2017.10.24 小野 鎭
一期一会 地球旅 180 リンデンハウス 平和を願って広島へ(9) 宮島へ(1)
平和記念資料館での見学を終えた頃、空は眩しい青さ、そして暑さもかなりのものであった。メンバーの多くは展示物や写真を見て、原爆投下でもたらされたあまりの惨たらしさとその被害の大きさに衝撃を受けて呆然としたようであった。平和大通りを横切り、待っていたバスに戻った。式典も終わり広島の市内はすでに忙しく動いているようであった。とはいえ、この日は日曜日であり、平日に比べるとまだまだ交通量は少なかったと思う。10分足らずも走っただろうか、広島の味「おむすび・むさし」4階建ての大きなレストランに着いた。
ガイドブックやいろいろな資料にも案内が出ていたが、あれこれ考えたうえでこの店に決めたのはバス会社の担当者からも紹介を得ていたことととこの店に直接連絡をして得た様々な結果に基づいたからであった。現地に確たる拠り所が無い時は食事の手配についても一層神経を遣ってきた。海外添乗では特にその時の時間的制約、地理、名物料理など選ぶための条件がたくさんあった。食べることは旅の楽しみの大きな目的の一つであり「おざなりに決めること」は常に戒めてきた。 「おむすび」というと何となく手軽るに聞こえるが、この店は構えと言い、内容と言い、有数の老舗だと思う。3階までのぼり、大きな部屋のテーブルにあぐらをかく。ひんやりした板張りの座敷は猛暑で火照っ
た身体に心地よかった。早朝、5時過ぎに頬ばったのはおにぎりとサンドイッチ、その後はもっぱら水分補給のみ、メンバーはみんな腹ペコであった。この日は、名物の穴子御膳に舌鼓を打っていただいた。かなりのボリュームであったが皆さんは見ていて気持ちいい食べっぷりであった。食後は少し時間があったので涼しい部屋で食後のひと休み。そんなとき、ここで思いがけない方に出会った。私たちのグループのほかにもいくつかのグループらしい人たちが食事をしたり、団らんしていた。その一つに中学生らしい一行があり、食事を終えて一人ずつ立ち上がっては自己紹介をしながら一言ずつしゃべっている。聞くともなしに聞いていると、どうやら午前中に平和記念式典に参加した様子。多分、会場では自治体関係席に座っていたのであろう。それぞれが式典に参加した感想などをしゃべっているようであった。その団長と思しき方は、なんと東京のある区の区長であった。かつて障害者施設で法人関係業務に従事していたので東京都の福祉関係部局はもとより、区の関係部署にもよくお邪魔していた。区長にもたびたびお会いして親しくあいさつをさせていただいている。いまも会合などで年にいくどかお会いすることもある。どうやら遠くから先様も自分のことに気づかれて一瞬驚かれたようであったが、笑みを送ってくださった。早速、伺って直接挨拶をした。ご一行は区内の中学生グループで平和を願う作文などを書いて優秀なメンバーが選抜されて区の派遣で式典に参加された由。区の職員なども数名同行されており、ここで食事をした後、午後の新幹線で帰京されるとのこと。思いがけなく光栄でうれしい出会いであった。   休憩を終えて、市内を抜けて車窓から広島の街を少しだけ遠望しながら宮島口へ向かった。 宮島へ渡る手段は二つあった。多くの場合、JRか広電(広島電鉄)で廿日市市の宮島口まで行き、そこからフェリーで渡る方法。15分くらいの船旅はちょっと呆気ないが運行頻度も多く便利である。もう一つは、原爆ドームからほど近い元安橋から太田川を下り、広島湾を横切
って宮島に至る世界遺産航路、http://www.aqua-net-h.co.jp/heritage/ 高速船で45分の船旅である。両方の案内と近況情報を取り寄せてどちらにするか、お客様にも比較材料を提示して検討した。両者それぞれに魅力があるが、熟考した結果、世界遺産航路は見合わせた。理由は、高速船であるのでデッキなどはあまり広くはなく、座席についていることが多いらしいこと、天候などで海が荒れるとかなり揺れも想定され船酔いする人も出るかもしれない、もう一つ、大潮などで時間によっては、船腹が川底に触れる危険があり、便によっては運行できないこともあるかもしれない。