2022.05.09 小野 鎭
一期一会 地球旅 219 パールロードから南イタリアを巡る旅(5)

一期一会 地球旅 【219】 パールロードから南イタリアを巡る旅(5)

 
  スプリトの宮殿と旧市街の見学と昼食の後、30分ほど港に面したテラスを散策。港にはフェリーや小型のクルーズ船なども入っており、夏の最盛期の賑わいがなんとなく想像できた。テラスの背後にはレストランやカフェが並び、その背後には宮殿の外壁が立っており、高さは10数メートルくらいあるだろうか、1700年前の建造物の遺構のなかに小さな町ができ、住宅や商店などが今もにぎやかな様子を見せている。最近になって聞いたこの宮殿内に今も住んでいる建築家が言っていた、「建物は人が住み続けることで生命を保つのです」という言葉を今になって再認識している。
スプリトでの滞在を終え、この日の目的地ドブロブニクへ向けて出発した。途中からは、ハイウェイを下りて海岸沿いにドライブ。ディナールアルプスの山なみがさらに海岸近くまで迫っており、狭い平地に小さな集落が続いていた。オリーブやブーゲンビリアが咲いており、晴れていれば海の色はさらに鮮やかな紺碧であろうと願うが、この日は午後も曇天であった。
道路沿いには小さなホテルやホステル、ホリデーホームなどが見え隠れしていたが、9月中旬の平日午後ということでもあろうか、あまり人は見かけなかった。夏は屹度賑わうと思うがこの時期は静かであった。南ダルマチア地方は、スプリトからドブロブニクへむけて北西から南東方向へ向けて細長く伸び、南へ行くにつれて次第に細くなり、海岸から10㎞、あるいはもっと狭くなっており、東側にはボスニア・ヘルツェゴビナとの国境が迫っている。 やがて、大きな川の河口付近に差しかかった。ネレトヴァ川であった。この川はディナールアルプスの山地から流れてきているが流域は大部分がボスニア。河口近くの平野部分などがクロアチアとなっているが、両国にとっては価値ある豊富な淡水資源となっている。
この旅行では説明のみに終わって、実際に訪れることはできなかったが、この川を数十キロさかのぼるとモスタルの町がある。オスマン帝国時代から栄えてきた交易の町であり、この川を挟んでイスラム教徒とキリスト教徒が民族紛争を繰り返してきたと聞く。最近では、1990年のボスニア紛争で旧市街一帯は廃墟同然となり、15~16世紀から栄えてきたこの町の象徴であるスターリ・モ スト(古い橋)も破壊された。内戦が終わり、旧市街も次第に復旧され、やがて各国の援助とユネスコの支援を受けて破壊されていた石の橋も復元された。こうして、民族や宗教の和解、文化の共存、国際協力などを示す顕著な例として「モスタルの旧市街の石橋と周辺」は2005年に世界文化遺産として登録されている。この旅行では、残念ながらこの町まで回る時間はなかったが地図を見直すと改めてこの川と古い街の存在が大きく浮かび上がってくる。 ネレトヴァ川の河口平野を少し走ると国境であった。実は、ボスニアの西端のほんの一部は東ダルマチア地方のなかを二つに分けるように僅か10kmくらいの地域がアドリア海に面している。そして、その中ほどに「Neum=ネウム」という小さな港町がある。その国境を過ぎて、しばらく行くとまたクロアチア領土になっている。つまり、クロアチアの飛び地状態になっており、この細長いダルマチア地方を走っていくとやがてドブロブニクに到る。今回、この項を書くにあたって、何故このような地割になっているのか、かねてより気になっていたので調べてみると次のようなことが分かった。 1718年に、オスマン帝国とハプスブルク帝国、ヴェネツィア共和国の間に結ばれたパッサロヴィッツ条約により、ダルマチアのほぼ全域が当時のヴェネツィア共和国領と定められた。しかし、ヴェネツィアとオスマン帝国の保護国であったラグサ(ドブロヴニク都市国家状態)との紛争を防ぐため、ネウムは緩衝地帯として、オスマン帝国領となった。この時引かれた国境線が主体となる国家(ボスニアとクロアチア)が変遷しつつも、現在まで引き継がれているとのこと。ハプスブルク帝国、オスマン帝国、ヴェネツィア共和国など1~3世紀前の歴史が今に繋がっていることが興味深い。 現地に行く前に、経由地等についても地理だけでなく、時代背景などを勉強していくことの大切さを改めて感じた次第。
ところで、この時、ドライバーから聞いた話であるが、ボスニアを経由せずに、クロアチア国境から対岸に伸びているクロアチア領内の半島を結ぶ橋を架けることが計画されており、この橋の完成が待たれる、とのことであった。いくつかの難問があり、完成は容易ではないらしいと聞いていたが、今回、調べてみると、2022年には竣工するらしいとWikipediaに書かれていた。予定通り、実現するのであろうか?

 再びクロアチアの南ダルマチア地方の南端部分を走って、薄暗くなってドブロブニクに着いた。スロベニアの首都リュブリヤナからクロアチア中部を南下してここまで900km近く、3泊4日にわたって走ってきた長距離バスとはここで契約終了。無口ではあったが安全第一に、要所々々で必要な案内をしてくれたドライバーともここでお別れ。バスツアーでは、ドライバーの良し悪しだけでなく、コミュニケーションをうまく保つことが肝要、今回もその願いは叶い、ドライバーに感謝! (以下、次号)

写真&資料 (上から順に、ことわりのないものは筆者撮影) スプリットのディオクレティアヌス皇帝の宮殿跡城壁と海岸のテラス(2012年9月13日撮影) アドリア海沿岸南ダルマチア地方の風景(同上) クロアチア・南ダルマチア地方 地図(クロアチア資料から筆者作成) モスタルの旧市街の石橋と周辺(ユネスコ資料より) クロアチア・メルジュサク半島への架橋計画図(クロアチア資料から筆者作成)