2016.06.29 小野 鎭
一期一会地球旅114「いやしの旅 (その7)」

一期一会 地球旅 114

いやしの旅 (その7)

 「いやしの旅」の最終地はルツェルンであった。チューリヒから1時間ほどの距離にあり、山紫水明という形容がぴったりの美しい町。ピラトスやリギ山といった名峰に囲まれ、晴れた空にはさらにその奥に白雪をいただくティトリスなど3000mを越すアルプス中央部の峻厳な山並みが続いていた。
フィアヴァルトシュテッテーゼー(Vierwaldstaettersee)という長い名前、通称ルツェルン湖から流れ出すロイス川を挟んで広がり、1000年以上も前から開けた町であり、湖畔を少し奥まで行くとスイス発祥の地などもある。いまでは国際的に知られた観光都市、一方では鉄道の要衝地、そして音楽関係では毎夏行われるルツェルン音楽祭でも知られている。湖畔には、大小のホテルやレストラン、美しい公園と散歩道、大教会と旧市街、それを取り囲む城壁など美しい風景が広がっている。ロイス川にはいくつかの橋が架かっているがとりわけ14世紀に造られたカペル橋と八角形の水の塔の風景がこの町のシンボルとしていつも登場している。
ミューレンでは、ホテルのいくつかの部屋から展望が芳しくないなど期待に沿えなかった方もあり、最後の宿ではこれを挽回しようと5つ星のパレスホテルで全室が湖に面した部屋〔Lake view room〕を手配してあった。この日は朝、ラウターブルンネンから快適なリフト付きバスで2時間ほどのドライブ、昼前にはホテルに入ることができた。チェックインをして
全室が期待通りの部屋として手配されていることを確認して安堵したが、各部屋からの眺めは午後3時過ぎに入室してからのお楽しみということで先ずは昼食。湖岸からロイス川に沿って10分ほど歩いてカペル橋のたもとにあるレストランでいただくことにしてあった。そして、午後はフリータイム、旅の最後を締めくくる夕食会を予定していた。 ところが昼食に出かけるためにホテル出発時、玄関先で一行のおひとりが転倒、顔面を強打されて救急車で州立病院へ、という不幸な事故が起きた。不幸中の幸いと言ってよいかどうかはお許しをいただかなければならないが、車いす使用のご子息は転落されることなく難を逃れられ、無事であったことが救いであった。とりあえず一行をレストランへ案内、
店のマネジャーに事情を説明し、食事代を前払いして自分はそのままタクシーで病院へ駆けつけた。一行のうち英会話のできる数名の方々に協力をお願いしてグループ全員は食事と午後のひとときを楽しみ、早めにホテルへ戻って各部屋に落ちついていただくようにとご案内した。お客様には外傷は無かったが内出血で大きな青あざができ、両腕も殴打されていてその痛みも訴えられていた。救急専門医による診察とX線診断などの結果、顔面強打と腕の打撲で当面の痛みはあるだろうが、骨折などは無く、頭部損傷も見当たらない。明日の日本までの航空便搭乗に支障はないので帰国後改めて診断を受けて、継続治療するようにとの説明であった。腫れもあり、痛みもかなりあるということでデイホスピタルのベッドでしばらく安静を保っていただいた。こんな時は、現地ガイドをつけず、添乗業務と現地案内を自分で兼務していることの不利があったが、これまでスイスに限らず欧米各国へ医療や看護事情視察団を幾度も案内し、数多くの医療施設を見学していた経験が役立ち、医師や会計などとのやり取りに苦労はなかった。お客様は旅行傷害保険を掛けておられたので保険会社へは電話でお客様の負傷について報告しておいた。お客様は、幸い、少しずつ痛みも治まってきてとのことで夕方には退院との目処もつき、筆者は一端ホテルへ戻り、メンバーご一行がそれぞれ部屋にお入りいただいていることを確認することができた。そして、夕食前にもう一度病院へ行き、少し落ち着かれたお客様をホテルまでお連れしてその夜はルームサービスでお食事をお摂りいただき、部屋でお休みいただいた。 お別れ夕食会は、旧市街にあるシュタットケラーというフォークロールを楽しみながらのディナーショー。チーズフォンデュは少々物足りなかったが伝統的なアルプホルンやヨーデル、素朴な農具や家具から作った楽器の演奏、
