2018.04.03 小野 鎭
一期一会 地球旅 194 台湾への旅 (8) まだまだ元気に臺灣旅行(5)
午後4時半頃であっただろうか九州・関西勢5人が到着、出発前に電話や手紙で幾度もやり取りしているが実際に会うのは数年ぶり、いやそれ以上で06年の欧州以来というメンバーもあった。10数年経つと体形や頭の様子が少々変わっており、お互いに苦笑い。その後、小休止して5時半ごろ、全員に集まって貸切バスで夕食へ。今回は、ここ國賓大飯店に2泊するし、立派なレストランも台湾料理始め四川・北京・上海などのほか、洋食も勿論あるし、デラックスな個室もある。しかし、今回は市内のレストランを予約してもらった。メンバーはお互いに久しぶりの再会を懐かしみ、一気ににぎやかになり、筑豊弁が飛び交うだろう。食事がもちろん目的ではあるが、親しい同級生同士での会話が弾み、かなりににぎやかになるであろうことを考えるとホテル内のそれよりも市内の気軽なところの方が周りを気にすることもないだろう。その方が、むしろ楽しんでいただけるのではないかと、現地手配会社にも相談した上での手配であった。この日は台湾料理、予め提示されていたメニューにはカラスミ始め牛肉やホタテ、ビーフンやハマグリ入りのチキンスープなど、かなりの品数が並んでいた。自分自身もそれなりの期待をしていた。   ホテルからは10分ほどで店に到着。地下へ降りて部屋に入り、二つのテーブルに8~9人ずつ分かれて着座。最初に小林代表の挨拶。卒業以来半世紀余り、お互いに元気で時を過ごし、こうして再会できたことを喜び、旅行を楽しもうと乾杯の音頭。こうして和気あいあいの食事が始まった。壁には持参してきた同期生のバナー(旗)を貼ってもらうとさらに意気が上がり、宴が続いた。高校時代の思い出はかつて幾度か聞いたような話題が繰り返されることが多いが、顔ぶれが少し変わるとまた新鮮な響きもある。大笑いすることもあれば妙に納得することもある。もっぱら聞き役に回っている人もあれば、二つのテーブルを交互に回ってビールで乾杯し直し、紹興酒を酌み交わしては怪気炎を上げ、座をさらに盛り上げてくれる人もある。こういう人の存在は誠にありがたい。
ところで、この日の夕食はそれなりのレストランであり、ガイドブックにも紹介されていたが少々物足りなかった。味と言い料理の内容と言い、今一つ冴えず、料理がおいしいという声はあまり聞こえなかった。気障に聞こえるかもしれないがここ数十年、専ら欧米や豪州など遠隔地へ添乗することが多く、しかも行き慣れたところも多かった。それらの地では訪問先はもとより、観光地や食事、名物料理なども知っていたし、気心の知れた店もそれなりにあり、ほとんどの場合、好評を得てきた。ところが、今回のように近場ではあっても台湾は30余年ぶり、テレビの旅番組で見たり、ガイドブックで情報を得、現地手配会社からの助言も得たが期待通りにはいかなかった。加えて、出張や旅行で幾度かこの地を訪れているメンバーもあり、むしろ、自分より昨今の台湾にはもっと詳しい人もある。総じて舌も肥えているだろう。旅行の楽しみの一つである食事で盛り上がりに欠けてしまったことは自らの不勉強と配慮不足を恥じると共に、何とも申し訳ない思いであった。何はともあれ、第一夜の夕食会はお開き、再びバスでホテルに戻り、明日の予定である午前の故宮博物院観光、午後はフリータイムであり、夕食もそれぞれにお摂りいただきたい改めて案内して解散した。8時頃であった。この日は早朝、それも相当早くに起床したはずであり、三つの空港から台北へ、着後、市内観光、そして夕食と忙しい一日であった。メンバーには、この日は無理をせずに早めに休んでほしい、というのが願いであった。   解散後暫く部屋で待機した。第一夜目であり、トイレや浴室、ベッド脇や机の電灯に不具合があるなどの電話がかかってくることもある。そのようことにも対処できるように、と昔からの習慣であった。その間、楽な服装に着替えて外出準備をした。初めての地であったり、久しぶりに訪れた時は町の様子を見たり、翌日の動きに備えることもしておきたい。これも長年、やってきたことであった。どうやら今夜はその心配は無さそうであり、外出した。今夜やっておきたいのは、地下鉄で台北駅と夜市をのぞくこと。どれも翌日午後から夜にかけて多分、メンバー各位が興味を持つであろう。とは言いながら、ガイドブックと観光局の資料などからさぐったドロナワ作戦であった。
ホテルから数分歩くと地下鉄(MRT=Mass Rapid Transit=捷運=チェユン)の淡水線があり、市内中心部を南北に走っており、双連駅がある。ホテルから2ブロック歩いて市内を東西に抜けている民生西路を西へ向かう。中山北路は夕方のラッシュ時に比べると交通量は少なくなっているが、それだけに信号が変わるとバイクと自動車が一斉にスピードを上げて走り出す。横断歩道の信号はわりに早く変わるのでのんびり歩いていると危険、急ぎ足で渡らなければ! 駅までの通りの両側の歩道はアーケード型になっており、街路に面した建物の正面に造られており、隣家と連結されている。公共的な側面を持つ構造物であり、食料品店、飲食店、パン屋、美容院、洋品店などが並んでいる。薬局の二階には深夜までやっている牙医(歯科)もあった。このアーケードは比較的新しく造られたのかもしれないが、台湾のこの種の造作は「亭仔脚=ディンアカ」と呼ばれていると聞いたことがある。このような構造物は清朝時代に起源を見るとの指摘もあるが、台湾では、日本統治時代に法律によって設置が規定された構造体でもあるらしい。夏の厳しい陽射しや強い雨を避けるために通りに面した商店などが自費で設置したなどの話も聞いているが公私の境は曖昧とある。(Wikipedia) 日本の新潟県などで雪除けに造られている雁木(がんぎ)と対比されていたことを高校の世界地理で当時のM先生から聞いたような気がする。卒寿間近の先生からは今も年賀状を頂戴しており、思わぬところで60年近く前の社会科の授業を思い出した。  (以下、次号とさせていただきます)
    (資料 上から順に) 夕食会を終えて(2017/11/8 台北市内欣葉にて) 中山北路(正面は國賓大飯店・資料借用) 民生西路の商店街(いうところの亭仔脚スタイルであろうかと思う:資料借用)   (2018/4/2) 小 野  鎭