2022.01.06 小野 鎭
一期一会 地球旅 203 ユニバーサルツーリズムの普及を目指して(1)

一期一会 地球旅(203) ユニバーサルツーリズムの普及を目指して(1)

2004年秋から東京・巣鴨にある専門学校に勤務するようになった。今まで、世界各地を回ってきたこと、医療や福祉関係のこと、添乗だけでなく企画・手配・視察先との交渉、通訳等も経験していたことにより、次第にいくつかの専門分野に慣れ親しむようになっていた。加えて、「もっと優しい旅への勉強会」を通して学んだことなどが背景にあったことから「ユニバーサルツーリズム学科」開設に加わり、その学科長として実務に就くことであった。今までは、旅行の企画や添乗、旅行業の経営に全身全霊を傾けてきたが、今度はこれを目指す人を養成するということでもう一つの観点から勉強することに迫られた。学ばなければならないこともたくさんあった。テキスト作りも大きな仕事の一つであった。これまでの旅行はいわゆる身体的に健常な方を対象としており、特別な配慮を必要とする障害のある方の旅行は一般的には力がいれられていなかった。2000年代に入ると高齢化社会から高齢社会、あるいは超高齢社会の到来に備えることの必要性が社会の様々な分野で叫ばれるようになっていた。バリアフリーということばが普通に使われており、さらにユニバーサルデザインという観点がもっと意識されるようになってきていた。 ところが、旅行業界では、特別な配慮を必要とする旅行を考えることは必要であっても言わば「手のかかる旅行」であって社員間では敬遠したり、積極的に取り組もうとする意欲を見せない人も多かったのではないだろうか。交通機関や宿泊施設なども設備やサービス面で不十分なところが多かったのも事実であった。寧ろ、それゆえにそれをうまく使いこなすには大変な労力がかかっていたと言ってもいいかもしれない。自分としては、80年代後半から重い障がいのある方の旅行に取り組んできた経験もあり、そのような旅行事情についても承知しているつもりであった。しかし、【高齢で弱った方など】への外出支援や旅行上の配慮と【さまざまな障がいのある方など】 が希望される旅行とは似て非なるものもある。その都度、バリアフリー状態を調べたり、いかにして克服するか、施設や設備を整えたり使いこなしたりすることが必要であるということが求められていた。一般的にはそれを全て求めるのは容易なことではなく、適宜必要な手を打っていくということが得策であり、慣れるにつれて幅が広がっていった。自分としては、特別な配慮というのは、施設や設備をより多く整備していくことと、それをより多く知り、使いこなしていくこと、つまり「ハード面の整備とソフト面の充実」といういわば「車の両輪」のような考え方が基本であると訴えてきた。ユニバーサルデザイン(UD)という考え方が紹介されてきたこの時代に旅行のUD化、即ち、ユニバーサルツーリズム(UT)という考え方は、しかしながら、容易には理解していただけず、バリアフリー旅行を幅広く普及させていくこと程度に理解されていたような気がする。
 この時、つくった「バリアフリー旅行術」の巻頭ではユニバーサルツーリズムの定義を次のように掲げている。「年齢(Age)・性別(Sexuality)・言語(Language)・国籍(Nationality)、能力(Ability)の如何にかかわらず、すべての人が同質で同等の旅の楽しさを享受できるツーリズムとする」、そして、その意義として「旅行者と旅行者を迎える人がお互い敬い、ホスピタリティをもって接することにより、旅行者は非日常における自然や文化など多様な楽しみや体験を享受することができ、また、その中から生きる意味を見出すこともある・・・・以下略」。それから14~15年が経過した今、観光庁では、「ユニバーサルツーリズムとは、すべての人が楽しめるよう創られた旅行であり、高齢や障がい等の有無にかかわらず、誰もが気兼ねなく参加できる旅行を目指していく」と定義している。
この専門学校で2005年に開設されたUT学科では、理論を学び、実技を身に付けさせていくことに努めた。しかしながら、実際に専門学校の旅行系学科として実務面を交えて2年間で実際に指導していくことは容易ではなかった、むしろ、ほとんど不可能に近かったと言わざるを得ない。1年次は、基礎学科と就職活動に備えての諸準備、英語教育にもかなりの時間が割かれることが多い。2年次になると就職活動が主要なテーマとなり、一方で専門課程について学習することが主となる。ところが就職活動は、学生によって内定の時期がばらつくため、学生個々の実務面や精神面でこれを平均して指導してくことは容易ではない。当時は、一年次前期で「バリアフリー基礎」、実務面で車いすの押し方や視覚・聴覚に障害のある人の誘導などの方法、疑似高齢化体験、一年次後期では「バリアフリー旅行術」として旅行の企画や手配、と障害者施設での実習や外出支援など交えた授業計画、加えてホームヘルパー2級課程の資格取得へのプログラムもあった。教室での授業と学校付近または学外での実習&演習なども組み込まなければならなかった。限られた授業時間内でこれを行わなければならなかったので、ほんの「さわり」だけしか行えなかったというのが正直なところであった。「ホームヘルパー2級課程」を受講させることは必須であったが、他の旅行系学科より授業料が高くなるので、学生側から見れば厳しい一面があった。 学生募集は、学生指導と並んで学科としての大きな役割であったが送り手である高等学校などの理解を得るのは容易ではなく、多くの人数を集めることは出来なかった。1期生(2007年卒業)は4名、2期生は7名と学校側の期待にははるかに及ばなかった。3期目は新たに開設されたエコツーリズム学科と合わせた専門科コースとして併設されたがこれも容易ではなかった。結果的には、UT学科は3年目には採算面から運営困難と判断され学生募集は中止された。但し、バリアフリー基礎とバリアフリー旅行術の中の一部分は旅行系学科のほか、エアライン系、ホテル系学科でも授業の中に含まれていった。また、2008年頃から、世界遺産について、自身が興味を持って学び始めたこともあって選択科目として、一時期は、7クラスくらい受け持っていたこともある。
1期生で、旅行や外出支援などを意識した仕事をしたいと明確な目的をもって学んでいた廣中美子さんは、卒業後、株式会社 SPI あ・える倶楽部に入社。介護旅行に関わる旅行で活躍し、トラベルヘルパーとして現場で実技を発揮する一方、日本トラベルヘルパー協会が主催するトラベルヘルパー養成講座の指導面で今も重責を担っておられる。 写真 上から順に バリアフリー旅行術 テキスト 高齢化・身体障害疑似体験 巣鴨地蔵通りのバリアフリーマップ作りで作業中の廣中さん (以下、次号)