2022.04.04 小野 鎭
一期一会 地球旅 215 パールロードから南イタリアを巡る旅(1)

一期一会 地球旅【215】 パールロードから南イタリアを巡る旅(1)

 今日まで数多く海外添乗を経験してきたが、訪問国は、所謂西欧諸国と米国カナダなどが圧倒的に多く、次いでアジアやオセアニア諸国などであった。時代は、1966年を皮切りに1970~2000年代始めであり、それ以後は年1~2回で2019年のカナディアン・ロッキーが最後になっている。延べ254回の添乗経験の内、国内は10数回であり、海外が240回というところであろうか。延べ日数約3,300日であり、約9年間は海外の動きを見ていたことになる。高度経済成長時代からバブル期、日本経済の長い停滞期まで50数年間、添乗業務を通して世界の動きを実際に見てきた。特に多かったのが医療や福祉、ついで農業や建築、教育などの専門分野であり、視察や研修など旅行主催者は先進諸国から学ぼうとする姿勢が強く表れており、東欧やアラブ・アフリカ諸国はほとんど含まれていなかった。そんなわけで、自分自身も東欧諸国ではソ連以外にハンガリーとチェコスロバキアに各2~3回行っただけであった。
 90年代に入ると、社会主義体制が揺らいでソ連やユーゴスラビアなどの連邦諸国も分解していくつもの新しい国が誕生していった。それぞれの国では、国づくりが急がれ、経済と国情が落ち着いてくると観光面での外客誘致にも力がいれられるようになり、中欧諸国のなかでもかつての西ドイツやオーストリアは当然として、旧東ドイツ、ハンガリーやチェコが新たなデスティネーション(旅行先)として
2000年代に入ると日本からの観光客も増えていった。同じころ、自分の高校の同期生の中には第一線を退く人も出てくるなど海外旅行をしたいという希望が寄せられ、小職が旅行準備をする栄誉を担うことになった。2002年には還暦記念欧州旅行としてウィーンからドイツ・スイスを周ったが26名の参加があった。また、2006年にはハプスブルク家の栄華の跡を訪ねる旅も楽しんでいただけた。
日本では、古来より、真珠、水晶、瑪瑙(メノウ)から得られる珠玉を清く聖なるものして崇めてきた。その中でも白く輝く真珠は、格別で美しく、尊いものとして讃えるときにつかわれる表現でもある。欧州でも同じように美しいものを真珠に例えて表現する習慣がある。とりわけ、ハンガリーの首都ブダペストを「ドナウの真珠」、スロベニアのブレッド湖を「アルプスの真珠」、クロアチアのドブロヴニクを「アドリア海の真珠」として観光客にも人気が高い。ということでこれらの国を結んでパールロードと呼んでいる(これらの政府観光局資料より)。 「パールロードと南イタリアを巡る旅」は、2012年9月に出かけたが、高校の同期生など気の置けないグループ。それまで10年のあいだに欧州5回、ほかにタイ、城崎等に行ってきた旅行好きのメンバーであった。
最初から3回目の旅行までは同期会での呼びかけであったが、その後は有志代表のY氏が旅行企画、小職が旅行取扱、手作りで担当してきた。今回はいずれも古稀前後であり、無理や無茶な行程は避け、ゆっくり、ゆったりを旨とするコースと日程とした。旅行については、いずれも一家言を持っているだけに旅行計画立案には毎回頭をひねってきた。パールロードのうち、ブダペストは2006年に訪れていたのでこれをのぞいて、スロベニアのリュブリヤナからクロアチアのプリトビ―ツェ国立公園、そしてアドリア海沿いにスプリトに寄り、さらに南下してドブロヴニクに到り、海を渡って、南イタリアのナポリを巡る11日間のコースとした。
最初のリュブリヤナへは、日本からは直行便がなく、成田からミュンヘンを経てイタリアのトリエステに降り立った。地図を見るとトリエステの街はアドリア海の最北部であって最奥部のトリエステ湾に面している。かつてのハプスブルク帝国時代は貴重な海の玄関口であり、帝国統治時代の影響が強く、壮麗で気品漂う建物が多く、「小ウィーン」とも例えられるほど、オーストリア風の街並みが印象的と聞いているが、今回は残念ながら空港に着いただけであった。その市街地は南東から北西に細長く伸びており、その背後はいずれもスロベニアとの国境になっている。空港から数km走るとイタリアを出ることになり、この日は深夜にリュブリヤナのホテルに到着した。

 スロベニアはかつてのユーゴスラビア連邦諸国の一つである。スロベニア共和国として独立したのは1991年、誕生して20年の若い国であったが昔はハプスブルク帝国に含まれていた。町の中心の小高い丘の上にあるお城のテラスに立つと、はるかにアルプスの山並みが見え、その向こうはオーストリアである。

ガイド女史は、ユーゴスラビアという時代も経験してきたが、公的な場はそうであっても、私的にはスロベニア人、スロベニア語以外は考えられなかったという説明が印象的であった。余談であるが、自分は、前述したソ連は2度訪れたことがあるが、ロシア連邦になってからはまだ行ったことがない。反対に、スロベニアもクロアチアもユーゴスラビア連邦時代には訪ねたことがなく、時代の流れを感じる。リュブリヤナはこじんまりした美しい町で旧市街にはロココ調やネオクラッシックの瀟洒な建物が多く、午後のひと時の散策が楽しかった。 (以下、次号)

写真&資料 (上から順に、ことわりのないものは筆者撮影) 中欧諸国 (World Atlas より借用) ドナウの真珠ブダペスト・ブダの丘にて(2006年7月 ハプスブルク家の栄華の跡をたずねて 前列右端が筆者)アルプスの真珠 ブレッド湖 (スロベニア観光局資料より) パールロードから南イタリアへ 行程図 (2012年9月9~19日) トリエステの中心街 (イタリア政府観光局資料より) リュブリャナ城 テラスにて(2012年9月10日 前列左端が筆者)