一期一会地球旅115「「世界一」を見に行こう (パラオ その1)」

一期一会 地球旅 115

「世界一」を見に行こう (パラオ その1)

1前にも書いたが1988年頃から重度の身体障害や肢体不自由のある方たちの旅行に力を入れてきた。 当時は、航空会社はもちろん、鉄道やバス、ホテルや観光施設等の地上手配でも車いすを使用しておられる方々への対応は概して難点も多く、容易に受け入れてもらえないことが多く、旅行環境はいいとは言えなかった。そして、旅行会社自体が障害のあるお客様への取り組みは積極的ではないことが多かった。筆者は、かねてより施設職員や障害者団体、研究者など専門家グループの研修や視察旅行に数多くかかわってきたので障害者福祉やこの分野の欧米などでの現地事情にはかなりの知識も持っていたし関心も高かった。そのような経験を活かしながら重度の障がい者の方々やその家族、ケアに携わるスタッフなどのグループ旅行に、より本格的に取り組み始めたのがその頃であった。

90年代に入ると障害者旅行に興味を覚えて取り組む会社も少しずつ出てきていたし、障がいのある方自身、あるいは旅行会社や航空会社の社員、学生など様々な人たちが勉強会を開き、政府観光局やマスコミも関心を寄せるようになり、新聞やテレビ等でも障害者旅行が取り上げられるようになってきた。90年代も後半になるとバリアフリー旅行という呼び方が一般化してきたし、障害者という表現は、「障がい者」という書き方が多くなってきた。今では、法律や学術関係など以外では、「障がい」という表現が一般的になってきている。一方で、ユニバーサルデザインという考え方が普及してきたこともあり、2000年代に入るとユニバーサルツーリズムとして、もっと幅広く旅行をとらえる考え方が紹介されるようになってきた。バリアフリー旅行が障がいのある方ごとに何らかの対処をしてその旅行をできるだけスムーズに進めるように交通手段や宿泊などの施設や設備を整えることに対して、ユニバーサルツーリズム(UT)は、障がいの有無にかかわらず誰もが参加しやすいように、最初から旅行環境を整えることを目指し、フレキシブルに対応できるようにしよう、という考え方と言ってもいいであろう。

駿台トラベル&ホテル専門学校のユニバーサルツーリズム(UT)学科開設へ向けての準備に加わり、2005年春に学科が開設されて学科長として人材の育成にも携わるようになった。この時の第一期生は、わずか4人とこじんまりしていたが専科生として現職の看護師も加わりバリアフリー基礎やバリアフリー旅行術など専門科目では一層熱心に学んでいる姿があった。教室内での学習と並行して、学校のある巣鴨駅周辺には「おばあちゃんの原宿」といわれる地蔵通り商店街もあり、超高齢社会の進展へ向けてもっと優しい旅の普及へ向けて実習に励み、秋にはホームヘルパー2級課程も併修した。講師には車いすを使っている方、視覚や聴覚に障害のある方、補助犬ユーザーなどにも加わっていただいた。従って、授業そのものはとても密度の濃いものであり、より実質的な内容であった。一年次は、教室と学校周辺での実習が多かったが、二年次になるとバリアフリー旅行の実践、日帰り旅行の企画立案と実際のお出かけへのお客様のご案内と介助などを体験させた。

このバリアフリー旅行の実践ということで協力していただいたのがさいたま市で地域福祉事業を行っておられる湯澤剛氏と小林佐和枝氏であった。両氏とは、当時すでに10数年前からご交誼いただいており、ニュージーランドやニューヨークへもお伴していた。2001年に、障害者の社会参加をすすめる会という組織を母体として特定非営利活動法人ビーポップを設立され、両団体が共働して心身障害者地域デイケア施設夢燈館を開設され、様々なプログラム行うことで心身障害者の社会参加を目指されていた。その一方で、障害児・者及び介助される方々の余暇活動、さらに障害分野における先駆的な活動を実践され、「あったらいいな」を次々にかたちにしておられる。福祉分野の研修や啓発活動、一時預かり/短期宿泊、教育プログラム、外出イベントなどがあり、年に数回日帰りや宿泊プログラムがあり、年末パーティーなどの楽しい催しもある。それらの延長線上の催しとして海外旅行を幾度か実施しておられる。最初は、2008年であった。UT学科が開設されて間もなくして湯澤氏から、いずれ海外旅行をぜひ計画したいので助言してほしいとの嬉しい話をいただいた。ただし、そこに至る前に、駿台の各種実習プログラムにおいて、このグループからはたくさんの協力をいただいた。それを先ず紹介したい。

