2016.01.20 小野 鎭
一期一会地球旅91 「旅行業専門学校にて その3」

一期一会 地球旅 91

旅行業専門学校にて  その3  観光バリアフリー基礎を学ぶ

 2005年4月、新学期が始まり、ユニバーサルツーリズム学科が正式に始まった。第1期生UT17は女性ばかり4人であったが、元気いっぱい。その前年10月、学科説明会の最前列で熱心に聴いていた廣中美子さんの顔もあった。学生たち3人は20歳前後、その2.5倍が一人、そして担任である筆者は、3人の学生の3倍の年齢であった。高齢者や障がいのある人たちのことを考える上では、格好の存在になりそうでもあった。「何とか彼女たちが希望を抱いて入ってきたこの学科で所期の目的を達成させるようにしなければ」と若さに圧倒されながら、心に誓ってホームルーム、そして授業に臨んだ。 前期は、UT関係の専門科目というよりは、旅行業などに関係の深い基礎科目である旅行業法や国内・海外の旅行実務、観光地理そして就職試験対策や接客マナー、パソコンなどの授業があり、これに「観光バリアフリー基礎」が配された。この科目は、UT学科では専門としての必須科目であったが、学校内では、トラベル学科を始めとしてエアラインビジネス、ホテル等の各学科でもすべて取り入れられることになった。「1年前期ではなく、後期または、2年次に選択で」というところもあったが、いずれにしてもこれからの高齢社会における観光・鉄道関係あるいはホテル、ブライダルなど運輸・観光・サービス産業全般にバリアフリーということを意識させ、そのような心構えを持たせることが必要であり、学生たちにそれを学ばせて実社会に送り出そうという学校側の意図であった。全学的には、観光バリアフリーを授業計画の中ではダブらせないように配置することを目指したが、どうしても単数の講師では賄いきれないことは歴然としていた。そのための講師を招来することが必要になった。 そこで、もっと優しい旅への勉強会の会員であって講師経験のある人、あるいはそれにふさわしい人材の協力を仰いだ。視覚障害のある旅行者の支援をしたり、車いす使用の方の介助経験などが豊富な丹羽氏や紙氏に打診したところ、快諾をいただき、学校側にも伝えて本格的に臨んでいただけることになった。実は、二人とも元大手航空会社のパイロットあるいは航空機関士(フライトエンジニア)として長年のキャリアのある人たちであり海外事情にも明るく、エアラインビジネスやホテル学科などではとても親しみのある人々であったとおもう。同じ科目を複数の講師で担当する以上、授業の進め方や教材、外部からの特別講師の招聘など多くのことについて合同で進めることややりくりをうまく調整することも必要であった。勉強会で長年、運営委員としても活動していた仲間の存在がとてもありがたかった。様々な情報を交換し、授業内容をより有効にさらに実践的に進めていく上でも大いに活躍いただき、数年間担当していただいた。 いよいよ本格的に授業が始まり、UT学科の専門科目である「観光バリアフリー基礎」は完成したばかりの新しいテキストに沿って座学で、観光バリアフリーの意義や障害、このころから「障害」は「障がい」という書き方に変わって来ていることの背景にも触れた。バリアフリーからユニバーサルデザインへというふうに世の中の考え方も進化してきていること学ぶ一方、様々な実習を取り入れた。 高校時代に車いすを押したことがあるという学生も
あったがほとんどは初めてであり、一人が車いすに乗り、もう一人がそれを押して廊下を行き来することから始めた。校舎の入り口には五段の段差があったがスロープを設置してもらい、これを上り下りするときはさらに慎重な見守りと気遣いをした。次いで路上に出ては車道と歩道の段差を越えること、側溝の網目に車いすのタイヤが挟まらないように注意することも大切なことであった。すべてが、初めての経験であり、「見る」と「する」とは大違い、坂道や点字ブロックをうまく避けたり、凹凸のある道を快適に通る工夫など、ワイワイガヤガヤ、そしてキャーキャー・・・何しろ箸が転げてもおかしい、
若さいっぱいの年頃、とにかくにぎやかであった。巣鴨駅から少し歩くと巣鴨地蔵通り商店街がある。“おばあちゃんの原宿”と言われる楽しい通りで、ここを歩くと高齢社会そのもの(?)の姿が広がっている。とげぬき地蔵まで行っては、参拝者と話をしたり、2年間を通して、ここは格好の学びの場であった。 高齢者の疑似体験も興味深いプログラムであった。「うらしま太郎」と名付けられた一連の装具を身に着けて加齢現象から来る体力の衰えや認識の難しさを感じることでおとしよりの日常生活の不自由さや不便さを経験させた。これは、サービス業の現場でお客様と接するときの心構えや心づかいについて学ばせようとするものであった。特殊なゴーグル(メガネ)をかけて色の違いを経験すること、腕や脚に重りをつけて腕の上がりにくさを経験したり、歩行の不便さや階段の上がり下りの怖さを知ることも大切であった。 視覚障害のある方を特別講師として招き、目の不自由な方との接し方
や誘導の仕方、食事のときの案内の方法も実地に試した。興味深かったのは、「“多目的トイレ”は、広くていろいろなボタンや装置が付けられていて様々な機能があるとしても目の不自由な方にとっては、却って使いにくく、分かりにくいことが多い。むしろ、普通のトイレの方が手を伸ばせば分かり易いし、使いやすい」ということでもあった。盲導犬や介助犬の役割とそれを使う人への接し方も盲導犬協会の指導員から直接説明を聴いた。これも興味深い時間であった。 聴覚障害ということでは、以前に別のプログラムでお会いしたことのある松森果林氏に来ていただいた。耳が聞こえないということは、白杖や車いすなど目に見える障がいではないため、町で歩いていても一般には分かってもらえないことが多くそのために不便を覚えることも多いと聞いた。自分(筆者)は、テレビのコマーシャルの時は、音を消すことがよくあるが、松森氏からは、「コマーシャルのセリフをテロップで表現するよう放送局やスポンサーに働きかけている」ことなども聞いた。最近では、実際にそれをよく目にするし、通常番組でも、音声以外に文字が画面に加えられることが多くなってきている。学生たちは、授業の一つに手話があり、それを覚えるうえでもなおさら力が入ったようである。 障害分野が多岐にわたっており、共通の部分と多くのところで共通ではないと知ることが大切であることを少しずつ学んでいったと思う。十人十色というけれど、むしろ百人百通りでさえあろうと話したことを思い出す。高齢化社会、高齢社会、そして超高齢社会と様々な言い方があり、社会学的には、総人口に対する高齢者人口(65歳以上)の占める割合による分け方がある一方、年齢には関わりなく、運動や認知機能、身体能力の違いが様々であることを知ることも必要であった。世間では、「バリアフリー
からユニバーサルデザインへ」という考え方が普及し始めており、障がいの有無にかかわらず、また年齢や国籍、人種、宗教、言語などに関わらず、観光を楽しめる環境を作ることが望まれる、として観光バリアフリー基礎について学ぶことを説いた。その上で、「“バリアフリー旅行術”を学ぶことでユニバーサルツーリズムという考え方を広めるように努めて欲しい」と願いながら学生たちと接する日々であった。   (資料 上から順に、いずれも2005年~2006年) 巣鴨地蔵通り商店街 バリアフリーマップを真剣に眺める 盲導犬も忙中閑あり 高齢者疑似体験  

(2016/1/19)

小 野  鎭