2016.08.02 小野 鎭
一期一会地球旅119「世界一きれいな海へ行こう! パラオ (その5)」

一期一会 地球旅 119

世界一きれいな海へ行こう! パラオ (その5)

いつの旅行もそうであるが、その地に慣れたころには次へ移る日であったり、短期旅行では早くも帰国日が近づいている。旅行が始まって中ごろまではなかなか到達しないが、半分を過ぎるとあっという間に日が過ぎ去っていく。 パラオもそうであった。この時が初めての海外旅行であった人もあったし、思い通りにはいかない不便な思いをする人もあったが美しい海と親しみを込めて接してくれる人々がたくさんあった。パラオでの滞在を楽しんでいるうちに4日目、そしてこの日の深夜には帰国の途に着くことになっていた。実際の帰国日は5日目の午前2時過ぎの便で発つことになっているが実質的には4日目が最終日であった。空港に向かう夜10時頃まではホテルの部屋は確保してあった。
そして、夕方までは自由行動、メンバーは三々五々、カヤックに挑戦したり、ジェリーフィッシュ(タコクラゲ)と泳ぐというオプショナルツアーに出かけたり、スーパーマーケットに買い物に行った人たちもあった。若い世代は誰もが行動的であり、物おじしない。 何かあったらフロントにメモを残していただきたいとお願いして、私自身も午前中は少しだけ外出した。ホテルから10分ほど歩いたところにベラウ国立博物館があった。入口前の庭にはパラオの伝統的な集会場であるアバイという三角屋根の建物があった。博物館は、パラオの自然と海や人々の生活の様子、この国が歩んできた歴史を知るうえで興味深かった。二階には、日本が南洋の島々を統治していた頃の様子なども写真で紹介されており、感慨深いものがあった。但し、2階へは階段しかなく、エレベーターは無かった。今はどうであろうか。午後は、午睡したり、帰国準備に過ごす人も多く、あまり無理をした人はいなかったようであった。
この日、パラオ最後の夕食は、パシフィック・リゾートの海を臨むレストラン、今ではココナツ・テラスという名前で呼ばれているらしいが太平洋に面したオープンエアで豪華なブッフェディナーであった。南海に落ちる夕日を眺めながらの夕食はきっとメンバーにとっても忘れられない思い出となったことであろう。 パシフィック・リゾートはコロール島のとなりのアラカベサン島にある。この島に渡る橋をバスで走っていたとき、すぐ近くには日本軍が使っていた飛行艇の空港跡が見えていたが、そのはるか向こうに長く大きな橋が架かっていた。地図には、KB Bridge (Koror Babeldaob Bridge)と書いてあったが、ガイドのヒロシ氏によると「日パ友好の橋」という別名があるとのこと。 最初は、韓国の建設会社が橋を建設したが、建設後間もなく橋は崩落して大事故となり、その後も普及されることなく国民は不便を強いられていたそうである。その後、日本の無償援助により2002年に再建されたとのこと。
 説明をするヒロシ氏の顔がなんとなく誇らしく見えたことを思い出す。今回、この思い出の記を書くために調べ直したところ、橋のたもとにある記念碑には、日本・パラオ友好の橋(Japan Palau Friendship Bridge)と刻まれているそうである。さらに、2012年には、この橋の完成10周年を記念してパラオでは記念切手も発行されたとのこと。コロール島とバベルダオブ島を結ぶこの国の幹線道路に架かる橋であり、その重要さがよくわかる。空港も橋を渡って少し走ったところにある。 パラオの旅から8年が過ぎようとしているが、現地で応援してくれたキクチ氏やヒロシ氏は今も大活躍らしい。ホームページを拝見すると、彼らの会社はさらに大きく発展しているであろうことがわかる。
ロック・アイランドが世界遺産となり、日本だけでなくアジアや多くの国からの観光客などでさらににぎやかになっていることであろう。昨年、天皇皇后両陛下がパラオを訪問され、第2次大戦で尊い命を亡くされた方々を慰霊された。先頃のキクチ氏からのメールには、次のような記述があった。「激戦地であったペリリュー島のオレンジビーチで両陛下にご説明をする大役を仰せつかり緊張しましたが一生の思い出になりました。」 初めての「世界一」を見に行こう、の旅行はお陰様で皆さんに予想していた以上に喜んでいただくことができた。 旅行を終えてしばらくして、ビーポップでは会報 B-POP Newsを発行された。そこには、楽しかった旅の思い出が綴られていた。 その中からいくつか紹介させていただこう。 パラオでの経験!
