2017.11.24 小野 鎭
一期一会 地球旅 184 リンデンハウス 宮城県の震災被災地巡りと平和を願って広島へ(二つの旅を終えて)
ここ十数回は昨年の宮城、そして今年の広島への旅行の思い出を書いてきた。いずれも2泊3日間の国内旅行であったので一般的には目新しさはなく、それほどこだわることもないと思われるが筆者にして見ればいろいろ考えさせられるものがあった。 そこで今一度振り返ることをお許し願いたい。   昨年秋は、宮城県松島湾から石巻、そして南三陸町、今
夏は広島市と宮島であった。いずれも観光は勿論含まれていたが毎回大きなテーマ掲げて計画を立案していった。旅行主催はグループホームのリンデンハウス、代表者は中島三智子氏であった。20数年前、知的障害関係の欧州視察研修団に参加されていた。帰ったらグループホームを建設する予定であり、そのためにこの研修旅行でもしっかり勉強したいと仰っていたことを思い出す。それから20数年、毎年頂く年賀状にはグループホームの様子について添え書きがあり、知的障害者の方々の社会参加に力を入れておられることに敬意を表していた。彼らは福祉工場や企業で働いており、それぞれの職場では大きな戦力になって大きな役割を果たしているらしい。毎年、2泊3日程度の旅行をしておられ、昨年からは筆者がお手伝いさせていただくことになった。毎回の旅行では観光はもちろんであるが、何かのテーマを掲げておられる。昨年は、東日本震災で被災された地域を訪ねること。今年は、ずばり「平和を願って広島へ」それがそのまま、ツアーのタイトルにもなっていた。     東日本大震災が起きたのは2011年3月11日、昨年の旅行はそれから5年半が過ぎたところであり、宮城県の海岸地域は震災とその直後に発生した津波で大きな被害を受けたところが多かった。松島湾に面した地域ではあの有名な瑞巌寺もそうであったし、石巻市は市街地の中心部が6~7mの津波に襲われて建物はもちろん、多数の人命も失われている。そして同じ被災地であっても多くの人たちが亡くなっ
たところもあれば、貴重な人命が救われたところもある。素早い避難行動で悲劇的な結果を免れたということを聞いている。震災とその直後に起きた津波への備えと的確な判断が功を奏したということなのであろう。反対に避難の方法を巡って人々が議論をしているうちに想像もしない大津波、これを海嘯(かいしょう)と呼ぶ人もあるが、北上川が逆流してきて小学校の校庭に避難していた学童や地域住民がこれに飲み込まれてしまって悲劇的な結末が生まれたとのこと。震災各地などにはその跡を示すモニュメントや慰霊の碑が建てられている。戦争や災害の跡地を巡る観光に「ダークツーリズム」という言葉も使われ始めている。中には興味本位で訪れている人もあると皮肉っぽく語られていることもあるが一部にはそういう人もあるかもしれないが大多数はそうではあるまい。失われた貴重な人命を悼み、大きな経済的損失を取り戻し、復興させるために支援し協力することにつながっていると確信する。被災地といわれるところで見た被害の大きさと失われた多くの人命のことを想い、メンバーが手を合わせて祈っていた姿を思い出す。   そして、この夏は広島。平和記念式典参加が目的であり、平和を願って広島を訪れた。人類史上初めて原子爆弾がさく裂してもたらした被害の大きさは多分だれもが想像さえしないほど大きかったのではないだろうか。1945年8月6日午前8時45分、広島上空で落とされた原爆リトルボーイは広島県産業奨励館の上空580mで爆発。直後に数万の命が失われ、被爆から2~4か月間に9万~16万6千人の人が亡くなったと推定されている。地上を襲った熱線は日光の数千倍、地表温度は約3,000℃(鉄が溶け始める温度は1,500℃)、爆風は440m(最大規模の竜巻が130m)、爆風圧は1㎡あたり35トン(世界遺産アカデミー発行3級テキストより)という巨大なエネルギーがもたらしたその被害は広島を市の町に変えてしまったのであろう。   毎年、8月6日、午前8時から広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式、通称、広島平和記念式典が行われており、この催しにはだれでも参加できることになっている。真夏の広島の暑さは
厳しく、旅行最盛期とあって旅
行手配は容易ではなかったが、幸い皆様のご希望に応えることができた。式典の後、原爆資料館の見学では多くの人の遺品であるとか、写真、日記などを見ることで原爆がもたらした被害の大きさに言葉を失うほどの衝撃を受けていたメンバーの様子が感じられた。メンバーからは、「原爆で亡くなった人たちのために、一生懸命に生きようと思いました」とか「平和記念式典に参加して、改めて平和の大切さを知りました。もう二度とこういうことが起きないようにと願いました」などの感想が語られていた。   原爆投下から72年目、原爆ドーム以外にもたくさんある遺構を外国人にも巡ってもらおうという動きが高まっている。 広島市を訪れる外国人は年を追って増えているが、見学先は一部の遺構に偏っており、滞在時間も短いという。 そこで、原爆遺構を巡りながら平和を考える「ピースツーリズム」を提唱し、順路策定が進められている。市内中心部各地に在る小学校の資料館や医療施設、様々な碑や貴重な資料のあるところなどを巡る順路が検討されているとある。アメリカのボストンには、独立戦争の史跡を巡る「フリーダムトレイル」があり、筆者も幾度か訪れているがとても分かりやすい。ピースツーリズムを策定するための懇談会の座長であり、平和記念資料館の元館長の原田浩氏は、「被爆地だからこそ伝えられる平和の大切さを感じてもらえるように知恵を絞りたい」と話し ておられるとのこと。(日経新聞 2017/8/6) 広島市が同市を2015年に訪れた外国人2,800人に実施したアンケートによると、出身国は88、欧州が4割を占めているという。米国16%、オーストラ リア15%、イタリア8%、英国5%、その一方で近隣の中国(1%)、韓国(0.2%)は少ないそうだ。(同上 日経新聞)。そういえば、今年、平和記念式典に参加するため入場迄1時間近く並んでいたが中国人や韓国人の姿はあまり見なかったことを思い出す。 核兵器がもたらす巨大で悲惨な被害の大きさは想像するに余りあるが、近年、近くの国でもその開発に力を入れていると報じられている。戦争反対は絶対であるが、その恐怖を取り
除くためにも私たちが考えなければならないことがたくさんあるようとおもう。     昨年の東日本大震災の被災地を訪れたこと、そして、今年は広島、ともに筆者自身も多くを教えられた旅行であり、お世話させていただきながらとても学びの
多い機会を得ることができた。改めて、この旅行を担当させていただいたことに対しましてリンデンハウス様に感謝を申し上げます。ありがとうございました。   (資料 上から順に) 石巻市門脇地区にて(2016/10/16) 石巻市立大川小学校跡にて(同上) 広島平和記念式典参加を終えて(2017/8/6) 広島市内にある原爆関連の主な施設・場所(広島市資料より借用) Map of Freedom Trail (ボストン市資料より借用) 原爆ドームを訪れた外国人旅行者(日経新聞 2017/8/6より借用)     (2017/11/23) 小 野  鎭