2016.06.01 小野 鎭
一期一会地球旅110「いやしの旅 (その3)」

一期一会 地球旅 110

いやしの旅 (その3)

 旅行も3日目の朝ともなると、さわやかな目覚め、少しずつ時差にも慣れて、生活のリズムも落ち着いてくる。前夜、ホイーリゲ(居酒屋レストラン)で夕食を楽しみ、メンバーはお互いにより親しく朝のあいさつを交わすようになってきた。今日は移動日、豪華なブッフェ式朝食を楽しみ、出発集合へ向けてあわただしく時間が過ぎてゆく。車いす使用で介助の必要なメンバーなどはみんなよりたぶん一時間くらいは早く起床されているであろう。洗面や朝食にも時間がかかるし、トイレにもかなりの時間を見なければならないと聞いている。荷物も多い。ロビーに全員集合して、改めて朝の挨拶、体調異変はございませんか、忘れ物はありませんか、旅券は大丈夫ですか?などと注意を促しながら、ご機嫌を伺い、本日の予定を説明する。午前中は、約3時間半のバスドライブでバッド・イシュルへ向かい、そこで昼食。途中で一度休憩することもお伝えする。午後は、1時間半~2時間くらいで今日の目的地ザルツブルクへ、夕方は早めにホテルに入り、身体を休めましょう、などと案内する。

バスは45人くらい乗れる大型であるが、リフトはついていないので歩行が不自由な方は、ご家族あるいはメンバー相互に支援して乗降していただきたいこと、車いすはスーツケースなどと一緒に座席下のトランクに格納し、休憩地などでは車いすをすぐに準備するのでご心配なく、とお伝えする。添乗員も、乗降時などは可能な範囲でお手伝いしますがグループ全体の旅行行程を予定通り運ぶことが責務になっているのでご理解いただきたいと改めてお願いする。バスの座席は指定ではないので自由にお座りいただけるが歩行不自由な方とご家族などを優先していただきたい。また、旅行中は幾度も専用バスを使うので座席はお互いに席順を交替するなど工夫して、偏りのないようにお願いしたい。最前列は添乗員ならびに市内観光の時は現地ガイドが着席するので空けておいていただきたい、と案内かたがたお願いする。最初が肝心で、途中では説明しにくいこともあるし、不平が出ることもある。 ホテルを出発してウィーンの森の丘陵地の谷間を縫って低地オーストリアと呼ばれる広い田園地帯を西へ走る。明るい陽射しのもと、高速道路(アウトバーン)のドライブは快適で車窓には青々とした麦畑やはるかな丘陵地のふもと一帯
にはブドウ畑らしいものが見える。そして、ドナウ川が見え隠れして「美しく青きドナウ」を彷彿とさせる風景が広がっていた。途中、美しいバロック様式の建物とその内部の豪華さで有名なメルクの修道院が見えた。マリー・アントワネットがルイ16世の妃として嫁ぐためパリへ向かう途中で一泊したところしても知られている。そんなことをバスの中で説明したことは覚えている。 実は、この地域一帯は、「ヴァッハウ渓谷の文化的景観」という呼び方で2000年に世界遺産となっていたのであるが当時はそこまでの知識がなかった。この旅行から戻って、2年後に旅行業専門学校で世界遺産も受け持つことになって始めたにわか勉強で知ったことであった。今となっては遅きに失するが、バス旅行での案内もすることを約束した以上、もっと勉強しておくべきであったと、申し訳なく思っている。 リンツの街をはるかに望むサービスエリアでトイレストップを兼ねて30分ほど休憩した。背伸びをしたり、お茶を飲んだりして気分転換。トイレは車いす対応とあり、ここは無料であったと記憶している。ドライバーであるオーストリア人のヘルベルトは、がっしりした体躯、40歳くらいであろうか、英語はあまり達者ではなさそうであるが、筆者のドイツ語とて流暢とは言えない。しかし、そこはお互いに慣れたもので、やり取りに殆ど痛痒は感じない。コーヒーを飲みながら、うまくやろう!と改めて挨拶。この時に、全体の半分くらいの心づけをさりげなく渡すことも忘れてはならない。数日間のバスツアーなどでは、スルーガイド(Through Guide = 通しのガイド)を雇用することが多いが、筆者は、これまでの様々な分野の添乗経験を活かして自分自身でそれを兼務することがほとんどである。そのためには、ドライバーとの協調&協働は最重要な条件であるといってもいい、と心得ている。今回もうまく行きそうであり、彼は日本人の車いすのお客様を乗せたことはまだ経験がないが、ヨーロッパ人などでは時々ある、とのことであった。 休憩後、再び走り出し、やがて高速道路を降りて一般道に入り、小さな集落と美しい牧歌的な風景が車窓に続く。オーストリアに限らず、欧州では各国とも道路沿いや牧場や畑、森の中に野立て広告などは見当たらない。古い集落などは建物も伝統的な建築様式を維持するなど、景観保護という考え方が強いので自然と人間社会の営みの様子がとても美しく感じられる。やがて、周囲は山がちになり、湖水が点在し、景観はさらに美しさを増していく。ザルツカンマーグートと呼ばれる地域であり、「塩のご料地」という訳になるそうである。この地域は良質の岩塩の産出地として知られ、ハプスブルク帝国の直轄地であったとのこと、日本流にいえば「天領」ということになるのであろう。また、鉱泉が湧いているところもあり、観光保養集落が点在している。湖水地帯を縫ってトラウン川が流れており、
バッド・イシュル(Bad Ischl)の町がある。こじんまりした町であるが、古くから開けた温泉保養地であり、かつては皇帝一家の夏の住居があったことでも知られている。美しい流れのほとりに、皇室御用達であったこととしても有名なZaunner Konditlei(ツァウナー菓子舗)があり、この日の昼食はこのレストランを予定していた。女性のメンバーには、シシー(皇妃エリザベート)の写真がデザインされたチョコレートの小箱などが人気であった。ウィーンを発って4時間近いドライブの後にもかかわらず、小学生から90歳近くまでの年齢層の幅、肢体不自由、重度の知的障害のある方などもおられるが体調不良や精神的な動揺を起こす方もなく、順調にここまでやってくることができた。昼食後、すこし休憩して川沿いを散歩したりして、身体をほぐし、ザルツブルクを目指して出発した。 ザルツブルクまでは直行すれば1時間余りの距離であるがモント湖
のほとりで小休止した。町の中心にベネディクト派の修道院があり、聖ミヒャエル教会がある。外観はベージュ色と白の質素な感じであるが内部はゴシック様式の造りで高い天井と豪華な祭壇があり、ミュージカル映画「Sound of Music」の結婚式のシーンが撮られたそうである。教会の前にはパステルカラーのカラフルな通りが伸びていた。湖の向こうにはシャーフベルク山があり山頂までSL登山鉄道で楽に行けるとのこと。映画の中では、どこまでも広い緑の中でマリアがトラップ一家の子どもたちとドレミの歌を歌っていた風景を思い出す。湖畔の美しい草地で母はドライバーのヘルベルトに腕を支えられて嬉しそうに写真に収まっていた。

