一期一会 地球旅 172 リンデンハウス 秋の東北へ(14) 南三陸にて(4)

一期一会 地球旅 172

リンデンハウス 秋の東北へ(14) 南三陸にて(4)

志津川町の中心部であったところは、写真やテレビのニュースでみた瓦礫いっぱいの広い土地から大きく整地が進み、すこしずつ建物が建てられ始めていた。そして盛り土された高速道路の路盤のような形をした防潮堤の建設が進み、港まではわずかな距離であると思うが見通しは利かなかった。中心部を囲む高台も整地され住宅が建設され始めていた。そこまで上がれば、防潮堤に囲まれた一帯とそこからさらに港までを見渡すことができるであろうが、それだけの時間は無かった。盛り土されているところの向こう側に3階建ての鉄骨が無残な姿を残していた。かつての防災庁舎であった。テレビで幾度も見たあの様子は今も脳裏に鮮明に残っているし、一刻も早く高台へ逃げてください、とスピーカーを通して繰り返していたあの女性職員の悲壮な声が思い出される。彼女自身もその後、襲ってきた津波に飲み込まれてしまったと聞く。南三陸での震災の話題として多くの人の記憶に残っているであろう。この日のツアーに参加した人は誰もがそのことを知っていたが、語り部氏は、彼女のことを特に大きくマスコミは報じており、圧倒的な話題となっていったが実際にはもっと多くの職員や町の人たちが互いに逃げろ、逃げろ、とにかく高いところに行けと声を掛け合い、手を引きあって必死になって避難を呼びかけ合ったし、その途中で命を落とした人もある。そして、街は壊滅的な状態に陥っていったという。

五年半過ぎた今、日本全国、そして世界中から寄せていただいた支援と激励で自分たちは負けじと立ち上がっていること。皆さんに感謝しながら、日ごとに復旧させ、復興を目指して歩んでおり、実情を知っていただけることが嬉しいと、語り部氏の声がさらに大きくなっていった。町の人々、商店街、行政や学校、漁協、JAなど多くの組織や機関が互いに助け合い、連携して生きてきたことを知ってほしい。これからも震災は起きるであろうし、津波は襲ってくるでしょう、それは避けられないと思う。しかし、東日本で経験し、様々なことから得た知識と知恵について多くの人が学び、それを活かすことで今回のような大きな悲劇は二度と起きないように、私たちはこれからも語り続けていきたいと結んだ。

壊れた鉄骨だけの姿となった防災庁舎の建物は震災の遺構として保存されるとのこと。その前にある台には慰霊の花が手向けられ、線香があげられ、秋雨に濡れながら手を合わせるメンバーの姿が印象的であった。私たちがこの日訪れた一帯は、その後、さらに復興が進み、震災から6年経って今年、3月3日に南三陸さんさん商店街として、新たに再出発したと報じられていた。 また、南三陸サンオーレ海水浴場は瓦礫が散乱し、砂が流失していたが約3万㎥の砂が運び入れられて復旧したとのこと。今夏の海開きで、佐藤仁町長は「船が打ち上げられているのを見て、復活は難しいと思っていたがこうして復旧することができた。たくさんの子どもたちに遊びに来てほしい」と呼び掛けられたとのこと。(日経新聞2017年7月16日)この夏、この海水浴場は7年ぶりにきっと賑わったことであろう。

近年、ダークツーリズムなる呼び方が紹介されている。意味するところ被災地、あるいは多くの人命が失われた戦跡、あるいは原発事故があった場所、負の遺産と呼ばれるところなどを巡るツアーを指しているようだ。旅行会社があおっているという人もあるが私はそうは思わない。

そういう一面のある旅行、あるいは旅行会社やNPOなどもあるかもしれないが、大多数の人たちは純粋に真剣な気持ちでその地を訪れているはずである。かなりの費用と労力と時間をかけてボランティアとして参加している人もある。こちらはダークツーリズムというよりは、ボランティアツーリズムと呼ばれることが多く、近年さらに盛んになってきている。超高齢社会がさらに進行し、被災地等では高齢の人や自分自身では片づけることも容易ではない人も多く、苦難の日々を余儀なくされている様子が紹介されている。自然の猛威を受けて被災し、亡くなったり、住む場所と生活の基盤を失うなど大きくダメージを受けている人もある。一人でも多くの人がこれらの地を訪れてその様子を知り、現地で力を提供し、そこで費消することを含めて多くを理解することが必要であろうと考える。今は、被災地を訪れている旅行者であっても、自分たちがいつ同じ目に遭うかわからない。

日本列島は時に火山列島、あるいは地震列島と呼ばれることもある。否応なく大規模な火山噴火や台風、地震など様々な自然災害が起きるであろう。近年では気象庁などの観測技術も格段に進歩し、予報や避難への呼びかけなども以前よりずっと多く的確になってきていると思う。事実、昔であればもっと多くの被害や人命が失われているかもしれない自然の猛威に襲われているが多分被害の発生は未然に防がれ、軽減されているだろう。しかし、地球の温暖化の進行とともに、集中豪雨の発生は80年代に比べると1.5倍に増えているとも報じられている。自然災害の防止と軽減策は過去の経験から多くを学び、それをもとに普段から備えていくことが必要である。ダークツーリズムといういささか否のイメージに聞こえる呼び方に臆することなく真の姿を理解すべきであろう。

南三陸町で訪れた場所は多くはなかったが山と海、川と狭い平野と谷、そこには美しい里山があり、人々は豊かない日々を過ごしていたと思う。それが一瞬にして破壊され、苦難の道を過ごさなければならなかった。この6年半、たいへんなご苦労があったと思う。近頃ではあまり聞かなくなったが復興応援ソング「花は咲く」の歌詞にあるような風景が広がっていたのではないだろうか。所属している合唱団でも、この歌を幾度も歌った。歌詞の最初にある「♪真っ白な雪道に春風香る・・・♪」、震災は2011年3月11日に起きた。南三陸あたりでは、春まだ浅く、歌詞にあるような風景が広がっていたかもしれない。町の人たちはどんなことを感じながら、あの歌を歌い、そして、聞いたのであろうか。

リンデンハウスご一行の「秋の東北へ」の旅をご案内して宮城県各地を巡った2泊3日。驚きを禁じ得ないところもたくさんあったし、人々が復興へむけて力強く立ち上がっておられる様子がたくましく、そして、まぶしく見え、そこから自分自身も多くを学ばされたことを痛感する。この旅行を企画された寮長の中島三智子氏に敬意を表すると共に担当させていただけたことを感謝している。

⋰(資料:上から順に。写真は2016年10月15~17日撮影)

志津川町中心街であったところで語り部氏の説明に耳を傾ける。右後方は建設中の防潮堤。

お地蔵さんと慰霊の花。後方の鉄骨はかつての防災庁舎。

海開きを報じた新聞記事。(2017/7/16)

復興工事が進む志津川湾岸一帯(2016年10月17日段階の風景)

亡くなった人へ祈りをささげる。(石巻市立大川小学校跡にて)

(2017/08/21)

小 野   鎭