2016.02.23 小野 鎭
一期一会地球旅96 「旅行業専門学校にて その8」

一期一会 地球旅 96

旅行業専門学校にて その8  バリアフリー旅行術(5)

《ローマの噴水のこと》 ローマの噴水について書いてあるM学生のレポートは興味深い。トレヴィに始まり、ナヴォーナ広場の四大大河、共和国広場のナイアディ、スペ
イン広場の船の泉など市内の有名なところをたくさん挙げており、その多くは広場にあることも触れている。さらには、古代ローマの水道と市民生活、噴水の仕組みなど、随分よく調べている。旅行前に調べていったのか、それとも現地に行ってあちこち歩いているうちに次第に興味が深くなっていったのか? 多分、その両方であろうとは思うが、立派なものである。 ところで、彼女が一番楽しかったこととして、3日目の自由行動日に友達とバスで市内をあちこち回り、歩き回ったことを書いている。トラックの運転手に手を振られて「これがイタリア人なんだ」と認識、底抜けの明るさとノリの良さ、「これがイタリア人気質なのか、良い意味でアバウト、悪く言うと“適当”であった」と面白い解釈をしている。そして、「ひたすら歩き回り、ガイドブック片手に教会などを見つけたら片っ端から突入! 人生で初めて教会をあんなに渡り歩いた。クリスチャンではないので失礼かと思いながらも、それでも建築を見ることが楽しかった。気がついたら、夕方、丘の上から夕焼けに染まったローマの街、サンピエトロ大聖堂も神々しく照ら
されているのを見た瞬間涙が出てきた」、とある。 丘とは多分“ピンチョの丘”であったと思われる。感極まったのであろう。自分が遥かな昔、初めてこの丘で味わった感動を思い出す。 彼女は、その日が20歳の誕生日、それだけに素晴らしい景色を見ることができて、とても幸せだったと、感激もひとしおであったらしい様子がうかがえる。その夜は誕生祝いを兼ねてUT学科一同で夕食会、前回書いたH学生も喜んでいた
グロッテ・デル・ポンペイオでのディナー。「20歳!ということで少しお洒落をして出かけたが、イタリアらしい温かみを感じるお店だった、先生ありがとう」と喜んでくれている。旅行出発に際して、お客様名簿を眺めて誕生日を迎えられるお客様があると、どこでお祝いしようかと策を練り、グループ全体でお祝いすることを心がけてきた。いくつになっても、誕生日を祝われることは嬉しいもの。これが異国であって、団のお客様全員で祝ってくださるということであれば一層強く思い出に残ることであろう。 《ポンペイに見る古代ローマ》 H学生は、無類のイタリア好きであった。歴史好きでもあり、それもハンパではない。古代エジプトからローマへ、古代史についての知識は驚くほどであり、世界遺産についても随分勉強していたらしい。加えて書くことも好きであり、レポートはA4版にビッシリ13ページもあった。筆者は、彼女たちを送り出した翌年度から世界遺産を講ずることになりそのためにも夢中で勉強した。H学生たちとローマへ行った2006年12月当時に、もし、古代史や世界遺産について彼女と議論したらとても太刀打ちできなかったであろう。 滞在4日目、12月8日はフリータイムであり、フィレンツェへ行きたいという希望者が多く、テルミニ(終着駅)へ行った。ところが当日は金曜日、おまけに聖母マリア受胎祭という祭日、つまり3連休の初日でありどこへ行くにもほとんどの列車は満席、何としても行きたいという4人を辛うじて送り出し、筆者はH学生とポンペイに行くことになった。古代ローマについての彼女のレポートは相当なものであったが、急遽訪れた「ポンペイに見る古代ローマ」と題するまとめの記述は素晴らしいもので私も舌を巻くほどであった。初冬のポンペイは観光客も少なく、ひっそりしていたが遺跡は数年来の雨や管理不足で至るところ見学ができなかったり、柵が張られたりしているところ
が目につき、世界遺産の保全と管理の難しさを見たような気がした。それでもグループではなかなか訪れる機会の少ない「ディオニソスの秘儀」を描いた見事なフレスコ画とその“ポンペイの赤”をじっくり眺めることができたのは幸運であった。ところがその後、思わぬトラブルに遭遇した。現業当時、ナポリとポンペイは20回以上訪れていると思うが、ほとんどの場合、それはローマから日帰りのバスツアーであった。個人で、しかも鉄道で行ったのはこの時が初めてであった。しかもフィレンツェへ行く予定であったものを急にこちらへ変更したことであり、何の準備も予習もしていなかった。時間と費用も極度に限られており、ほとんど行き当たりばったり、まったくお恥ずかしい話で無謀な行動であった! FS(イタリア鉄道)には、申し訳ないが、正直なところ
信頼感を抱いていなかったので、この日もローマに予定通り帰ることをひたすら願っていた。結局、嫌な予感は的中してしまい、ポンペイの駅からナポリまで戻る列車は予定の時間になってもおよそ到着する様子が無く、駅員に聞いても「何やらトラブルがあっていくつか前の駅で止まっており、いつここに到着するかはわからない?」とのこと。このままでは、ナポリからの便に間に合わない! 止む無く、タクシーでナポリ中央駅まで飛ばし、辛うじて、ユーロスター特急でローマにもどった。当日は夕方7時半から、団員全体での夕食が予定されており、それに遅れるわけにはいかない。必死の思いであった。この日のことをHは次のように書いている。 「テルミニに着いたのは、19時10分ごろ、すぐにタクシーでホテルへ。暴走する車の間を疾走するタクシー、それでも多くの街路はあちこちで半分通行止め状態が多く、やたらに時間がかかる。しかも通行分離帯がなく、車は入り乱れて走り、その間を大型スクーターなどが行き来していた。絶対こんな道は走りたくない! そして、やっと19時25分にホテル着、集合5分前であった。そんな怒涛の帰り道だった。だから余計に思い出深い。これから先、再びポンペイを訪れる時には、何があっても動じないであろう」 「ヘプバーン演じるアン王女は、映画の最後で、『今回訪問した国でどこが一番印象的でしたか?』という質問にこう答える」

