2016.12.07 小野 鎭
一期一会地球旅137「地球の歴史を見に行こう その2 フェニックスへ」

一期一会 地球旅 137

地球の歴史を見に行こう その2 フェニックスへ

2015年9月17日、周到な準備と団員各位のご協力のおかげでチェックインもすべて順調、その後、セキュリティ・チェック、出国手続きを終えて搭乗ゲートへ。団員のお一人が旅行中に必要な常備薬をお持ちでそれは時間ごとの服用も必要であり、機内持ち込みが必要であった。事前準備と安全検査の係員に説明することで事なきを得た。長時間の飛行と前後の待ち時間などもかなりあるので、その間も薬の服用が必要であれば、それなりの対応をしておくことが肝要であることを再認識する。DL284便は、予定通り出発。10時間余の順調な飛行で日付変更線を通過し仮泊した後、ロサンゼルス着。国際線到着から国内線出発までのMCT(最短接続時間)はCIQ(出入国管理・税関検査・検疫=入国手続き)があるので90分以上とされているが、実際には入国審査で時間がかかることがおおく、加えて国内線搭乗口への移動と安全検査があるので2時間以上は欲しい。もし、不慣れな人や言葉が不自由な人であったり、何らかの支援を要する人であればもっと時間に余裕をとる方が良いかもしれない。
今回は車いすの方がお一人あったが、お母様とスタッフが1名付くことで動きはスムース、とは言いながらも空港職員が付いてくれる場合は、団員とは別の通路を通ることもあり、再合流するまで時間がかることがある。その間は連絡も取れないことが多いのでいささか不安も伴う。この時も入国審査を終え、国内線搭乗口へ入るための安全検査を受ける時に別ルートを通ることになり、姿を見失って慌てた。携帯電話もまだ米国内での送受信の準備もしていなかったため、相互連絡も叶わず、心配し、探すのに手間取ったが幸いおびただしい人混みの中で無事見つけてホッとした。LAX(ロサンゼルス空港)全米でも最大級の空港の一つ、デルタ航空一社で一つのターミナルビルを使用している。こんなターミナルビルが6~7ヵ所もあり、そのスケールの大きさに今更のごとく驚く。セキュリティ・チェックは日本よりはるかに厳しい。検査員は機械的でぶっきらぼうにして不愛想、こんな時は黙々と耐えて心証を良くするに限る。無事安全検査を終えて、全員がそろい、ホッと一息、次のフェニックス行の搭乗ゲートまで行って確認し、途中で土産物店やコーヒーショップ、トイレなどの所在場所も案内し、次の再集合時間と場所を決めて、それまでフリータイムとした。知的障害などの人もあり、万一はぐれる人が出てくると一大事、毎度のことで皆さんは十分承知しておられるが、それでも安全安心が最重要である。 代表の湯澤氏とスタッフの野崎氏の3人で先ずはクイックランチ。大きなハンバーガーとこれもちょっとした水筒ほどの大きさのコーヒーカップ。相変わらずのジャンボサイスで、これでもアメリカではレギュラー!湯澤氏はもとより映像と写真ではプロはだしの腕前を持つ野崎氏も今回のアメリカ旅行には並々ならぬ期待を寄せておられた。旅行事情のみならず多方面にわたる現代アメリカ文化と風俗習慣については小職も顔負けするほど事前勉強しておられた。メニューを見てすんなりオーダーされる。やがて運ばれてきた期待通り(?)の大きさのハンバーガーとラガービールやコークで先ずはアメリカ無事到着、乾杯! いずれ旅行後のDVDで紹介されるかもしれない。 こうしてLAXでの乗り継ぎを終えて再び機上へ。フェニックスまで1時間半、待ち合わせ時間中は動き回っていたが、機内で座席に収まるなりほとんど爆睡状態。
日本と西海岸ではこの時は16時間の時差、日本では出発翌日の午前6時過ぎであり、これまで徹夜明けにも等しい状態とあって猛烈な睡魔に襲われるのも無理はない。ロスからフェニックスへの空路はデスバレーや砂漠地帯上空であるの眼下には茶色か白っぽい風景が広がり、およそ緑は見当たない。やがて急速に市街地が広がり、あとは一気に下りていき、フェニックスのスカイハーバー空港に到着。昔は町はずれにあった小さな空港であったが、今では大西部を代表する大きな空港になっており、その周囲に市街地が広がっている。到着ゲートには現地在住の日本人ガイドの女性ガイドが出迎えてくれていた。彼女の案内で荷物を引き取り、トイレタイムをとったのち、貸切バス乗り場へ移動する。空港一帯から見上げる空はどこまでも青く、9月の中旬、まだまだ乾いた真夏を思わせる快適な暑さ、高さ数メートルはあるだろうか大きなサグゥワロ・サボテンが並木道のように続いている。 