2016.03.23 小野 鎭
一期一会地球旅100 「良き仲間たちとの思い出 高校の同期生の旅行 その3」

一期一会 地球旅 100 良き仲間たちとの思い出 高校の同期生の旅行 その3

 地球旅を書き始めて、今号で100回、正直なところ、こんなに書く予定ではありませんでした。毎回1話完結で1年間つまり50乃至55回で終わるつもりでしたが下手の長談義で今になってしまったというところです。お読みくださっている方にはそろそろ飽きられた方も多いのではないかと気になっていますが、もう少し書きたいことがあり、今しばらくご容赦をお願いします。 さて、嘉穂高校の第12回卒業生(昭和35年=1960年)同期会メンバーの還暦記念「オーストリア、南ドイツそしてスイスアルプスの旅」はオーストリアのウィーン、ザルツブルクを経て、ドイツのミュンヘンから列車でスイス最大の町チューリヒに着き、そこから貸切バスでベルナーオーバーラント地方、インターラーケンから一歩入ったラウターブルンネンへ向かった。初めてこの地を訪れたのが1968年頃であってそれから多分40回近くは訪れているし、その多くが医療や福祉、農業、都市計画などの視察団の添乗ではあってもこの地域ではユングフラウやシルツホルンなど雄大な山岳風景を探勝することが多い。勿論、移牧などこの地方独特の畜産や酪農形態などの見学もあり、農家やチーズ作りの現場を訪ねたこともある。これまで様々な経験と現地ガイドやホテルのスタッフなどから学んだことが多いが、ついついバスの中での案内に力が入る。 ラウターブルンネンからケーブルカーでグリュッチアルプ
まで上り、そこからは鉄道でミューレンに向かう。いわばアルプスの中腹で海抜1500~1600m、巨大なU字谷の上部を走っており、車窓からはアイガー・メンヒ・ユングフラウなどベルナーオーバーラントの主役ともいえる山並みが手に取るように広がっている。澄んだ青空に白く輝く峰々が一行を歓迎してくれるような一大パノラマであった。 この雄大な風景に歓声を上げながら、みんな夢中でシャッターを切り、子どものころに帰ったようなはしゃぎ方であった。ミューレン(1620m)は、個人的には一番好きなアルプスの山岳リゾートであり、そこは自動車も走っていない静かでかわいいらしい村。そして、お連れするお客様をいつも暖かくもてなしてくれる
ホテルアイガーの歓迎にメンバーは大喜びであった。深さ800mはあろうかというラウターブルンネンの深い谷を挟んで目の前には手を伸ばせば届きそうな感じでユングフラウの巨大な垂直の壁が圧倒的な雄々しさで立ちはだかっている。夕食後、ユングフラウ山塊は夕日に照らされてピンクに染まり、やがて大きな月がエブネフリュー峰の右側に上ってきた。神々しいまでの美しさに感嘆の声が上がった。「月が出た!!」そして、ひとときうっとり、暮れなずむ山並みの荘厳な美しさに感動を覚え、「明日のシルツホルン周遊はきっと好天に恵まれるに違いない」と期待して眠りについた。 ミューレンの村は、明るい朝の陽射しを受けて静かな佇まい
を見せていた。ホテルからロープウェイの駅まで歩いて15分ほど、どの家も庭先や窓辺に花々を植えており青い空に映えて美しい。一行は、遠足に出かける小学生のようにはしゃぎ、足取りも軽かった。ロープウェイに乗り込み、中間駅のビルクで乗り換えて一気にシルツホルンの山頂目指してゴンドラは高度を上げていく。これまでの行いが良かったのだろう、この日は素晴らしい晴天であった。高度を上げるごとにミューレンの
集落と周辺の牧場が眼下に広がっていた。やがて頂上に着いた。ピッツグロリア(輝く頂:海抜2980m)からのパノラマは圧巻であった。昨夜眺めたユングフラウ山塊に並んで峩々たる山稜がどこまでも続き、神々しいまでの美しさと白い輝きにしばし感動、そして喜びの声が上がった。 シルツホルンからの下山は途中の
