2015.10.14 小野 鎭
一期一会地球旅77「アラン・ボヌールのモチーフを訪ねて」
一期一会 地球旅 77 アラン・ボヌールのモチーフを訪ねて これまで合唱団の海外コンサートとその旅行について書いてきたが、この後さらに大きな催しがありその旅行も大規模なものであった。そのことについては改めて書くこととして、今回は別のグループについて書いてみたい。 ゆきわりそうには様々なケアプログラムなどがあるがそれと並行してQOL(生活の質)を高めることを目的としてレジャー活動にも様々なものがあり、その一つが絵画教室。知的障害や肢体不自由のある人などが絵筆を運んだり、ちぎり絵を造ったりしていた。星野かよ講師が指導しておられる。彼らの感性には素晴らしいものがある。歳時記であったり、風景であったり、動物であったり、自画像であったり、様々なテーマで楽しい作品が作られていた。年に一度、12月に行われるパーティー会場で展示され、たくさんの人たちが熱心に鑑賞し、人気がある。まるで絵心などのない筆者にとっては羨ましい限りである。彼らのどこからあれだけの情熱が出てくるのだろうと不思議に思い、そして作品に寄せられているであろう思いを眩しいほどの感動を覚えながら見せていただいている。また、彼らの親御さんたちのグループもあり、ママン絵画とよばれている。
ある方の紹介でフランスのアラン・ボヌール画伯がゆきわりそうを訪れた。氏は、夢中で画用紙に向かっている青年たちの様子を熱心に覗き込み、食い入るように見ていた。そして、彼らに対して、これからも描き続けてほしいとにこにこ笑いながら感想を述べていた。氏はセザンヌの画風を思わせる印象派タッチの風景などを得意としている人物であった。池袋で氏の作品の展示会も開催され、多くの人が訪れてなかなかの賑わいであった。結局、筆者も一点をお付き合いで購入した。氏の住まうフランス中部、リムザン地方の美しい風景である。青空に浮かぶ白い雲、美しく木立が広がり、その中に赤瓦の民家が描かれ、糸杉が天を指している。
その前に湖があり、湖面に美しい風景が映えている。あれから20年近くが過ぎるが、いまも自室に掛けて楽しんでいる。それからしばらくして、ママン絵画のメンバーや星野講師からボヌールさんが自慢していたあの美しい風景をスケッチしに行きたいと声があがり、旅行を計画することになった。   こうして、「Bonjour France アラン・ボヌールのモチーフを訪ねる仏蘭西の旅」 一行23名がパリへ向かったのは、1997年6月10日であった。パリでは、市内見学のほか、郊外イヴリーヌ県で重度障害児施設なども訪れた。その後、中部フランスへ向かった。途中、ロワール川の城めぐりということで世界遺産としても登録されているシャンボール城も訪れた。
「ロワール渓谷」には、流域約200㎞にわたってルネサンス期に貴族たちが競い合うように城館や庭園を築き、美しい丘陵とブドウ畑が広がっている。今では、シリアル・ノミネーション(連続する遺産群)と文化的景観の代表例の一つとしても紹介されている。訪れた日は観光客も少なく、フランス・ルネッサンス様式の最高傑作として知られるシャンボールの城は静かなたたずまいを見せていた。盲導犬マリーナに引かれて歩くIさんの手を引いて城の周りの庭園を一回りしながら案内したことを思い出す。
そこからさらに南下してリモージュの町に至った。世界的に知られた磁器の町(Porcelaine de Limoges)、有田焼や中国の青磁なども展示された陶磁器の博物館見学も興味深かった。
壊さずに持ち帰らなければ、と心配しながら旅をつづけたその後の行程であったが、お蔭さまで我が家には不似合いな洒落たカップがいまも食器棚に収まっている。リムザン地方は、美しい丘陵地帯が広がり、湖水や古城、古い民家などが点在し、どこまでも広がる森の木立の緑に盛夏をまえにした明るい陽射しがまぶしく照り映えていた。そんな美しい風景がボヌール画伯の自慢、一行は一日スケッチ旅行に出かけ、画伯を交えて楽しいひと時を過ごした。
