一期一会 地球旅 192 別版 ロサンゼルス地域近況

このところ、台湾への旅行について書いているが、閑話休題ということで今回はつい先だって行ってきた米国・ロサンゼルス地域の近況について飛び入りで書いてみたい。

株式会社 SPI あ・える倶楽部に勤める傍ら、社の了承を得て専門学校で世界遺産検定の受検対策講座に出講しているが一昨年秋からは、一つの学科のクラス担任という位置づけでキャリアカウンセリングを担当させていただいてきた。それよりも前、04年から別の専門学校でユニバーサルツーリズム学科開設から数年間学科長を務めさせていただいた経験なども見ていただいていたのかもしれない。今回はこの担当に直接かかわる業務ではなかったが研修旅行の引率として急な出張の命によるものであった。主たる滞在先は、ロサンゼルス中心部から南へ車で小一時間のトーランス市。具体的な業務内容は措くとして、今回訪れたこの町とLA(ロサンゼルス)中心部と都市圏南部一帯のことについて気づいたことを書かせていただこうと思う。多くは、アメリカの多くのところで見られることであり敢えて珍しいものではないかもしれないが新鮮に映ったところもあるし、一方ではこの地ならでは、ということもあったことを予めおことわりしておく。

米国に初めて足を下ろしたのは1967年の夏であった。多くの人は初めてアメリカに行ったとき、最初に降り立ったのはサンフランシスコであるとかロサンゼルス、あるいはハワイという人が多いと思うが自分はニューヨークであった。欧州内を3週間回ったのち、パリから大西洋を渡ってマンハッタンの摩天楼を機の窓から見下ろした時の感動はいまだに忘れない。そこから米国内数か所を回ってロサンゼルスに到着、さらにサンフランシスコを回ってホノルルから帰国、文字通り世界一周視察団の添乗であった。それから半世紀、ニューヨークに次いでLAを数十回は訪れている。最近では、07年、そして、15年と今回であった。とは言いながら、今回、LA中心部はほんの数時間訪れただけ、宿泊したのはトーランス市であり、そこからト市内やセンチュリーシティ、ウエストウッドのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)などを訪問した。

LA中心部は、3年前ビルトモアホテルに2泊、そのクラッシックなたたずまいは今も変わらなかったがその前のパーシング広場は当時より再整備され、大きな現代アートのオブジェが置かれ、洒落た趣に変わりつつあった。さらにそのわきには児童遊園地が作られ、ちょうど子供たちが歓声を挙げながら楽しんでいた。一帯はエスニックタウンとも呼ばれ、グランドセントラルマーケットは、40余りのレストランやカフェ、ショップなどが入っている。折しも昼時とあってフードコートは大変な盛況、人気の店舗には長く列が伸びていた。通りを渡った向かい側には、世界一短いといわれるAngel Flightと名付けられたクラッシックなスタイルのケーブルカーが動いており、観光客に大いに受けているらしい。そこから数ブロック、数本の通りに囲まれた一角は歴然と荒れた様子が見られる。ガイドブックにも治安の悪いエリアとして描かれており、全米第二の都市ロサンゼルスの恥ずべき一面ということであろうか。

近頃は、スマホでグーグルというスタイルが旅行先でもよく見られるが、自分は相変わらずのアナログ派、時代遅れといわれそうだがお構いなし。旅行中はガイドブックと地図無しでは不安この上もないし物足りない。毎回、前回使った地図を持参しては窓外の風景と地図を見比べながら町の様子を眺めることが楽しみ。そこで、新しい地図を求めては、また、次に使う。そんなわけで自室の地図を入れた箱はいつも満杯状態。今回も3年前の地図、さらにユニオン駅の案内書で仕入れたLA広域案内と併用、さらにもう一つ、今回の出張目的に関わる街路図(Gousha’s Street Atlas)を持参した。但し、これは87~88年版であるのでさすがに今回は用を為さないであるだろうし、新たに求めたいという思いながらそれも滞在中併用した。