ビルクから徒歩でミューレンまで戻るというグループもあった。ロープウェイでの下山組は遥か眼下の斜面を元気よく降りていくメンバーに声援を送った。彼らが歩いている斜面の小さなくぼみには雪渓があり、それが溶けてしずくとなり、小さな流れとなっていく。そして小さな流れが集まってせせらぎとなって谷を下っていく。ラウターブルンネン峡谷には、たくさんの滝があり、なかには300mを超すシュタウバッハなどの名瀑もある。氷河の舌端から流れている冷たい流れと雪渓から流れ出したしずくが集まって滝となり、湖に流れ込み、やがてアーレ川はライン川となってドイツを潤してオランダから北海にそそぐ。この小さな流れが全長1320kmの大河ラインにつながっていることを思うと自然のスケールの大きさに驚く。そして、たくさんの源流の一つとして山の斜面にあるこの小さなせせらぎに愛おしさを覚える。 ミューレンの村に戻ってきたメンバーは、素朴な山の
レストランでビュントナーフライシュと名付けられた薄切りの干し肉やチーズとピクルスなどの昼食に舌鼓を打った。そして、高山植物と花々が咲き乱れた高原のトレッキング、アイガーやメンヒ、ユングフラウなどを仰ぎながら童心に帰っての楽しいひとときであった。 この旅行の最後の夕べは、ルツェルンで迎えた。ベルナーオーバーラントからチューリヒへの道筋にあたる中央スイス一帯は古くから開けていた。そして、この国発祥の地でもあった。フィアヴァルト・シュテッテ・ゼー(通称ルツェルン湖)の湖尻にあり、ここからロイス川の流れが始まっている。これもベルン地方から流れてくるアーレ川と合流してやがてライン川に注いでいる。パレスホテルはルツェルンを代表するホテルの一つであるが、この旅行の最後を満喫してほしいと思い、すべて湖側の部屋(Lake view Room)を確保してあった。前日までにホテルには電話を入れたりして全室がすべて湖側であることは確認してあったが、もし何かのミスがあって道路側に面した部屋が割り振られていると団員間に不公平が生じてトラブルの元になる。せっかくの機会であり、最後まで間違いが起きないように、と入念に確認してチェックインを終えた。お陰様でわずか一晩ではあったが、一行にとっては、この旅行中では前日までのミューレンの山の宿に続いてもっとも印象的な湖畔の宿であったと思う。 最後の夕食は、シュタットケラー(Stadtkeller)で楽しんでいただいた。旧市街にあり、スイスのフォークロール、日本流に言えば
民謡酒場兼レストランといえばよいであろうか、チーズフォンデュ、フォンデュ・ブルギニョンなどスイスの田舎風料理とワイン、これにヨーデルやアルプホルン、カウベル、そしてアコーディオンやスイス独特の民俗楽器などを加えたアトラクションがある。食事が終わるとお客もステージに呼ばれてアルプホルンを吹いたり、バンドと一緒になってさらに盛り上がる。やがて客全員が列を作ってバンドのリズムに合わせて店内を行進する。列の先頭には牛のぬいぐるみをつけたバンドのメンバーがおどけてさらに笑いを呼ぶ。ここでも各国の観光客との交流を深め、一番楽しんだのは我がグループであっただろう。やがて、宴が終わり、
旧市街から河畔までそぞろ歩いてくるとこの町のランドマークであるカペル橋があった。ロイス川の川面や湖面には町の灯が美しく映っていた。酔った頬に夜風が心地よい。グループは輪になって、この旅で三度目の校歌斉唱、そして三々七の手拍子で締めくくった。KHS12回生の「還暦記念 オーストリア、南ドイツそしてスイスアルプスの旅」が最高潮に達したときであった。 (資料 上から順に 写真はいずれも2002年6月) ミューレンから見たアイガー(3970m)とメンヒ(4099m) ユングフラウ山塊エブネフリュー峰(3960m)にかかる月 花々が咲き乱れる美しい村ミューレン シルツホルン山頂(2970m)ピッツグロリアにて ビルクからミューレンへ徒歩で下山する健脚組 アイガー・メンヒ・ユングフラウ(4158m)をバックにトレッキングする人たち シュタットケラー(ルツェルン)での夕食会 ルツェルン湖畔にて  

(2016/3/21)

小 野  鎭