2017.05.03 小野 鎭
一期一会 地球旅157 地球の歴史を見に行こう ロサンゼルスにて(その7)

一期一会 地球旅 157 地球の歴史を見に行こう ロサンゼルスにて(その7)

今回の旅行の最終日の夕食はいろいろ考えた末、「Benihana」レストランで召し上がっていただくことを予定していた。
食事は、旅行の目的である視察や観光などと合わせて最大の楽しみの一つ。もちろん、各地で土産物を買うことも大切な旅の思い出となるが、これは個人差があるのでそのための時間を予め確保しておき、それぞれにお出でいただくこと旨としていた。
食事については、アメリカの場合、どこへ行ってもいわゆるアメリカンスタイルであるが、それでも景色のいい場所であるとか、何かのアトラクションがあるとか、時間や場所、予算など様々な条件の中でいつの場合もその都度、頭をひねってきた。   レストランを選ぶにあたっては、グループの場合は様々な条件を基にして、現地手配会社いわゆるランド・オペレーターに手配を依頼することが一般的であるが、それでも私は自ら開拓して手配することを心がけてきた。手配会社に頼めばもちろんほとんど間違いなく準備してもらえるが多くの場合、画一的なメニューが多く、当然のことながらそれなりの手数料も加算される。最初のころは、自分もその方法を取ることが多かったが、添乗経験を重ねるにつけ、そして幾度も訪れる土地も多くなってきたので次第に場数を踏み、自分で前もって電話しては現地払いでメニューを自分で選ぶこと等も試みてきた。回を重ねるごとに次第に馴染みと言えば大げさであるが、あそこではあの店、こちらではこのレストランに・・・など、特に名物料理やなにかの催しを行う場合は一層その傾向が強かった。直接いろいろ注文を付けてはお客様の印象に残る食事を準備することを心がけてきた。おかげでずいぶん好評を博すことも多かった。とは言いながら、千慮の一失ともいうべきお粗末なことも中には経験したこともある。そんなときはその旅行中に何とか失敗分を取り戻すように努めてきた。 今回は、幅広い年齢層とは言いながら比較的若い世代が多い、車いす使用の方もおられるし、他にも障がいのある方が数名おられる。美味しいことはもちろんであるができるだけ肩がこらず、格式ばったところは避ける方がよいだろう、そしてお店では心置きなく楽しんでいただけるところがいいだろう、
それやこれや考えた結果、サンタモニカにこのレストランがあることを思い出した。全米各地にあるこのレストランは、Hibachi Steakという呼び名が付けられた鉄板焼きが有名。コの字型のテーブルには大きな鉄板が張られてその周りに最大8人が座り、シェフが真ん中に立って一人ずつメニューを確認しながら目の前で料理する。前菜に始まり、数種類のお肉(またはロブスターやチキン)を大皿から出しては目の前のお客様それぞれに焼き方を聞きながら面白おかしく冗談を言いながら、見事な手さばきと大きなジェスチャーで手際よく味付けをしては客のお皿に配っていく。近くの別のテーブルではシェフが思い思いのショーマンシップを演じながら鉄板に向かっているのだろうか、周りのお客がやんやの喝采。どこかのテーブルでは誕生日のお祝いをしているグループもあり、ウェイターがケーキを捧げてHappy Birthday to you!と歌うと店内のあちこちでお祝いの歌に加わり、和気あいあいの楽しいときが過ぎていく。最後に焼き飯を仕立ててシェフはどうもありがとう、と言いながら引き揚げていく。お客はデザートのアイスクリームやシャーベットをいただきながらワイワイガヤガヤ、食後も暫し会話が弾む。 実は、筆者はこのレストランチェーンとは個人的にも思い出がある。もとはと言えば、このレストランの起原は、東京日本橋に今もある紅花レストラン。
最初の店を出したのは青木湯之助氏と聞いている。私が旅行会社に入った1964年から1,2年過ぎたころニューヨークの商事会社に来ないかと誘われたことがあった。この話を持ってきた人物はこの青木社長の友人であり、青木氏がニューヨークに行かれるための航空券を準備するのが私の役割であった。青木氏の子息は米国に留学していてレスリング選手として全米でも名前が高かったらしい。オリンピックの代表としても選ばれそうであったが米国籍が無く、それはかなわなかったとか。子息はロッキー青木という名前で過ごしていたが、日本に戻って父親の跡を継ぐことは望まなかったそうだ。米国で自らレストラン経営を目指してニューヨークでアイスクリーム売りから身を立て、やがて念願のBenihana Restaurantをマンハッタンのど真ん中に作ったのが1964年であったと聞いている。彼は同じステーキであってもアメリカ流のやり方ではなく、Samurai Styleとして、シェフには腰に包丁を差させた。そして、思い切り愉快なパフォーマンスをさせては面白おかしく客をもてなしながら目の前で鉄板焼きをしてはお客様を楽しませることを考えた。このベニハナ・スタイルが評判となり、次第に米国各地に店を出していったと聞いている。 筆者が初めて大西洋を越えてニューヨークの地を踏んだのは68年の夏であったが、マンハッタンにBenihanaがあると聞いていたので店を訪ねて行ったことを覚えている。
残念ながら、この時は、初めてのアメリカ入りであり、先輩社員がお膳立てしていた行程と食事であったので、この店に行くことはできなかった。しかし、その後、アメリカを訪れることが増えてきたので、ベニハナがあるときは各地でお客様をお連れすることが多かった。いつしか、私の旅のアドレスブックには、各地のBenihanaの住所と電話番号が増えていった。今と違って、インターネットなどはまだない時代であり、旅のアドレスブックは貴重な武器であった。ロッキー青木は、立志伝中の人物としても知られており、彼が著名人を迎えては一緒に写っている写真があちこちの店に貼ってあった。マンハッタンのその店で一度だけチラッと彼を見かけたことがあるが残念なら、ことばをかけることはできなかった。 そんなことを思い出しながら、サンタモニカの夕方のラッシュの中、お馴染みのBenihana の看板を見つけて店に入った。
この日はこのグループの最後の夕食会であったが、たまたまB-POPのスタッフの一人、鉄道については滅法強く、名人というニックネームのあるTさんの誕生日でもあり、みんなでお祝いをする計画も含まれていた。テーブルは隣り合わせて二つ準備されていた。一週間前、太平洋を渡ってロスに入り、乗り換えてフェニックスに至った。そしてサボテンが林立する原野と砂漠、高原をひた走ってグランドキャニオンへ。それからInter Stateを走り、セリグマンではルート66、さらに砂漠の不夜城ラスベガスで短い一夜を過ごした。そして、ここロサンゼルスへ至った長いようであっという間の8日間、各地での様々な思い出を語っては楽しい時間が過ぎていった。しばらくすると花火がチカチカと輝くケーキを携えてウェイターが現れた。みんなでHappy Birthday to Meijin!のお祝いの歌。メンバー各位にとって、そしてTさんにはきっと心に残るひと時であったと思う。 (資料 上から順に、いずれも2015年9月撮影) Benihana Santa Monica(資料借用) シェフの妙技がはじまる!(B-POP様提供) Benihana of Tokyo (1号店 資料借用) Rocky Aoki (Benihana 創業者 資料借用) シェフの妙技は最高潮!(B-POP様提供) Happy Birthday to 名人(B-POP様提供)

(2017/05/03) 小 野  鎭