ザルツブルクはモーツァルトの生誕地としても知られている。中心街のゲートライデ通りの中ほどに彼の生家があり、いまは博物館になっている。多分300年以上前の古い建物であろうか、エレベーターは設置されておらず、車いすの方を負ぶって上がるには難がある。グループの案内は現地ガイドにお願いして、止む無く、
外の広場でお待ちいただき、アイスを食べながら休憩していただいた。しかし、この町一番の見どころ、ホーエン・ザルツブルク城のテラスまではケーブルカーがあり、みんなで美しい市街を展望することができた。 夜は、シュテルン・ブロイ(Stern Brau)という名前のビアレストランでのディナーショー。出演者たちがこの地方独特のコスチュームに身を包み、サウンド・オブ・ミュージックの歌とダンスで
楽しませてくれる。フィナーレではお客もステージに上がってみんなで合唱、大賑わいであった。お客はいずれも世界中からの観光客が大部分であり、老若男女、いろいろな言葉が飛び交っている。クラッシックもいいけれど、このような店ではポピュラーなメロディで手拍子と軽快なダンス、手をつなぎ、歌声を響かせて愉快に楽しく過ごすのが一番! こうして夜も更け、翌日はドイツのミュンヘンへ向かった。 (以下次号)

(資料 上から順に  最初以外は上から順に いずれも2005年7月) メルク修道院(資料借用) バッド・イシュル Zaunner Esplanade Café & Restaurant にて モント湖畔にて (母とヘルベルト運転手) ザルツブルク・モーツァルトハウス前にて ホーエン・ザルツブルク城テラスにて シュテルン・ブロイ(ビアレストラン)のフィナーレ  

(2016/5/31)

小 野  鎭