2016.04.13 小野 鎭
一期一会地球旅103「良き仲間たちとの思い出 高校の同期生の旅行 その6」

一期一会 地球旅 103

良き仲間たちとの思い出 高校の同期生の旅行 その6

(錦秋の京都から城崎へ)

タイへの旅行が終わって年が変わった2005年の春先、最初の還暦記念欧州と併せて二度の海外旅行をしたので次は国内を考えてみよう、と話があった。女性陣などからも国内であれば日数は短いし家族の同意も得やすい、身体的にもあまり無理がないなどの意見が寄せられていたのかもしれない。筆者は、海外は得意であるが国内は通り一遍の知識しか持ち得ていない。むしろ、国内旅行についていえば私よりはるかに詳しいメンバーもあるだろう。どこから手を付けようかと考えていたところ、紅葉の時期に京都の寺院をめぐり、そこから天橋立、名湯で名高い城崎などを回るコースが喜ばれるのではないか、と助言があった。これらの地域は、福岡と関東いずれからも等距離にあり、関西在住のメンバーからは地元であるだけにより有用な情報も提供してもらえるかもしれない。同期会の有松代表氏自身も学生時代は京都で過ごしており、きっと詳しいであろう。自分は、偶々2005年当時は旅行業専門学校に在職しており、この年12月上旬に国内研修旅行で京都を訪れることになっていた。つまり同じ年の11~12月にかけて2度続けて京都に行くことになることが予想された。そこで、渡りに船とばかり、晩秋から初冬にかけての都大路についてよりいっそう真剣に調べた。 近年、京都は国内の旅行者はもとより、外国人客も大幅に増加しており、旅行面では一年を通じて繁忙期と言ってもいいであろう。京都を訪れる年間の旅行者数は、5500万人を超えるとのこと(京都市 京都観光総合調査 平成26年)で世界的に見ても一大観光都市である(トラベル&レジャー誌 人気投票第1位)が、当時からその兆しは見えていたらしい。このときも不幸な予想はあたっていて、京都市内では、手ごろな宿泊先が確保できず、琵琶湖湖畔の大型ホテルに宿泊することになった。そこで、翌日は琵琶湖最南端の近くにある石山寺を見学し、次いで天橋立から城崎へ向かい、3日目は出石を経て神戸で解散というコースをとることになった。 2005年11月26日、京都駅に西から東から、そして関西勢と合計28名が集まった。3年前の欧州、前年のタイと二度の旅行に参加したメンバーがある一方、20年前の全校同窓会、あるいは卒業以来という懐かしい顔もあった。
幸い好天に恵まれ、最初に、洛東にある真正極楽寺真如堂を訪れた。優美な三重塔のたたずまいとそれにかかるまさに錦繍の紅葉が見事であった。次いで大本山天龍寺を訪ねた。広大な境内にある塔頭寺院のひとつ宝厳院を訪れた。嵐山を借景とする借景回遊式庭園である苔むした獅子吼の庭では紅葉が美しい絨毯を織り始めていた。典雅な風景に心洗われる思いであったが、実際には、後ろから押されるような有様で写真を撮るのも一苦労、たいへんな賑わいであった。晩秋の夕日は早くも沈んでしまい、琵琶湖畔のホテルへ向かった。途中の交通渋滞で予定よりかなり遅れての入館となり、あわただしい夕食であった。 翌朝も幸い好天であったが、思わず襟を立てたくなるような冷気で
あった。それだけに澄んだ青空に映える石山寺の境内の紅葉はこれも息をのむほどの美しさであった。本堂、多宝塔はいずれも国宝、他にも東大門(参道入口)や蓮如堂などの重文もあり、ゆっくり見学したいところであった。しかし、この時は添乗業務を帯びており、拝観料の支払いなどもあり、あわただしく境内と多宝塔などを眺めることしかできなかった。楓や桜などが見事に色づいており、古刹の静かな佇まいと澄んだ青空に映えてひときわ鮮やかであった。ここで何といっても興味深かかったのは紫式部が新しい物語を作るために参籠したという話が伝えられていることである。残念ながら、
「源氏の間」は参観できなかったが、それでもこの名刹をほんのわずかとは言え、訪れることができて嬉しかった。世界的にも知られている源氏物語をほとんど読んだことがなく浅学は恥ずかしい限りであったが1000年前にこの物語がこの寺で練られたと知り、印象深いひとときであった。 その後、福知山盆地を抜けて、丹後地方へ向かった。和気あいあいの車中では、高校時代の思い出話などに花が咲き、大笑いしたり、少ししんみりしたりの楽しいドライブであった。やがて、日本三景の一つ天橋立に到着した。智恩寺の文殊堂に詣でたり、健脚者の中には砂州全体が公園となっている一本道を
半分近くまで行ってきた人たちもあった。その後、対岸の府中公園にまわり、ケーブルカーで傘松公園へ上がった。終点から展望台に上がるにはさらに急な坂道がある。日ごろ山歩きなどで鍛えている人と歩行が得意ではない人もあり、その差が徐々に表れている年代でもあった。展望台からは、男はもとより、女性グループもあまり気にせずに“股のぞき”をして「斜め一文字」と呼ばれる名勝を眺めながら、そのユーモラスなスタイルに大笑いであった。 城崎温泉では、評判の西村屋ホテル招月庭に泊まった。10数年前の関東地区同期生有志の箱根への旅行では担当社員の寝坊でバスが遅れるという大失態を演じており、国内旅行ではあまり自信が無かった。しかし、今回は貸切バスとガイド、そして城崎のホテルも好評であった。懇親会の食事内容も喜ばれ、余興のカラオケではのど自慢や吟詠など大変な賑わい、手拍子も弾んで大人の気分を満喫した一夜であった。お陰で、昔犯した不手際の汚名を返上できたような気がした。
翌日は、北但の初冬風景を車窓に眺めながら出石(いずし)へ出て名物の蕎麦を味わい、神戸へ向かった。夕方、新神戸駅でまた会えることを願いつつ、西へ、東へと帰路に着いた。こうして「錦秋の京都から城崎への旅」は文字通り、晩秋の都大路、そして石山寺や丹波から北但地方のしっとりした風景を楽しむことができた。良き仲間たちは、半世紀近く前の青春時代を懐かしみ、思い出も新たに旅が終わった。 ところが、実は神戸への車中で「もう一度ヨーロッパへ行きたいね」
という話が出ていた。出どころはかつての旅行参加者であったのか、「これまでは参加の機会が無かったので次はぜひ参加したい」と機会を願っていたメンバーであったのかそれはわからない。そこで、「行くとすれば、前回とは違った味わいのあるところが良いね」ということで北欧や中部ヨーロッパ、あるいはイタリアやフランスなど、新たな旅へのいざないに話題が盛り上がっていった。そしてこの年も暮れるころ、有松氏から次の旅行を本格的に考えてみようと話があった。そして、当時、テレビの旅番組などでもよく紹介されていたハプスブルク王朝ゆかりの国や都市、地域を巡るプランを考えることになった。 (以下、次号) (資料 上から順に いずれも2005年11月) 天龍寺にて 石山寺境内。名前の由来通り、凝灰石の上にこの寺は建っているらしい。 石山寺東大門にて 天橋立 斜め一文字 出石にて 喜色満面の有松代表  

(2016/4/12)

小 野  鎭