2018.03.26 小野 鎭
一期一会 地球旅 193 台湾への旅 (7) まだまだ元気に臺灣旅行(4)
前回飛び入りでアメリカ・ロサンゼルス地域の近況を書いたが、今回は、「まだまだ元気に台湾旅行」に話を戻させていただきたい。 台北一の古刹で参拝と観光客でにぎわう龍山寺を後にして、少し走るとクラッシックで大きな赤レンガの建物の前に差し掛かった。総統府である。今回は時間の都合で下車観光はできないので建物を前にバスを停め、ガイドの周さんに少々丁寧に説明してもらった。日本統治時代(明石元二郎総督)の1912年に建設着工、19年に完成したルネッサンス様式の建物で総督府として建てられたもの。建築家は日本国内で公募され、適任者として長野宇平治が選ばれたとある。第2次大戦中、米軍の空襲で大きく破壊されたが戦後台湾に進駐した中華民国政府が接収してこれを修復、49年に中華民国の首都として
  の機能が台北に置かれその行政府の中心である総統府として利用されるようになり、現在に至っているとのこと。現在、建物は文化財としても保護されており、内部の見学も可能であるが、今回は車窓観光であり、その時間もない。毎年、10月10日の国慶節(双十節)のイルミネーションは台北の風物詩の一つとして、楽しまれているとか。     広い通りに出ると、美しいヤシ並木のある通りを少し走った。すらっと背が高く、見事に並んでいる光景はなかなかのものであった。台湾大学医学部へと続く評判の並木通りらしい。一帯は、緑濃く美しい風景がつづき、台湾大学や国立博物館、二二八和平公園などのある文教地区ともいうべき地域であろうか。緑濃く広い街路を走ると広々とした一帯に出る。その広い緑地の中央部に中正紀念堂がある。かつて台湾を治めた中国国民党政府が総統蒋介石を記念して建てられた巨大な建物である。高さ70m、瑠璃色の屋根と白い大理石で造られており、89歳で亡くなった蒋総統の年齢とおなじ段数の階段があるが、階段は上らずに一階部分に入っていった。そこは広い展示場になっておりその奥にエレベーターがあり、それに乗って上がった。紀念堂のホールには大きな台座に蒋介石の座像が安置されており、銃を捧げた衛兵が微動だにせず立っている。毎正時に衛兵交代が行われるとのこと。間もなく午後3時になるところであったので多くの見物客はロープが張られた制限区域の外側にたくさん立ち、カメラを構えてそのセレモニーが行われるのを待っていた。ホール内の様子は、アメリカのワシントンDCにあるリンカーン記念堂を思わせるたたずまい。リンカーンが威厳をもって座っており、それを黒人少年が見上げている写真を見たことがあるが、なにやらそれを思わせるようなところがあった。 国父と仰がれる蒋介石は中国本土から台湾に進駐して大陸とは一線を画して今の台湾の基礎を作った人物と理解している。しかし、当時の国民党はかなりの圧政をおこない、台湾人は
厳しい時代を過ごしてきたと聞いている。今回の旅行前に、ガイドブックや台湾観光協会から得た資料などのほかに「現代台湾を知るための60章」(亜洲奈みづほ著 明石書房)やネット(ホームページ)などで最近の台湾事情はある程度承知して現地に臨んだ。その上でガイドの説明をしっかり聴き、訪問各地は可能な限り丁寧に見て歩いた。とはいってもそれは外見のみ。今回、この稿を書くにあたり、伊藤潔著の「台湾」:四百年の歴史と展望(中公新書)を読んだ。1624年の大航海時代、オランダによる支配に始まり、今日までの400年に近い台湾の歴史は「外来政権」による抑圧と住民の抵抗の歴史である。外来政権は、オランダ(スペイン)、鄭氏政権、清国、日本そして国民党政権である。では近年の目覚ましい経済発展の要因はどこにあったのか・・と表紙裏の紹介文にある。旅行前にこの本を読んでいなかったことが悔やまれる。 総統府前を通って中正紀念堂へ向かう途中で二二八和平公園脇を通った。その名前の由来とは第二次大戦で日本が敗戦して台湾が中華民国に接収された後、1947年2月28日に勃発した騒乱事件であること。中華民国による台湾統治に反抗して蜂起した台湾住民が園内にあった台湾ラジオ放送局を占拠して全土に向けた台北での蜂起を告げたのであった。「君が代」「軍艦マーチ」そして、日本語での放送もあったとか。本省人(台湾人)は多くの地域で一時実権を掌握したが国民党政府は大陸から援軍を派遣し、武力によりこれを鎮圧した。この事件に関連して一カ月余の間に殺害された台湾人は28,000人を超えるという。この公園は日本統治時代の1908年に完
成したヨーロッパ風の近代的都市公園であり、台北新公園と名付けられていたが、96年2月28日、当時の陳水扁台北市長(後に総統)は、この事件で犠牲となった台湾住民を追悼する二二八和平記念碑を建立し、公園の名前を「二二八和平公園」と改められたとのこと。個人的には、複雑な思いを新たにしている。 中正紀念堂で関東班一行は衛兵交代を見物し、テラスで記念写真を撮り、広い公園内で新鮮な空気を味わった後バスに戻り、市内中心部を走る中山南路を北上、同じく中山北路に面した国賓大飯店に入った。市内には、80年代後半から大型のデラックスホテルが増えてきたと承知しているが国賓大飯店(Ambassador Hotel)は多分60年代に創業されている老舗ホテル、自分も66年以降、台北を訪れた時は幾度か宿泊しており、まだ添乗経験は乏しかったが毎回、とても快適に過ごしたし、お客様からも好評であったことを覚えている。部屋は少々狭いが快適に改築されており、今回、数十年ぶりに2泊したが心地よい滞在であったしメンバーの評判も良かった。この日、関東班は4時半ごろ入館したが早朝、羽田を発ってからの行程で疲れも高じていると思うので先ずはひと休みできるよう急ぎ、部屋に入ってもらった。自分は明日以降の行程と追加の希望
などについてガイドと打ち合わせながら、九州・関西勢の到着を待った。 (以下、次号とさせていただきます) (資料、上から順に。 ことわりないもの以外は、2017年11月8日撮影) 総統府(台湾観光局資料より) 中正紀念堂 二二八和平公園(台湾観光局資料より) 中正紀念堂テラスにて   (2018/3/22) 小 野  鎭