと交歓し、肩を組んでポーズをとって写真を撮る人たちもあり、次第に元気を回復されていった。こうして、コンサートの翌日、二手に分かれてトトルア組は、列車で出発、カイコウラ組は空路クライストチャーチへ向かった。筆者は、前者に添乗したのでその時の様子を書いておこ
う。 ロトルアの牧場では、生憎雨であったが資料運搬用の台車を準備して歩行が不自由な人たちをのせて羊たちの群れの中に入っていって楽しんでいただくことができた。乗馬はポニーではなく、普通サイズであったため、普段ポニーにはなれている人たちでもやはり危険でもある。加えて雨で牧場内はぬかるみも多く寒さも加わって残念ながら多くを体験していただくことはできなかった。可能な限り何らかの工夫を講じたとはいっても、事故が起きては本末転倒、安全と安心が最大の重要事項である。 翌日は晴天、ポリネシア・スパは屋外であり、大小の温水プールが並んでいるような塩梅。皆さん、水着に着かえて家族やスタッフと共にお湯に手を入れては暑さを探り
つつ三々五々浴槽へ。側面はコンクリートであるが、砂地の底から温泉が湧いている。泳ぎの得意な人はプールでの水泳よろしく軽くバチャバチャやっている人もあったが瞑想してじっと浸っている人もあった。全身介助が必要な人はスタッフが支えてユーラユーラ揺すりながら身体を優しくほぐしていた。緊張がとれ、優しい笑顔がみられ、このポリネシア・スパでの入浴は安らぎのひと時であった。洋の東西を問わず、温泉での入浴はやはり喜ばれるようである。 一方、カイコウラは事前調査でかなりの情報を得ていたので、旅行準備には全面的にかかわったが、同時並行のため、筆者は本番では訪れることはせず、他の社員が添乗した。そこで、この時のゆきわりそう側のリーダーであったTU氏のレポートを紹介させていただきたい。 野生のイルカと泳ぐ! カイコウラからの発信。(22名の仲間たち、ミュージーランド南島のカイコウラへ)
午前6時30分、ウェットスーツに身を包み、高速ボートに乗って海へ。『いた~』の声に全員一点に注目。そこにはテレビやビデオでしか見たことのない野生のイルカが泳いでいる。ジャンプしたり、回転したり、実に楽しそう。一回目のエントリー、広くて深い海、冷たい水、そして目の前には、人間より大きなイルカが泳いでいる。ここは自然の海、いつも泳いでいるプールとはわけが違う。得体の知れない恐怖と寒さで5分ほどしか海に入らなかった人もいた。それでもみんな野生のイルカと同じ海に入ることができた。一緒の時間を共有できた。 2日目、ウェットスーツにブーツ、グローブ、ストッキング等々、あらゆる手段を使って防寒対策。みんなありったけの勇気を振り絞って水の中へ。Mちゃん、Nちゃんは早くも一人で泳いでいる。Y君はビート坂をもってバタ 足。イルカを追って進む、進む。でも、今日のイルカは、昨日と様子が違ってあまり一緒に遊んでくれない。それでも『母イルカが赤ちゃんイルカに哺乳しているなど、ボートに上がるところを見た』、それでも『イルカが目の前でジャンプした』等、ボートに上がると、前日とは打って変わったようなみんなの笑顔。ホエールウォッチングに出発。出発の時とは違って曇っていたが、沖へ出るとみんなを歓迎するかのように晴天になる。ブワーッと潮を噴き上げ、尾を立てながら潜っていくクジラのダイナミックな生命の神秘に目は点、胸はドキドキ。 最終日、みんな期待に胸を膨らませていた。イルカとの最後の出会いも海の状態が悪くキャンセル。さすがのゆきわりそうも自然には勝てず、イルカたちとのお別れできなかった。それでも、只では転ばないのが私たち。余った時間を使ってアザラシと泳ぐ。可愛い目、ユーモラスなひげ、じっと見つめられると興奮、みんな大満足一日だった。 カイコウラ、そこには、青い空、緑豊かな山並み、冴え冴えと輝く豊かな海があった。そして、豊かな自然の中で生きるイルカやクジラたち。本当の豊かさとは?そんなことを考えさせられる旅であった。最後の日にイルカの船が出なかったのは、『お前たちはまだまだ鍛え方が足りん、もう一度出直して来い!』とカイコウラの神様に諭されたような気がした。 その通りだ。もう一度鍛え直してまたこの海に帰ってこよう! (TU記) (資料 上から順に) ロトルアの牧場にて (1995年12月13日) ロトルアからオークランドへの途次 (1995年12月15日) カイコウラの海岸で拾った小石(事前調査 1994年12月10日と日付あり)   (2015/10/6) 小 野   鎭