二階建ての家ほどもありそうな大型のHighway Coachは、荷物を格納するトランクルームもゆったり、49人乗り位いであろうか、乗車口には、数段のステップがあるので必要な人にはスタッフが相互に支援されて逐次乗車いただく。空港から都心まではわずか15~20分ほど、ところがバスは同じところを2回周り、なかなか空港の外への道路に出にくいらしい、というより、ドライバーは道に迷っている!? ガイド氏に言わせるとこのドライバーはラスベガス在住らしい。この大型バスはネヴァダからきてこのグループを乗せて4泊5日、ラスベガス迄の貸切ということでここが始発。フェニックスはどうやら不慣れらしく190㎝はあろうかという大柄でありながら真剣にハンドルを握って行き先をにらんでいる様子が何とも気の毒であった。そこで、右、左、直進、と小さく伝えながらやっと市街地に向かうことができた。日本では考えられないことであるが、タクシーや貸切バスに限らず、プロのドライバーであっても、よそから来ている例は難しくない。時にはアフリカや東欧、インドなどから来て間もない人が雇われていることもあり、地理不案内、という人もある。 15年振りに訪れたフェニックス、ますます市街地が広がっており、都心部にはさらに高層ビルが林立していた。
東西に走る大通りは真ん中に電車の線路があり、数年前にLRT(低床式鉄道)が開通している。いまでは市の北郊から都心部へ来て、東西に横切り、東南部のテンペ市方向へ抜けている。
フェニックスはアリゾナ州都、筆者が初めて訪れた40数年前、中心部から車で10分も走れば砂漠が広がっていたが、訪れる度に市街地が広がり、砂漠風景を見に行く距離も遠くなっていった。Valley of the Sun(太陽の盆地)と呼ばれる東西100㎞、南北60㎞位の広大な広がりがあり、その中央部に人口450万、全米12番目の大きな都市圏が広がっている。IT産業や金融、鉱業、そして観光といった多くの産業が振興し、特にサンシティやサンシティ・ウエスト、スコッツデールなどにはリタイアメント。コミュニティがたくさんあり、高齢者サービスや福祉。医療産業も盛んである。そんな背景もあってアリゾナ州はネヴァダに次ぐ全米2番目に経済発展し続けているとのこと。
筆者がたびたび訪れていた80年代後半からそれは続いているらしい。一方、西部の大都市は多くがそうであるが、東西南北に碁盤の目のように道路が伸びているが、公共交通機関と言えば、ほとんどバスくらいしかないことが多い。近年、少しずつLRT(Light Rail Transit)や地下鉄などが建設され始めているところも多いが依然としてクルマ中心の町であることには違いないようだ。フェニックスで走り出したLRTは市のご自慢と聞いたがが、この広大な都市圏でわずか1系統、あとは市バスと自家用車が主要な交通手段という社会は今も変わらない、と見受けた。
空港から20分強であっただろうか、都心のシェラトン・ダウンタウンに無事到着、冷房の効いた快適な館内に入り、チェックインを終え、皆様にはやっと落ち着いていただくことができた。前日、家を出てからは多分、20数時間は過ぎている。シャワーを浴びて、蘇生された思いであったに違いない。一休みして、かねて予約してあった「1130」という少々変わった名前のレストランで夕食。ホテルの向かい側にあるArizona Plazaというショッピングモールの中にあり、階段もなく車いすの方にも安心。ステーキをメインにした料理はそのボリュームにまたまた驚き、日本のような細やかさは望むべくもないが、とにかく大胆に召し上がっていただいた。ビールはグラスが配られず、小瓶がそのままテーブルに出される。つまり、グラスを使わずに瓶からラッパ飲みというのが西部風!デザートのアイスクリームやシャーベットが盛られたグラスはちょっとした花瓶ほどもありそうで3人で食べてもまだ残るくらい。とにかく何事もジャンボサイズというのが大西部? アメリカでは、肥満が大きな社会問題の一つとして取り上げられているが、さりとてそれぞれのサイズは依然として大きい。ボリュームたっぷりの盛り付けに慣れ切っているアメリカ人には細やかな日本流の心づかいや洒落た盛り付けなどはなかなか理解していただきにくいのではあるまいか。それやこれやの話題が飛び交い、アメリカでの第一夜が更けていった。 (以下、次号とさせていただきます。) (資料、上から順に) LAX デルタ航空ターミナル(資料借用) フェニックス・スカイハーバー空港(同上) サンシティの一部、航空写真(資料借用) フェニックス都心を走るLRT(次世代型路面電車) (資料借用) フェニックス・シェラトン・ダウンタウンのツインルーム(ゆったりした空間が羨ましい) (2016/12/5) 小 野  鎭