2022.06.14 小野 鎭
一期一会 地球旅 221 パールロードから南イタリアを巡る旅(7)

一期一会 地球旅 【221】 パールロードから南イタリアを巡る旅(7)

 
  9月15日、旅の7日目であった。上甲板に上がってみると船は白い航跡を立てて順調にイタリアのバーリへ向かっているらしい。昨夜、ドブロヴニク地域の海の玄関口であるグルーズ港を発つときはかなりの雨であったが一夜明けてみると眩しい朝の陽ざしが海面に映えていた。遠くを見ると黒い雲が朝の日の下に広がっていたが船の前方には青空が広がっている。 船はさほどの揺れもなく船中泊を過ごした。船の大きさはどのくらいかわからないが、資料を見ると長さは120m余りあり、貨客混載フェリー、つまり、乗客と貨物、自動車などを運んでおり、上品さや優雅さなどは感じられず、がっしりした造りのようである。乗客は船室に並んでいる座席を倒して休んでいる人もあれば、寝袋にくるまって床に寝転がっている人もかなりある。
どうやらそれはめずらしい光景ではないらしく、乗客や船員はその間をよけて歩いている。我われはホテルと同様、キャビンのツインルームに宿泊したが添乗員は個室扱いであった。部屋には2段ベッドのほかには、救命胴衣とコート掛けのほか、小さな洗面台があるだけで天井にはぽつんと電灯がともっていた。スイッチを切ると明るさの調整が出来ず、真の闇。もしものことがあるといけないので電気は消さず、アイマスクをかけてまどろんだが、鉄の壁に囲まれたキャビンは何とも殺風景。暗い一夜は恐怖であった。もし、嵐に遭うとか、事故でも起きたとき非常口へうまく逃げることが出来るだろうか? 思い返しても、この一夜は忘れがたい経験であった。10年経った今も、寝室は真っ暗にせず、電気スタンドの明かりを小さく 絞って寝ている。
予定通り、バーリ港へ到着。入国審査は、高速道路の国境越えよりは少し厳重であった。バーリは、南イタリア・プーリア州の州都、アドリア海に面しておりイタリアでは主要港の一つ。東地中海諸国との貿易も盛んであり、経済活動は活発とある。一方では、サンタクロース伝説のもととなった聖人ニコラオス(聖人ニコラ)ゆかりの巡礼地ともなっているそうである。我々は先を急いでいるので迎えに来ていた貸切バスに乗り込み、70km先にあるアルベロベッロへ向かった。
プーリア州は、長靴状のイタリア半島のかかと部分にあたり、海岸に沿って南北に細長く伸びており、乾いた低平な土地が広がっている。日差しも強く、この国でも有数の農業生産が盛んであり、オリーブオイルは国内の40%を生産しているとある。車窓から見ると、どこまでも広がるオリーブ畑とトマト畑であろうか、少し緑濃い畑が広がっていた。そんな中にときどき円錐形の建物がぽつりぽつりと立っているのが目についた。この三角形の建物がトゥルッロ(単数形)らしい。時が止ったような建物であり、プーリア州の田舎暮らしを象徴しており、この地方のシンボルの一つとなってきた。この地方一帯でよく見られるとある。 1時間余り走って、この日の最初の目的地であるアルベロベッロに到着した。
大型バスは市街地には入っていけないので所定の駐車場につき、そこで予め手配してあったガイドと対面、久しぶりに日本語での案内であるので、少々楽をしながら自分も、世界遺産「アルベロベッロのトゥルッリ」を見学することが出来た。石灰岩質の土地が多いこの地域では、農民たちのきびしい生活環境に応じて入手しやすい材料で作られた円筒形あるいは長方形の建物の上にキ ノコ状の灰色のとんがり屋根が乗っており、トゥロッロであり、複数形がトゥルッリである。構造面では、モルタルなどの接合剤をつかわず、石灰岩の平たい切石(キャンカッレ)を積み上げているのが特徴だという。
この地を治めていた領主は、15~16世紀頃、町づくりに力を入れた。この地を支配していたナポリ王国に対して、領主は家屋数に応じて税金が課されていた。領主は、納税逃れをするため、解体しやすく、再建しやすい構造にしたのが現在みられるトゥルッロである。屋根には、神話に因むものや、畑作や宗教に因むシンボルが描かれていることもある。アルベロベッロの町ではアイア・ピッコロ地区に1030軒、モンティ地区に590軒のトゥルッリがある。モンティ地区は観光地化して、土産物店などが建ち並ぶ一方、アイア・ピッコロ地区は前者に比べると少しゆったりした形で建物が並んでいた。
トゥルッリには、今も人々が住んでおり、市街地を形成し、住宅、店舗、宿泊施設、飲食店、土産物店、事務所などとして使われている。聖アンソニー教会はトゥルッロ式の建物であり、観光スポットの一つとしても賑わっている。町を歩いてみると、観光地化されているところも多いが、この時期はそれほど多くの観光客は見かけず、静かであった。今も比較的新しい建物も作られていたが、多くはずっと古い時代に造られ、補修が必要な建物も見かけた。近年ではこのような建物の建設に携わる職人も減っていることが難点である、という説明も聞いた。観光を終えて、トゥルッロの一つにあるリストランテで昼食をいただいた。プーリア州で代表的なパスタであるオレキェッテ(小さな耳)は、少々量が少なく物足りなさも感じたが、中々の美味。フェリーの旅では軽い朝食であったこともあって、ここでの昼食は心地よく胃の腑を満たしてくれた。

(以下、次号)

写真&資料 (上から順に、ことわりのないものは筆者撮影) ドブロヴニク~バーリへのフェリー船上にて(2012年9月15日撮影) 同上、フェリーの船尾旗はクロアチア国旗(同上) 南イタリア・プーリア州バーリ港(同上) プーリア州オリーブ畑にはトゥロッロ(単数)がちらほら見える。(同上) アルベルベッロ・アイア・ピッコロ地区にて(同上) トゥロッロの屋根に見るさまざまなシンボルマーク(同上) アルベルベッロのトッルーッリは世界文化遺産(1996年登録。 同上)