2016.10.05 小野 鎭
一期一会地球旅128「世界一美しい空を見に行こう ラップランドの旅(その2)」

世界一美しい空を見に行こう 128

ラップランドの旅 その2

厳寒あるいは極寒の地への旅行ということで手配と準備はこれまでにないほど入念かつ慎重にこれを進めていった。 とは言え、過去の経験から、特に北欧では、屋内に関する限り日本の多くの寒冷地対策よりは優れていると思われ、住み心地が良いであろうことは知っていた。従って、それ自体は心配していなかった。気がかりであったのは、むしろ屋外であった。個人的には北海道の富良野で氷点下20~25℃を2日間ほど経験したことがあるが30年近くも前のことであり、その感覚はほとんど残っていない。ハリニヴァ・リゾートではレンタルの防寒着を借りることを約束していただいていたが、それ以外の旅行先は自前で準備し、耐えなければならない。しかし、その準備について、お客様各位は大変というよりはどんな経験をするのだろうと、むしろ、前向きの期待があったかもしれない。 旅行手配をするうえで、ヘルシンキのガイドは、かつて70~90年代、ヘルシンキ在住のM氏に通訳や案内業務でずいぶんお世話になっていた。2008年に別の旅行でこの地を訪れた時、現地ガイドは中年の男性ガイドであったが、昔お世話になっていたM氏のことについて尋ねたところ、今も健在であると聞いた。そのときは、Mにお願いする余裕はなかったが、その後、大学の先生方が福祉や教育などでフィンランド訪問を希望され、視察先の手配や通訳業務をMにお願いしていた。今回は、ヘルシンキの市内観光や現地事情について生きた旅行情報を送ってくれていたし、冬の屋外では凍てついた路上で滑らないように注意してとのこと。ラップランド地方はもっと寒くて路上はほとんど凍結していて、車いすが雪にめり込むということは多分ないと思う、スリップしないようにとの注意、介助する人もさらに気を付けなければいけないだろうと付け加えられていた。また、今回はヘルシンキとラップランド地方を往復するので片道はロヴァニエミまでの夜行寝台列車「サンタクロース号」で行くということも喜ばれるのでは?と勧められるなど、貴重で有用な情報をもたらしてくれた。今回もヘルシンキで前後2回の滞在があり、彼の協力を得ることになり、気分的にはホッとするものを覚えた。 綿密な準備を重ねつついよいよ出発が近づいてきたがそんな折、スタッフの一人N氏のご尊父が急逝され、出発直前になって旅行参加を取りやめられたことはお気の毒であった。毎回の旅行や外出でビデオを撮り見事な思い出の動画にまとめていただいているが、今回は事務局のIさんやスタッフが交互に撮影班を引き受けることになった。 こうして、3月7日成田から飛び立った。成田からフィンランドの首都ヘルシンキまではモスクワ以外では、ヨーロッパでは最短の距離、10時間ほどであった。ヴァンター空港で30数年ぶりにMと再会、お互いに頭を見やってはニヤッと笑ったあとは久闊を叙する間もなく、昨日からの続きのように自然に到着後の案内に移っていった。空港から市内へ向かうリフト付き大型バスの車窓から見る風景にはそれほど極端な寒さは感じなかった。
道路端に積み上げられた雪、車道は除雪され車はごく自然に走っているし、市民の足といわれる市電も順調に走っていた。日本の豪雪地帯の風景を見ていると寒冷地ではどこでもかなりの積雪を想像する。しかし、ここでは公園や住宅地はどの屋根も白一色であるが、少なくとも市街地の道路交通にそれほど大きな影響が出ているとは思えなかった。一年の内、半年近くはそういう気候状態であるであろうし、一般的には日本ほどの豪雪は降らないので様々なインフラがそのように整えられているということであろう。しかし、ホテルの周辺は一面雪で覆われており、バスを降りた玄関前の路上は、凍結しているところもあり、思わず慎重に足を運んだ。気温は氷点下5℃くらいであっただろうか。空港に到着したのが午後3時過ぎであったが、ホテルに入ったのは4時半ごろ、すでに外は暗くなっていた。日本との時差は7時間であるが日の入りがずっと早いことを改めて感じさせられた。アジアで言えば、カムチャツカ半島の付け根部分とほぼ同じ緯度である。
翌日はヘルシンキの市内観光。幸い素晴らしい朝日が赤や白の美しい屋根やビル街を照らしていた。大寺院の前の広場はほとんど全部が凍てついた雪で覆われていた。心配していた雪道での車いす移動は介助者が滑らないようにと気配りすることで楽に動けそうであった。もう一つの観光名所、港へ行った。バルト海を横断してスウェーデンやエストニア、あるいは近くの島々を結ぶ大小のフェリーが出入りしている。
折しも、ストックホルムから到着したのであろうシルヤラインの浮かぶホテルとでも形容したい5万トンの大型フェリーが停泊し、港内に張りつめた氷が朝の陽射しを受けて眩しく光っていた。きっと主要な航路は砕氷されて大小の船舶が航行する上で異常がないように守られているのであろう。フィンランドは砕氷船の造船や艤装では世界でも第一流の技術を持っていると聞いたことがある。
港からさらにバスを進めていくと住宅街が広がり、その向こうに入江が広がる美しい市街地を望む公園があり、その向こうには雪原が広がっていた。バスを降りてスロープを下り、氷原を散歩した。ガイドのM氏から、この広い雪の原っぱ、夏はどうなっていると思いますか?と問いかけがあった。 サッカー場? 運動場? 芝生? 誰かが言った、海!
地図を見ると入江に沿ってカーブしている道路が伸びていた。その駐車場に入り、そこから夏の間はヨットが停泊している入江に続く道を下って海の上に出たのであった。
冬ならではの氷上の散歩であった。続いて海を見下ろす小高い丘の上に大きな金属製のモニュメントがひっそりたたずみ、そのわきにフィンランドを代表する作曲家ジャン・シベリウスの顔面彫刻がある。ロシアからの団体観光のグループも来ており、一帯は賑わっていた。傾斜した雪道はガチガチに凍っており、さすがにここは滑らないようにと一歩一歩踏みしめてのひと時であった。
こうして午前の観光を終え、午後はホテルで休養、夕方からグループの小林代表とお母様、そして団員代表とスタッフなどが大型タクシーでヘルシンキ郊外在住のミンナ・カンテ夫人宅へお茶に招かれ、一足先に出発した。残りのメンバーはそれからしばらくして、バスで中央駅へ向かった。ホテルから駅までは歩いても数分であるが、荷物もあり、折しも雪が舞い始め、気温はどんどん下がってきていた。多分、氷点下6~7℃になっていたかもしれない、駅のホームは屋根のない部分は雪に覆われており、ラップランドの主要都市ロヴァニエミへ夜行寝台で発つことになっていた。先発のミンナ・カンテ夫人宅訪問一行は次の停車駅ティクリアで乗車することになっていた。 (以下次号とさせていただきます。) 資料(上から順に、 写真はいずれも2013年3月撮影) マンネルハイム大通り ヘルシンキ大寺院の前、凍てついた雪道ではおもわず足に力が入る! ヘルシンキ港にて 雪原の散歩、さすがにここでは雪道に少し手こずられたようです。 冬だからできる海上の氷原! フィンランドを代表する作曲家ジャン・シベリウス シベリウス公園にて (2016/10/4) 小 野  鎭