 「Rome, By all means, Rome !」 ローマです。なんといっても、ローマです!

 「私の場合は『Rome』が『Pompeii』に変わる。
むしろ、『Italy』 に変えてもいいかもしれない。ローマは、十分見られなかった。見られなかったローマ、見られなかったイタリアがまだまだたくさんある。まさに、ローマは一日にして成らず。トレヴィの泉にコインを投げたから、きっとまた行けるだろう。いや、行くのだろう。コインを投げる行為は自らに対する誓いのような気がするのだ。『必ずローマに又来ます』と。 (中略) 今回のイタリア研修旅行では石畳の厳しさを知り、何よりも古代の偉大さを実感した。建物を見て泣くなんて、今までなかった。短いけれど貴重な5日間だった・・・・」 17UTの4人は、2007年3月、飛び立っていった。
実習でお世話になった特定非営利活動法人 ビーポップ様から、彼女たちの旅立ちへ餞(はなむけ)として、実習プログラム 霞ヶ浦と日帰りツアーEnjoy Heartの計画から終了までの動きをDVDに収めてくださり、これを贈ってくださった。その中には、それぞれが語った言葉が書き込まれている。 RN : UT学科では、人としてどうあるべきか、どう成長するべきかを、多くの方から学びました。学校で増やした「引出し」を十分使い、沢山の方々に喜んでいただけるよう旅のお手伝いをしたいと思います。 FH : とても、密度の濃い2年間でした。UT学科で勉強できて本当によかったです。これからの人生に必ず役に立つと信じています。 YH : バリアフリー旅行に興味を持ち、入学したのは53歳の時でした。介護旅行を含めたバリアフリー旅行に関わっていけることを嬉しく思います。先生方、級友たちに感謝の気持ちでいっぱいです。 FM : 素敵な人たちと出会うことができ、自分の世界が広がりました。価値ある時間を過ごし、物事に対する考え方が広がりました。 小野 : 泣いたり笑ったりの一年半が過ぎました。
最初のころは、車いすを押すのもおぼつかなかったし・・・ 彼女たちができるだけ多くを覚えて欲しい、そんな焦りの中で彼女たちは確実に育っていったと思います。エンジョイハートの夏の日、頷いたり、首を傾けたりしていたことが、きっと次のステップへの動機づけにつながっていったことと信じます。4人は私の誇りです。   (資料 上から順に 写真はいずれも2006年12月~2007年3月) トレヴィの泉では男子学生が活躍 ピンチョの丘の夕景 遠景はサンピエトロ大聖堂(資料 借用) グロッテ・デル・ポンペイオにて(右から2番目が20歳の彼女) ポンペイの赤・ディオニソスの秘儀 ナポリ中央駅・ユーロスターに間に合った! サンピエトロ広場にて Enjoy Heart B-POP様からいただいたメッセージ(DVD) 17UT 旅立ちの日  

                              (2016/2/21)

小 野  鎭