「世界一きれいな海をみにいこう!in Palau」・・・・それはもう、とにかく、楽しく、素晴らしい体験でした。  本当に、海が、「美しい」こと。そしてそれは、少なからず人の「努力」で保たれていること、その「努力」は、「社会」によって支えられていること。 たった4泊でしたが、私たちはいろいろなことに気づいては驚き、また「元気」と、「やる気」とをもらいました。これからの長い人生において、きっと色褪せずにのこり、力となってくれるこの体験に感謝します! ① みんなパラオを愛してる。 現地の人々は、皆さん自分の国を愛していることがよくわかります。 出会う人たちが「パラオへようこそ」。 不思議なもので、現地の方にこうして声をかけていただくと、心の奥にポッと灯がともったように暖かくなり、これからの一日、明日が楽しみになります。 ②パラオの人々 ③「パワー」&「ハート」 車いすの仲間がボートに乗るとき、モーちゃん、アレンと私たちが呼んでいた男性二人が「ヨイショ」と掛け声ひとつ、そして、車いすごとTちゃんをヒョイと持ち上げました。屈強な男性たちがいてくれてありがたーい・・・と思いましたが、それだけではないような気もします。「同じ高さで見たい」「同じ体験がしたい」 まず、この思いが大前提になければ! ④男も、女も! ⑤胸に残った思い出・・・
あっ・・という間の5日間、私たちの心には、数え切れないほどの「宝」がぎっしり詰まりました。なにより、現地の方々から「パラオを愛する心」がひたひたと溢れていて、いつの間にか私たちも心から「I love Palau!!」と言いたい気持ちが湧いて出てくるのです。 確かに、飛行機での長距離の移動は大変です。 それにパラオにも段差はあるし、ことばや制度等、馴れない者には、不便なことはたくさんあります。しかし、私たちは知りました。パラオを「楽しもう」という訪ねた者の想いがバリアを無くす原動力です。そして、この「想い」をパラオの人々と共有できたとき、バリアが亡くなり、島や海へのアクセスも可能にするでしょう。先ずは、「一緒に楽しいことをしよう!」が原点であり、スタート地点です。日本は、スロープやエレベーター等といったバリアフリー化はパラオより進んでいるかもしれませんが、スロープや手すりが無くてもパラオへの旅では、「自由」を感じました。 私たち「外国人」にこのような思いを抱かせてくれたパラオという国・人々に心から感謝します。 ほんとうに、ありがとうございました! (B-POP News Vol.65より抜粋) 「世界一きれいな海をみにいこう!」として提案したパラオであったが、2012年に「ロック・アイランドの南部ラグーン」が世界遺産として登録された。それも、海洋生物の宝庫である島と人々の住居跡としての複合遺産である。
445もの無人の島々やサンゴ礁、植物や鳥類、海洋生物の生態系や生物多様性。淡水湖と汽水湖など52の湖は多様な生物の宝庫、そのうちの一つがジェリーフィッシュである。また紀元前から2500年以上島々には人が住んでいて、17~18世紀ごろに無人島になり、集落の跡や壁画などが残っているという。残念ながらわが国には複合遺産は無い。また、海を主とした複合遺産は世界中に数か所しかなく、やはり「世界一きれいな海」と謳ったことはお許しいただけると思う。 (資料 上から順に、 一部を除いて、いずれも2008年12月撮影) ベラウ国立博物館 園内にあるアバイ(伝統的な集会場) パシフック・リゾート・ホテルのレストラン 日本パラオ友好の橋 10周年記念切手 ロックアイランドツアーの頼もしい面々 B-POP News 澄んだ青空にハイビスカスがひときわ鮮やか! 世界遺産 ロック・アイランドの南部ラグーン(資料借用) 2012年登録 複合遺産 登録基準 (ⅲ)(ⅴ)(ⅶ)(ⅸ)(ⅹ) (2016/8/2) 小 野  鎭