The Last Bookstore はカリフォルニア州最大規模の親書と古書を取り扱っている書店として知られている。ダウンタウンにあり、前述の治安の悪いエリアのすぐそばにある。緊張しながらそのエリアをぬけてその店に地図を求めて入ってみた。ドアを開けて入ると警備員が2人陣取っている。空港と同じように安全検査を受けて、リュックサックを預けて店内に入る。クラッシックな趣で2階まで図書館並みの大きさ。膨大な書物やレコード、CDなどが売られているが残念ながら地図に関する限り、古いものしかなく求めているものはすでに今では出版されていないことが分かった。後でホテルに戻ってパソコンで調べて見たがやはり発行されていないことが分かった。需要が無いのかそれとも出版社がつぶれたのか、いずれにしても時代が変わっていることを認識せざるを得なかった。ところで、4日間にわたって、バスでかなり広い範囲を走り回り、その都度、持参のアトラスを使ったがこれは55ページの地図部分と42ページの索引から成っていて、新たに建設されたフリーウェイ(高速道路)を除けば街路図はそのまま今もあまり支障なく使えることが分かった。全米どこへ行っても先ず道路や区画が予定されていて後から街路が整備されていくという流れが多いことを感じる。見事なインフラの先取りというべきか。

今回は中心街で解散した後、昼食を含めて少人数ごとに数か所のチェックポイントを通ってリトル・東京の祭り広場に3時間半後にゴールすることになっていた。自分は、メトロセンターから地下鉄でユニオン駅まで行き、そこから集合地点まで徒歩10分ほどであった。LA地域ではクルマなしでは生活が成り立たないといわれているが、それでも中心街にはメトロラインという地下鉄網が完成し、今年で25年、年ごとに充実してきているとある。乗車するにあたっては、TAP (Transit Access Pass)を使うのが一般的。先ずはこのカードを買ってある程度の金額を払い込んでおいて必要に応じて使っていくのは関東のSuicaやPasmoとおなじ。ただし、乗車時間にPeakとOffがあるとか、高齢者、障がい者、学生、子ども(12歳以下)など様々な割引があるので上手に使わないと損をするかも。発券機には、英語のほかにスペイン語、日本語、中国語、韓国語、ヒンディ語、タイ語、ロシア語などでの案内もあるので、外国人旅行者にもわかりやすい。とは言いながら、指定された金額のドル札を入れるが要領が悪いのかなかなかうまくいかないこともある。使い慣れるまでは少々時間がかかるかも?

かつてリトル東京は大いに栄えていた。日本名の店舗が並び、商社の事務所もあったし、大小のホテルもあった。70~80年代、多くの日本人団体客が来ては土産物を買ったり、久しぶりの日本食を楽しんだり、出版物もたくさんあった。久しぶりに訪れたそこにはかつての賑わいは無く、ホテルオークラもDoubletree by Hiltonと呼び名も変わっていた。

ユニオン駅からここまで歩いて来る時、静岡大学で勉強したという現地在住の韓国人の男性から聞いた話ではいまではリトル東京の店舗などは韓国人がオーナーになっていることが多いとか。07年に訪れたときは衰退一方のこの地を見た時、言い知れぬ寂しさを覚えたが、それでも近年、ダウンタウン一帯の再開発と共にかつてのような活気があふれてきているという。日本のサブカルチャー関連店も増え、アニメやゲーム好きの観光客など親日・知日アメリカ人向けの日本的な町に変化しつつあるという。

