2016.05.24 小野 鎭
一期一会地球旅109「いやしの旅 (その2)」

一期一会 地球旅 109

いやしの旅 (その2)

 航空便予約確保にあたっては診断書に加えて同意書(ほかにも2名様が求められた)を提出、そのうえで航空会社から承認を得るまでは心中穏やかならずの日々を過ごした。しかし、お客様にそのような不安を抱かせたくはない。一人のお客様は、同意書に署名することについては、弁護士にも相談したうえで、と仰っていた。同意するにあたって提示されている航空会社からの条件はそれほどの内容を含んでいた。出発数日前に予約の完全確保の連絡を得た時はホッと胸をなでおろし、23名全員が当初の予定通り出発することができた。メンバーの過半数が12時間余りの長距離飛行は初めての経験であったが機内では発作を起こす人も無ければ不安を訴える人も無かった。狭い機内ではあったが快適に過ごしてどこまでも続くシベリアの大地の上を飛び越えてウィーンに着いた。 日本とは7時間の時差があり、シュベヒャート空港に着いたのは午後3時45分、市内に向かうバスの車窓からは一面に青々とした麦畑が広がり、空はどこまでも青かった。ホテルにチェックインして夕食、ヨーロッパ第一夜とあって興奮冷めやらず元気な顔ぶれは食後の散歩へと地下鉄で10分あまり、都心にある市民公園へ出かけた。菩提樹やプラタナスの樹木が生い茂って緑いっぱい、木陰に立つシュトラウスやシューベルトの像を見上げて音楽の都に来たことを改めて実感した。公園を抜けてしばらく歩くとコンサートホールがあった。現地の人だけでなく、観光客らしい人も次々に入っていく。その夜はポピュラーな曲目が演奏されることを知り、みんなで入場した。
お馴染みのメロディーは耳に心地よく響く。長時間のフライト、夕食後の散歩、火照った頬に心地よい夕風を浴びてすっかりいい気分、しばらくすると猛烈な睡魔が襲ってきた。必死に眠気と戦っていたが、何人かは舟をこぎ始めた。ホールの係りや指揮者の困惑した顔は今も忘れない。たとえ慌ただしいスケジュールではあっても、コンサートや観劇は、旅行が始まって数日過ぎて現地の時間帯や生活のリズムにある程度身体を慣らした上で案内すべきであることを痛感した。全くお恥ずかしいウィーンの第一夜であった。 第一日目はもう一つ予定外のことがあった。今回は、車いす使用の方が3名あり、予めご希望を伺ってホテルは可能な限りアクセシブルルーム(車いすの方などへの対応のある部屋)を手配してあった。いずれもクィーンサイズのベッド(小型のダブルベッド)とシャワー&トイレ付きの部屋であり、バスタブ(浴槽)は付いていない。私の母以外のお二人は脳性まひで肢体不自由の20代のお子さんとその母親であり、今回も家族介助ということでご参加いただいている。それぞれお住いの浴室はバスタブとシャワーがあり、家族で入浴介助もしておられる。従って、家族は浴槽に浸かることを希望される。一泊だけならば我慢もするが連泊する以上はやはりバスタブ付きの部屋であってほしいとのこと。加えて、ダブルベッドではやはり不都合なのでツインベッドにして欲しいとの希望も付加された。 一般に日本のお客様は、ダブルベッドは好まれないことが多い。夫婦であってもツインベッドを志向されることが多く、バスタブはほとんど必須と言ってもいい。若い世代ではシャワーのみであってもかまわないという人もあるが年配者は総じてバスタブ希望である。 そこでホテル側にこのことを伝え、何とか工夫してほしいと申し出た。 ホテルの説明では、エキストラベッドを入れることはできるが、バスタブ付きのアクセシブルルームは無い、とのことであった。欧米のアクセシブル―ムはシャワー&トイレとクィーンサイズベッドというスタイルが多くこれは日本型と欧米型の文化の違いによるところが大きいのかも知れない。そこでお客様にその事情を説明し、お使いいただいているアクセシブルルームを引き続き利用いただくか、それとも普通タイプのお部屋への変更を希望されるかを伺った。その結果、普通タイプのツインルームに変更してほしいとのことであったので以後はそのようにさせていただいた。勿論、それをすべてに当てはめることはできないが、アクセシブルルームであっても彼我の違いがあることが多い。従って、旅行会社としてはこのようなことをよく承知してその都度ホテル側に確認し、お客様に説明して手配することの大切さを感じた。 翌日も抜けるような青空、先ずはシェーンブルン宮殿の見学。真夏の旅行最盛期とあって見学者入口には長い列ができていた。ガイドに案内されて団体はその列をぬって先に入ることができた。こんな時はグループでガイドを雇用していることの有利さを感じる。二階の見学コースへは大理石の大きな階段を上がって行くがエレベーターも設置されており歩行不自由な方や車いすの見学者などは難なく上がっていけることがありがたい。 宮殿内のたくさんの豪華な部屋や「鏡の間」と呼ばれる公式行事や謁見の場などを見学した後、庭園に出た。広い庭園には噴水や植え込みなどが巧みに配置されており、そのはるか奥には小高い丘がありグロリエッテと呼ばれる凱旋門が
立っている。美しい花壇をバックに記念写真を撮った。みんなの明るい笑顔を見ていると、長年の願いと昨年来の準備が整ってこの旅行を実現できたことが嬉しかった。パリやロンドンほどではないがウィーンもこれまでに幾度か訪れているが、それは医療や福祉、建築など専門家グループの添乗であった。今回も家族やその親しい方々から成る団体であり添乗と案内、つまり業務としての役割はあるがそれでも今回は「いやしの旅」として家族や自らへの労いの意味が大きい。手数料や利的行為は含ませていないことも事前に説明している。そんな背景もあり、家族や親しい人々が集ってこのグループができておりみんなの笑顔が明るく輝いて見えた。 シェーンブルン宮殿から市内へもどり、
市民公園を訪れた。昨夜訪れた人たちもあったが今度は全員で園内を散策し、続いてこの町のランドマークともいうべきシュテファン寺院を見学して午前の市内観光を終えた。午後は自由行動。オペラ座近くのカフェでウィーン名物のザッハートルテとアインシュペナー(日本でいうウィンナコーヒー)でお茶のひと時を楽しんだグループもあった。 ケルントナー通りの名店街を歩いた人もあったし、ホテルへ戻って休養した人たちもあった。
夕方は全員でプラター公園の観覧車に乗った。眼下にはドナウ川が悠々と流れ、目を転じるとこれから向かうウィーンの森と呼ばれる丘陵地が広がっていた。丘のふもと一帯にはブドウ畑があり、その一角にハイリゲンシュタットやグリンチンの集落があり、ホイリゲとよばれる居酒屋レストランが点在している。マイヤー・アム・プファールプラッツもその一つ、1817年頃楽聖ベートーヴェンも住んでいたという建物が今はホイリゲになっている。ワインやモスト(ぶどうジュース)と
家庭料理風の楽しい夕食であった。2日目の夕食ともなるとメンバーはお互いに馴染んできて和気あいあい、明日からのバス旅行はさらに楽しくなりそうな予感がした。(以下次号)     (資料 上から順に 最初の資料以外はいずれも2005年7月23日) ウィーン・コンツェルト・ハウス(資料借用) シェーンブルン宮殿の庭園にて。 ウィーン・市民公園にて。 ハイリゲンシュタットのホイリゲ マイヤー・アム・プファールプラッツの前で。 楽聖ベートーヴェンはハイリゲンシュタットでも4ヵ所で住んでいたとのこと。  

(2016/5/23)

小 野  鎭