2021.11.25 小野 鎭
一期一会 地球旅 199 ホテルアイガーからの手紙(3)

一期一会 地球旅 199 ホテルアイガーからの手紙(3)

 日本流に言えば、アンネリズ夫人の夫君は養子であったらしく、多分1970~1990年頃は夫妻でホテルを切り盛りしていたと思う。ところが90年代早くに夫君は早逝されたと聞いている。やはり夫人が主としてマネージしていたと思う。
実は初めて偶然のことからミューレンでこのホテルに泊まり、すっかりこの村とこのホテルに取りつかれてしまい、翌年、あるグループを半ば強引にミューレンにお連れすることになった。多分、73~74年頃であったと記憶している。ところが6月上旬のそのころ、海抜1600mにあるこの村一帯は、早春のような趣でまだ草花も咲かず一面茶色でシーズン前、翌週辺りから村は活気を取り戻す、そんな光景であった。多くのホテルやレストランは未だ休業中で来週から営業再開と知ったのは、旅行手配も最終段階であり、今さら日程変更もできず、止む無く別のホテルを紹介された。つまり、みんなが一斉に休業するのではなく、お互いに交替で休業するなどして村が完全に眠っていることではなかった。この間に家族は休暇を取り、従業員は帰省したり、外国から出稼ぎに来ている人は帰国するなどが一般的であることを知ったのもこのころであった。 ラウターブルンネンからミューレンに到る登山鉄道の途中の乗換駅まではケーブルカー(いまは、ロープウェイ)
の中で妙齢の現地の女性から突然「Hello ,  Mr.Ono!」と声をかけられた。一瞬、誰だろうと驚いた。すると彼女は自ら「ホテルアイガーのアンネリズです」と自己紹介してくれた。そういえば、その前年泊まったとき、フロントで会った人だと思居出した。「今回は、折角予約注文をいただいたけれど、うちは来週営業再開なので、他のホテルを紹介した」ことを説明してくれた。そちらもいいホテルなので安心して、ミューレンを楽しんでください、と言って、軽やかに去っていった。一気にこの村とホテルアイガーへの親近感が加わり、それからは予め予約状況を確認の上、手配することなどを心がけた。
ところで夫君はスキーの名手で、インストラクターとしても著名であったらしい。ホテルの階段の踊り場には写真が飾られており、そのなかに日本のヒゲの殿下として知られていた三笠宮寛人(ともひと)親王と並んだにこやかな様子があった。ある冬、殿下がミューレンで滑られ、その時に夫君がご案内したとの説明が添えられていた。 2005年に「いやしの旅」として、
この地に小野が当時88歳の母や家族などと行ったことがあるが、夫人は、母にもとてもよく接してくれたことを覚えている。個人的にも懐かしさいっぱいのミューレンとホテルアイガーである。   写真 上から順に ⓵Muerrenはラテン語で「谷の上」を意味するらしい。谷の深さは600~800m。 ②ラウターブルンネンからグルッチアルプまでのケーブルカー(2000年代になってロープウェイにかけ替えられている) ③ミューレンからはアイガー(海抜3970m)が左側に見事な眺めを見せている。(Ono 2005年) ④グリュッチアルプにて母と。