最後に、今回5泊したトーランス市のことを紹介したい。LA市中心部から南へ12㎞とあるが、フリーウェイを走って30分程度というところかと思うが実際には小一時間かかることが多かった。勿論、朝夕のラッシュなど交通事情に左右されることはいずこも同じ。1911年に不動産開発業者J.S.Torranceによって創設されたとある。工業、商業、住宅地が整然と区画された都市基本計画に基づいて開発が進む一方、20年代には石油が発見されて一帯は人口が急増し発展したが50年代後半から原油の採掘量が急減し、63年までにすべての油井は撤去されたそうである。しかし、石油産業が枯渇した後も、石油関連、あるいはボーイング始め航空機関係、トヨタ自動車や本田技研工業、パナソニックなどの日系企業を含む約400以上の企業が集積し、盛んな産業活動を展開して現在に至っている。 筆者自身、過去に数回訪れているが88年には今回宿泊したモテルの向かい側にあるMarriottに泊まったことを懐かしく思い出した。当時に比べると一帯はさらに活気があり、美しく整備された市街地は整然として住み心地地がよさそうであった。今は、LA郡南部の商業の中心地でもあり、日系産業をはじめとして日本人や日系人が多いことでも知られている。中心部には、Del Amo Fashion Center があり、地下、地上2階の広大なショッピングモールは全米でも最大規模と紹介されている。Macy’sとNordstromというデパートの間に200の専門店やレストラン、カフェなどが入っている。その中には、ユニクロもあり、一階二階とかなりの売り場面積があった。平日の昼間は買い物客も少ないが夕方や週末はにぎやかであった。とはいってもスペースが広いので店舗内もモール内そのものも日本のそれに比べると買い物客もそれほどはいないし、店員その者の数も少ない。とにかく驚くほどゆったりしているのが日本との違いの一つであろう。駐車場は屋外と屋内に広がっており、12,000台分というからこれも日本とはけた違いではないだろうか。

 

ゆったりした市街地と言えば、アメリカ南西部の郊外都市はとにかくどこまでも広く、街路そのものも片側数レーンあり、横断歩道を渡るのもちょっとした勇気がいる。日本では、夜間には歩行者信号のボタンを押すことが多いが、ト市に限らず、先ずは歩行者信号のボタンを押して渡ることが肝要。通りの中ほどまで行ったところで残りの秒数が点滅し始めるのでとにかく速足で向こう側までたどり着かなければならない。増して、スマホを見ながら、などはとんでもない! 車いす使用の方々にはちょっと大敵ではないだろうか。もう一つは自転車をほとんど見かけなかったことである。町の中に人口が集中し、街区も比較的狭いところでは自転車は用を為すが、今回のように広大なところではおよそ自転車は実用的ではないのだろう。とにかく、クルマが無ければ生活が成り立たない、そんな日々を実感したのが今回の滞在であった。

 

 

 

最後にと言いながら、一つ、帰りの空港で気づいたことをもうひとつ。米国に限らず、カナダもトイレはゆったりしたスペースが確保されており、車いすマークが無くても使えることはかなり多いと聞いている。空港で一人だけの時はスーツケースがあるのでトイレではその保管に困ることが多い。今回、ロサンゼルス国際空港(LAX)で実際に試してみると自分が入って、さらにスーツケースなどを二個くらい置くだけのスペース

があった。成田に

戻って試してみると1個であってもそれは難しく、一人の時は荷物の保管に少々頭を使わなければならないことを改めて感じた。一方、ロールペーパーはLAXのトイレにあったのは、幅が日本の平均サイズに比べるとかなり狭いことであった。そこで後で測ってみたら、LAXは8.5㎝、日本は10.8㎝であった。どこかの国のように長さ60㎝まで使用可という制限はないにしても、環境保全と資源保護という考え方が近年変わってきているのだろうか? 全米各地で見られることなのか、それともLAX国際線ターミナルだけなのか?

この次、アメリカに行ったらぜひ確認してみたい新たな“課題”である。

(この項 完)

 

 

 

 

(資料、上から順に。ことわりないもの以外の写真はいずれも2018年3月1~4日撮影)

 

 

LA中心街・パーシング広場、児童遊園施設が作られていた。右後方はビルトモアホテル。

Gousha’s Street Atlas ロサンゼルス&オレンジ郡市街図

The Last Bookstore (資料借用)

TAPカード(Happy 25th Birthday, Metroとある)

Little Tokyo お祭りプラザ

The City of Torrance (資料借用) 中央部はDel Amo Fashion Center)

Del Amo Fashion Center 内部

トーランス通り(宿泊したモテルはTorrance Blvd.沿いにあり、往復6~7レーン)

歩行者信号のボタン

日米ロールペーパー比較(左 LAX空港にあったもの 幅8.5cm、右 日本 10.8cm)

 

 

(2018/3/16)

小 野  鎭