もっとも、潮の干満は事前にわかっていることであり、天候さえ差し支えなければこちらは時間と運航便を選択すればよいので問題はないことがわかっていた。それらのことを考慮し、お客様と相談した結果、今回は宮島口から往復する方を選んだ。そして、こちらも実際には2社ある。2社とも昼間の往路は大鳥居付近まで近寄って絶景を楽しむことができるというおまけつきでもある。今回はJR西日本宮島フェリーを利用した。http://jr-miyajimaferry.co.jp/timetable/   宮島口までは広島市内中心部から40分余り、バスから降りると午後の一番暑い時間であったが、それでも海際とあって少しだけ涼しさを覚えた。昨日から運転してきてくれたドライバーのU氏、そしてこの日、早朝五時から明るい笑顔で案内してきてくれたガイドのSさんに見送られて乗船口へ向かった。かなり大きな船で、1階部分は車いすの方など歩行不自由な乗船者用の部屋と車両用空間、甲板を見ると大きく車いす
マークが描かれている。これはわかりやすい。客室は2~3階部分であり、見晴らしもいい。船上からの眺めはなかなかであった。目の前には弥山(みせん)を主峰とする高さ500m余り、全山緑の宮島が広がり、船尾からは広島市街の遠望、そして廿日市から大竹市に至る景色が悠々と広がっていた。緑濃い丘陵地の前に高層マンションや家並みが広がり、景勝地とあってホテルなどの建物もかなりある。海上を見るとカキなどの養殖であろうか筏(いかだ)と思われる木組みがたくさん浮かんでいた。船からの雄大な眺めを楽しんでいるうちにはるかに小さく見えていた大鳥居がぐんぐん近づいてきた。先ほどまでは海の上に浮かんでいるように見えていたが、朱塗りの大鳥居は大地にしっかり立っていた。神社本殿からずっと陸続きになっており、たくさんの人が鳥居の下から周囲一帯に近寄っているのが見えた。この日は大潮で午後の干潮時期とあって潮はずっと引いており、いつも以上に陸上部分が広がっているのだった。   ほどなく、宮島の桟橋に到着。ターミナルを出ると、ホテルから出迎えのマイクロバスが待ってくれていた。宮島は周囲30㎞余りであるが全島殆ど山がちで平地はあまりない。
厳島神社や寺院などとその周りに広がる門前町が主たる集落。土産物店や飲食店、宿泊施設や住宅が密集しており、通りはいずれもかなり狭く、曲がりくねっているところが多い。考えてみると昔から信仰の島として、たくさんの参拝客が訪れ、今も大いに栄えているが神社も寺も海岸部から弥山の山中・山上に集中している。この島を訪れる人は船着場からそのまま最短距離でこれらの宗教施設や参詣道に至っており、それも徒歩が殆どである。自動車は概ね昭和の時代になって普及してきたものであり、その点からいえば町づくりは自動車交通などについてはあまり意識されないまま今日に至ったのであろう。加えて、弥山一帯は、神域であり、天然記念物など自然や文化財保護の観点からも厳しく管理されている。道路建設や開発は容易ではあるまい。フェリー乗り場から今夜止宿するホテルまでは徒歩でも10分少々であるが、車で行くには弥山のふもとから山中を上り下りした狭く曲がりくねった道路をこれも10数分走ってたどり着いた。ホテルの案内を兼ねたドライバー氏はその間、携帯電話でホテルとやり取りしつつ、忙しくハンドルを切り、こちらの方がひやひやする。間もなくホテルに着いた。自動車ではホテルの裏玄関に着くことになり、それは5階部分になっている。エレベーターで2階へ降りるとロビーであった。宮島有数の「グランドホテル有もと」の一階玄関は静かな住宅街の通りに面している。厳島神社からは徒歩5分ほど、なかなか洒落た趣きであった。 (以下、次号とさせていただきます。)   (資料 上から順に。 ことわりのないもの以外は、2017年8月6日撮影) おむすび・むさし(土橋店)(同店 案内より) JR西日本宮島フェリーの航路(同社 案内より) 同上 この船に乗りました。(同上) 同上 甲板の車いすマーク、客室はすぐ前に入口あり。(筆者撮影) 船上からの風景、廿日市から竹原市方面、海には筏がたくさんあった。(同上) 大鳥居遠景 この時間は干潮で鳥居周辺にも多くの人が出ていた。   (2017/10/19) 小 野  鎭