2筆者は、旅行業務、主として海外研修や視察旅行の企画とその添乗は多分、業界のだれにも負けないと内心思っていたが、専門学校での学科運営や人材育成、カリキュラム作成等はまるで経験がなかった。学校の先輩諸氏から多くのことを教えてもらいながらも実習そのものは、ほとんど手探り状態であり、「もっと優しい旅への勉強会」の会員各位などの協力を仰ぎながら具体的な中身を組み立てていた。授業では、B-POPのスタッフN氏にも聴講いただき、現場からの声なども頂戴した。そのような経験を重ねながら学生たちの実習の場としてこの方々の協力をいただいた。最初は、霞ヶ浦でアクセスディンギという小型のヨットを使ってのお楽しみプログラムであった。初めての試みであり、当時、京成ホテルでバリアフリー化の推進に力を入れておられた秋元昭臣氏の協力を得た。2月の春まだ浅い日、湖水はまだ冷たく、湖上を渡ってくる風は思い切り寒かったが学生たちは、自分たちと同世代の障がいを持つ若い人たちとのふれあいを通じて肢体不自由や知的障害などについても知識を広め、参加者たちみんなはこの日のふれあいを楽しんだ。その後、霞ヶ浦へのお出かけの楽しい催しはスキップビーンズと名付けた外出プログラムの一つとして定着しているとのこと。

3二年次前期で学生たちは、日帰り旅行の企画立案と実践を経験した。旅行計画を提案するためには、障がいということについてもっとよく知ることが必要であり、午後のプログラムに参加してメンバーの皆さんと親しくなることに努めた。その上で、日帰りの楽しい外出プログラムとして、学生たちが一人ずつ提案することになった。そのうちの一つ 「浅草から隅田川下り、お台場へ」が“Enjoy Heart” と名付けられて実践された。下町情緒いっぱいの浅草寺参拝と仲見世の散策、超近代的なガラス張りのボート「ヒミコ」で船上遊覧の後、お台場での昼食と観覧車から見る新しい東京を二人の青年の介助と案内、4人の学生が交替で務めた。4その中には食事介助もあり、たくさんのことを経験し、学ばせていただいた。5この時は、B-POPのスタッフが一行を後ろからつかず離れず、ずっと追いかけて写真を撮り、記録を取ってくださった。お客様としての二人のメンバーは、そのことには気づかず、最後の観覧車の前で顔合わせ!全員そろって“Enjoy!”と上がった大歓声を思い出すと今も胸が熱くなる。この時のお出かけプログラムもスキップビーンズの一つのプログラムとしてその後も時々行われているらしい。学生たちの卒業にあたっては、ビーポップ様から素晴らしいメッセージをいただき、2007年3月、彼らは旅立っていった。

6このようにUT学科の実習プログラムで全面的に協力いただいた一方で、かねてより考えておられた海外旅行を来年あたり、つまり、2008年に実施したいので考えて欲しいとのお申し出があった。テーマは、ずばり「世界一」を見に行こうということであった。最初は、具体的には何を指しておられるのかわからなかったが、人工的な構築物などではなく、自然に親しむことを根底に置き、障がいのある人もない人も一緒に楽しめることを考えて欲しい、そして、第一回目は、「世界で一番美しい海を見に行こう」としたいとのことであった。世界一高い山や長い川であれば、世界地理でも紹介されているが世界一美しい海とは?ある程度主観的にならざるを得ないであろう。沖縄の海もあればハワイもあるだろう。はるか遠く、モルディブの海の美しさもよく聞いている。そうはいってもビーポップの利用者の皆さんにとって初めての試みであるとすればもっと手軽に行ける方がいいであろうし、何らかの拠り所があることが望ましい。そして、提案したのがパラオであった。次号でそのあたりのことを紹介させていただきたい。(以下次号)

 

(資料 上から順に)

オーストラリア ヴィクトリア州 バララットにて (1988年12月)

霞ヶ浦に遊ぶ(2006年2月)

ビーポップ・午後のプログラム タムタムバルーンに参加(2006年5月)

旅行計画について説明(2006年6月)

Enjoy Heart 本番 浅草寺境内にて(2006年7月)

パラオのハイビスカス(2008年12月)

(2016/7/5)

小 野  鎭