スイスの国旗をひるがえす見事なパフォーマンスなどに拍手喝さい。ステージに呼び上げられたお客はアルプホルンを吹いたり、ダンスを演じるなど、芸を披露した人にはビールのご馳走もあった。世界中から来た観光客で店内は大いに盛り上がり、いやしの旅の最後の夜が更けていった。 こうして最終日を迎え、チューリヒ空港へ。ここからウィーンへ飛び、乗り換えて成田に向かうことになっている。お客様始め母を含む三人は搭乗に備えて、
診断書に伴う搭乗同意書を改めてチェックされ、内心緊張したが無事搭乗券を得ることができた。同じことがウィーンでの乗り換えの時も行われた。「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」ということわざがあるが、次回からはできることならもっと上手に準備を進めて、このような思いはあまりしたくは無い、というのが率直な気持ちであった。 今では、「おからだの不自由な方へのお手伝い」あるいは「障がいのあるお客さま」や「病気やけがをされているお客さま」といった案内が各航空会社や鉄道会社などのホームページに設けられている。航空会社や鉄道会社などが積極的に障がいのある方や病気やけがをされているお客様、高齢や妊産婦などさまざまな方への対応に力を入れていることがよくわかる。診断書(Medif)を求められることはよくあると思われるし、病気のあるお客様であっても航空会社ではかなりのところまでは対応できる仕組みが整っている。多分、同意書を求められることは以前に比べると少なくなっているのではあるまいか。ほんの10数年前までは、多くのところで旅行会社はもちろん、航空会社の営業や予約担当部署でも“健常な人”のみをより強く意識していたらしい。 今年4月には、「障害者差別解消法」が施行された。一般企業や店舗、施設で障がいを理由に「不当な差別的取扱いをしてはならない」かつ「合理的な配慮をするようにしなければならない」と法律で定められている。旅行会社は、自らのサービス提供はもちろんあるが、航空・鉄道・バスなどの運送機関、ホテルやレストラン・観光施設などのサービスを組み合わせることや調整することで旅行を成立させている。そして、添乗員が現地で最終仕上げすることが大きな役割でもある。「合理的な配慮」をどこまで追及するかはその旅行会社や添乗員の努力にもよるところが大きいような気がする。 「いやしの旅」23名の旅行にはこうして歌あり、ワイン・ビールや名物料理、牧歌的な美しい景観もあればアルプスの荘厳で雄大な風景があった。各地の素朴な風習や文化などにも
触れていただくことができた。 家族や参加者同士、そしてグループ全体で11日間の楽しい行程を終えることができた。この時のコースはとても好評であり、自分としても自慢のルート、その翌年、2006年には高校同期生の還暦記念欧州旅行、2010年には「世界で一番美しい山を見に行こう!」ということでミューレンでの滞在を楽しんでいただいた。2011年にもミュンヘン~インスブルック~ザルツブルク~ウィーンと回った。2005年からは旅行業専門学校でユニバーサルツーリズムや世界遺産を受け持つことになり、教えることは学ぶことを実際に経験しながらの日々を過ごしてきた。現業当時はもっぱら視察や研修団をご案内していたことを思い出しながら今後は自らも旅行を楽しませていただこうと企画した「いやしの旅」はお陰様でとてもいい経験であったと今も懐かしく思い出す。
 あれから11年が過ぎようとしている。そして、母が逝ってから4年余りが過ぎた。自室の机の前には、母と撮った写真を数年前、妹がカレンダーにしてくれたので年月の部分だけ毎年張り替えてこれを眺めている。   (資料  上から順に、いずれも2005年7月当時) カペル橋と水の塔。 ルツェルン・パレスホテル。 パレスホテルからの眺め。 ルツェルン州立病院による診断書(全2ページ) パレスホテル 湖側のテラスにて。 チューリヒ空港では航空機まで車いすの方は貨物用リフト車で移動。 圧倒的な大きさのアイガーとメンヒ、右側はユングフラウの岸壁、手前の小さな集落がミューレン、その背後はラウターブルンネンの深い谷間(深さ7~800m)。 グリュッチアルプでの母との写真は毎年カレンダーに貼り換えている。      

(2016/6/27)

小 野  鎭