2022.04.18 小野 鎭
一期一会 地球旅 217 パールロードから南イタリアを巡る旅(3)

一期一会 地球旅 【217】 パールロードから南イタリアを巡る旅(3)

 
 プリトビ―ツェ国立公園内には、3か所の宿泊施設があるが、日本の観光地のように湖岸にたたずむホテルなど箱庭的な風景は期待できない。我々は、公園のビジターセンターまで10分くらいの所にあるホテルに宿泊した。都会の喧騒からは離れた静かなドライブインといった感じのリゾートホテルであった。
翌日は、ビジターセンターに直行、ここで指定のガイドと待ち合わせ、英語であったので久しぶりに観光通訳。観光案内やエコツアー、世界遺産などを交えた案内と説明を聞きながら、大滝や湖水めぐりであったが、遊歩道は、木道などもあり、歩きやすかった。園内では、環境に配慮して移動手段の遊覧船やバスなど電動のエコ使用になっている。この日の観光は、エコを意識した説明が多かったこともあったが、自然探勝研修旅行のような3時間であった。 クロアチア共和国は、アドリア海北部の東側に位置し、平仮名の「く」の字のような形をしている。 この国立公園は、「く」の曲がり角辺りに広がる丘陵地にあり、面積は約300㎢(琵琶湖の半分より少し狭い)である。同名の川に沿って大小16の湖が言わば不規則な階段状に散らばっており、エメラルドグリーンの美しい湖水群から流れ出す川には炭酸カルシウムが含まれており、傾斜の急なところではこれが沈殿して堆積物となり、石灰華となっている。これが流れをせき止めて長い歳月をかけていくつもの湖ができたという。これらの湖を包むように広がる森林地帯には、ヒグマやオオカミなどの哺乳動物やたくさんの鳥類も生息するなど、美しい自然と広がる貴重な観光資源として、1979年に世界遺産として登録された。しかしながら、1990年代に入って勃発したクロアチア紛争でこの地も紛争地となり地雷などがたくさん埋められた。クロアチア政府の要請により、1992年にこの国立公園は危機遺産として登録された。紛争地の安全管理と地雷原の撤去などを強力に進めるなど国を挙げての復旧事業の結果、1997年に危機遺産登録が解除された。
国立公園の見学を終えて出発、途中のレストランでの昼食は地方色豊かな雰囲気。今回、この項を書くため、この立ち寄ったレストランのホームページを開いたところ、同じ住所ながら、一層しゃれたホテル兼レストランとして紹介されていた。プリトビーチェ国立公園への観光客がさらに増え、景気がいいらしい。昔立ち寄ったところが発展しているのは懐かしくも嬉しい旅の思い出。ここからハイウェイに入り、この日の目的地、アドリア海沿いのスプリトに向かった。前述したように、「く」の字の形をしたこの国の中ほどを海岸方面に向かって走っていく一帯はダルマチア地方。この地原産といわれている犬がダルメシアン。W.ディズニー映画「101匹わんちゃん」のモデルとしてもお馴染み。白黒模様が特徴的だが、茶色のブチを持ったダルメシアンもいるとか。車窓にはディナール・アルプスの灰色の山なみが続き、ハイウェイの両側には灌木の疎林やオリーブらしい樹木、乾燥地帯に多い果樹園や畑作地帯が広がっている。山なみは日本と違って乾いた風景であり、ふもとからすでに森林限界を超えたような岩山続きで森林らしき緑も見えない。山青く、水清い山里のような日本の風景とはかなり違ったおもむきであった。
なおも石灰岩地形が続いており、カルスト地形といわれている。カルストいう語は、スロベニアのクラス地方に語源があり、この地方一帯には石灰岩が厚く分布し、溶蝕による地形が広く見られ、地政的にスロベニア語でKras、ドイツ語でKarst、イタリア語でCarsoと呼ばれてきた。この地学的用語は次第にドイツ語読みの「カルスト」が定着していったという(Wikipedia)。 日本でも、山口県の秋吉台や北九州の平尾台がカルスト地形としてよく紹介されている。この一帯は、アドリア海沿岸も近く、海岸付近には歴史的にも古代ギリシャ~ローマ時代から続く小さな港町や集落もある。ハイウェイはそれより内部を通っており、バス旅行は快適ではあるが紺碧の美しいアドリア海の海岸風景を楽しむには少々もったいないが先を急ぐとすれば、勝手なことは言えない。 やがてこの日の目的地スプリトに着いた。クロアチアでは、アドリア海沿岸最大の都市であり、リゾート地としても人気があり、クルーズ船の寄港も多い。古代ギリシャ人が最初に植民市として開いたのがスプリトの起源であるが、古代ローマ時代に海岸から内陸部までをダルマチア属州として組み込まれた。さらにこの地出身のディオクレティアヌス皇帝が余生を過ごすためにこの町に宮殿を建設。それが現在の旧市街そのものにあたっている。
古代ローマの遺跡は多くが廃墟として、今日では観光地となっていることが多いが、スプリトでは、廃墟同然になっていた宮殿跡が要塞のように堅牢な造りとなっていた防御機能を活かし、その後の難民たちがそのまま宮殿内に住み着いていった。その後、様々な勢力を受けたスプリトでは、ローマ遺跡の上に、ゴシック、ルネサンス、バロックといったいくつもの建築様式が融合した街並みが見られ、今日では宮殿内は住宅、商店などが密集して息づいている。オリジナルな部分も保存状態が極めてよく残っていて、1979年に宮殿全体が「スプリトのディオクレティアヌス帝の宮殿と歴史的建造物群」として世界遺産として登録されている。 (以下、次号) 写真&資料 (上から順に、ことわりのないものは筆者撮影) プリトビ―ツェ国立公園 案内図(公園内案内図 2012年9月12日撮影) 湖上遊覧はエコの遊覧船、騒音もなく波も静かであった。(同日撮影) Hotel & Restaurant Degenija (Degenija Hotel 資料より) 北ダルマチア地方の車窓風景、山なみはディナール・アルプス山脈(2012年9月12日撮影) 世界遺産「スプリトのディオクレティアヌス帝の宮殿と歴史的建造物群」 (ユネスコ 世界遺産資料より)