姥山代表の夫である姥山順次氏は素晴らしい書を書かれる人であるが、絵も好きでよく描いておられた。この時もメンバーとして参加されたし、合唱団の一員でもあったので氏とは幾度かご一緒する機会があった。残念ながら今年9月23日に逝去され、また一人親しい方が旅立たれ寂しくなった。 リモージュからリヨンを経て、南仏コート・ダ・ジュールに至り、ニースが最終地であった。その日、午前中は、市内を見学し、その後モナコ公国見学が予定されていた。海岸には美しい遊歩道があり、英国人の散歩道(Promenade des Anglais)と名付けられている。その内側にアルベール1世公園があり、通りを挟んでホテルがある。その玄関先に停車している貸切バスに乗っていただこうとロビーで待機中のお客様を案内した。車いす使用の方が数名おられたが、リフト付きのバスは準備できなかったので、手を引いたり後ろから支えるなどお手伝いしながら乗っていただいた。そのうちのお一人はそれも叶わず負ぶって案内することにした。貴重品の入ったリュックサックを運転台の前のダッシュボードに置き、ロビーまでそのお客様を呼びに行き、バスの乗車口を上り、座席にお連れした。そして、リュックサックを取りに運転台に戻った。運転手はバスから降りて前のバスの運転手と会話していたようだった。無人のハンドルの前には、何もなかった。一瞬、背中に水を浴びせられた思いであった。旅券、その日の夕方の会食代、クレジットカード、使い慣れたペンタックスのカメラなどが入っていた。目の前が真っ暗になり、すっかり気が動転してしまっていた。すでに乗り込んで後部の座席に座っておられたお客様に念のため、聞いてみたが勿論どなたもご存じなかった。ホテルのロビーまで戻ったほんの数分間の間の出来事であった。 ダッシュボードに置いておいたザックは多分公園で見ていた観光客目当ての輩(やから)がバスのステップに足をかけあっという間に盗んだとしか思えなかった。とはいっても犯人はまるで見当もつかず、周りを見回したがそれらしい人物も物も見当たらず、今更どうしようもなかった。 貴重品の管理にはくれぐれもご注意ください、と常々案内し、お願いしていた自分がこの体たらく、何ともお恥ずかしい限りであった。 とにかく、代表に事情を説明し、その日のガイドに午後までの案内などを頼んで、それから悪夢のような出来事の処理に走り回った。社へ電話での報告、クレジットカードの発行停止、警察への盗難届、旅券に代わる帰国のための一時証明発行願いの手続きなどがある。不幸なことに日本国領事館はニースではなく、230㎞離れたマルセーユにある。鉄道は運行回数も少なく時間的に間に合いそうになかったので、止む無くタクシーを借切らざるを得なかった。タクシー代がはるかに高いことは分かっていたが、この際それを云々している余裕はなかったし、片言のフランス語で何とか用を為すしかなかった。幸い、証明書も発行され、マルセーユから帰りの3時間、高速道路を快走する車窓から眺める青空がまぶしかったがぐったり寝込んでしまっていたような気がする。夕方、ホテルに戻り、姥山代表に万事うまく進んだことを報告したところ、涙を流して喜んでくださった。そして、皆さんから集めてくださったお見舞いのカンパまで賜った。今もあの時のありがたさは忘れない。
その日の夕食会は、サン・ジャン・フェラ岬の突端にあるGrand Hotel  du Cap Ferratのテラス・レストラン。飛び切りのおしゃれをしていきましょう、と案内もしてあり、あわただしくシャワーを浴び、着替えて今度は十分に注意してバスに乗車、お客様にご心配とご迷惑をかけたことをお詫びして出発した。ミシュランの星付きレストランは優雅のひとこと、テーブルには美しくキャンドルがともり、乾杯のシャンペンも格別であった。地中海に沈む夕日を眺めながら味わった豪華なディナーは最高!であった。 ニースからマルセーユまで警察や旅行会社、領事館を必死になって走り回って何とか明日の帰国には事なきを得たことで肩の荷を一気に下したような思いであった。
昨年10月、家族と南仏を回り、文字通り「いやしの旅」であったが、ニースのあの小公園の前、今はル・メリディアンと名前が変わっているがそのホテルの前に立つと17年前の苦い思い出が甦ってきた。   (資料 上から順に) 絵画 リムザンの風景 (アラン・ボヌール 1994年) パリ・ノートルダム寺院にて (1997年6月11日) シャンボール城 (1997年6月13日) リムザンの古城(1997年6月15日) スケッチするボヌール画伯(同上) 姥山順次氏と(アラン・ボヌール画伯宅にて  1997年6月15日) Grand Hotel du Cap Ferratにて(1997年6月18日) Le Meridien Hotel, Nice前の街路(2014年10月3日)

                           (2015/10/12)

                           小 野  鎭