2022.08.23 小野 鎭
一期一会 地球旅 229 英国の伝統・文化と田園を巡る旅①

一期一会・地球旅(229) 英国の伝統・文化と田園を巡る旅①

 この9月15日で81歳になる。年に180日つまり1年のほとんど半分を海外添乗していた時期もあった。しかし、かつての旅行好きも現業を退き、添乗を含めてこのところすっかり旅行から縁遠くなってしまった。特にここ3年は、コロナ禍もあってなおのこと旅行やお出かけはもっぱらパソコンや地図の上で世界を駆け巡る、そんな時を過ごしている。60歳くらいまでは添乗はいわゆる観光旅行ではなく、医療や福祉、教育など専門分野の方々の視察や研修、国際会議などが多く、従って同じ顔触れの方も多く、中には20回以上もご参加くださり、1970年代から2000年代まで30年余りたびたびお出かけになった方もある。それらの専門分野では、世界各地で訪問したり、会議などでお会いする専門家も著名な大学であったり、医療施設や大学なども多かった。1999年に止む無く自社は自主閉鎖を余儀なくされた後も小職が別の旅行会社の嘱託として業務に就かせていただくことで引き続き旅行業務をご下命くださった法人団体や組織もあった。旅行へのご参加は1度乃至数回という方であっても毎年年賀状を交換させていただき、中には40年を上回る方もあり、私にとってはまさに貴重な人財である。 一方では、2000年代になってからはこれまでの専門分野に関わる視察なども数年間、担当させていただいたが、次第に減少し、障がい者団体や高校時代の同期会、その後はその中の旅行好きメンバーを主としてヨーロッパ各地を巡る、いわばこだわりのある旅行をお世話させていただいてきた。とりわけ、高校時代の仲間で旅行好きのグループ旅行は多くの場合、同じ顔触れも多く、いわば気の置けない仲間内の旅行であり、中には7~8回、毎年または一年おきくらいで出かける人もある。ヨーロッパは、西欧、北欧、そして中欧、イタリアなどを10~11日間でまわることが多かった。メンバーの中には30回以上もハワイに行っている人があり、筆者よりもはるかに詳しいハワイ好きもいるし、一方では、地中海や北アフリカ、中近東に古代ローマの遺跡後を集中的に巡ってきた人もある。いずれも各地の旅行事情に大変明るい人が多く、いい加減な旅行準備や案内は許されず、仲間内の旅行であっても毎回真剣に臨んできたことは勿論である。加えて、筆者自身2007年頃から世界遺産について学び始めた。世界遺産検定ではマイスターの資格を得、認定講師として専門学校で世界遺産検定受検対策講座を受け持ってきたという経緯もあり、世界遺産となっている名所旧跡などを食わることも多くなっていった。旅行中には、世界遺産について説明を加えることもあった。このように旅行好きであっても多くは70歳に達したことであり、2012年の「パールロードと南イタリアを巡る旅」で一応一つの区切りがついたと思っていた。 ところが、その翌年、年賀状には、今年はどこへ行くの? 旅行計画はあるの?等のメモが添えてあったこともあった。そこで旅行仲間の幹事役であるY氏に相談したところ。自分もそう思う。もう一度くらい行きたいね、とのことであった。前述のハワイに滅法惚れ込んでいるのはこの人物である。彼は、2002年の還暦記念ヨーロッパ旅行を皮切りにそれ以後の旅行にもほとんど毎回参加しており、愛妻家の彼は夫婦そろって旅行好き。
 そこでいろいろ考えて4案を提案してみた。1)欧州の美を訪ねる旅(オランダ・アムステルダム~ベルギー・ブリュッセル~フランス・モンサンミッシェル~パリ)、2)英国の伝統・文化と田園を巡る旅(コースは以下に説明)、3)南欧の旅(バルセロナからコートダジュールへ)、4)南仏の逍遥(コートダジュール~プロヴァンス)の4案を考え、主要な仲間に諮ってみた。その結果、ヨーロッパ各所は廻って来たが、英国を訪れた人は少ないようであった。ロンドンは仕事で訪れたことがあるがそれ以外は行ったことがないという人もあった。そこで、英国を重点的に回ってみることになった。多分、我々の旅行は、この仲間で行くとしても多分、今度こそ最後になるであろう。それを飾るにふさわしい旅行にしようと暗に言い聞かせたような気がする。そこで、北のエディンバラから南下して中部イングランドから南西部を周り、最後はロンドンに到る10日間のプランとした。エディンバラと、ブレナム宮殿、最後のロンドンは専任の日本人ガイドに案内してもらうとして、他はバスツアーであるので車窓からの風景、それ以外の訪問各地はもっぱら自分自身で案内することとした。勿論各地には世界遺産もあり、数か所はこれを含めることとした。 英国について言えば、ロンドンは数十回訪れて市内はほとんどその都度廻っているし、観光以外の様々なテーマについて関係先を訪れていることも多い。スコットランドに限らず、イングランドの医療や教育、協同組合、建築など専門家グループの添乗であり、有名大学や病院、協同組合運動の発祥地、産業革命で栄えてきた地域も幾度も廻っている。途中からは通訳も兼務してきたのでそれなりに勉強もしてきたつもりであり、今もそれは忘れていない。併せて湖水地帯など北部イングランドの景勝地も回っている。それだけにこの国の歴史や文化と社会、この国で産業革命がなぜ起きたのか、19世紀には大英帝国に日の沈むときはないという表現が為されたこと、英語をして世界共通語と言われるほどに世界中で英語が使われるのは何故?などを学んできたつもりである。そこで、この国を北から南まで回ってみるのは今回の旅行の趣旨からいってもきっとふさわしいに違いない、と自画自賛しながら計画を立てて、大方の賛成を得た。とは言いながら、自身がこの国を最後に訪れたのは、2002年頃でありそれから10年余りが過ぎている。今回は歴史と文化、社会、そして景色について訪問各地を案内するためには改めて余程しっかり勉強しなければ、と自らに言い聞かせながら取り組んだ。 この時の旅行案は以下の通りであった。(以下次号)

第2案 英国の伝統・文化と田園を巡る旅

英国を訪れるとき、首都ロンドンだけ見て急いで他の国へ行くのはもったいない。田園地帯も巡って初めてこの国の真髄を感じるのではないだろうか。スコットランドや美しい湖水群、あるいは緩やかにうねる丘陵や美しい村々をご案内した多くの方々から異口同音に歴史と伝統に彩られたこの国の文化と様々な風景を見ることができてよかった、と喜ばれてきました。
今回は、北のアテネとも言われるスコットランドの首都エディンバラから北部イングランドの景勝地である湖水地帯へ。 ロマン派の詩人W.ワーズワースはこの地を限りなく愛したそうである。 ピーターラビットが走り回ったのはこのあたりであったのだろうか? 途中古代ローマ帝国の時代にハドリアヌス皇帝が築かせた北の国境線も通過。
さらに18世紀に始まった産業革命で殷賑を極めてきた中部イングランドの工業地帯を車窓にバーミンガムから文豪シェークスピアの生誕地ストラトフォード・アポン・エイボンを巡ってブロードウェイへ。
緑のベルベットを引いたような美しい牧場には羊や牛の群れ、一帯はコッツウォルズ地方と呼ばれ英国でも代表的な美しい田園風景が広がっていることで知られ、この国を訪れる多くの旅行客を魅了している。
領主の館を意味するマナーハウスに泊まるのも一興ではあるまいか。小さな村々をぬって、W.チャーチルゆかりのブレナム宮殿に立ち寄り、やがて大学都市オックスフォードへ。
午後の散策を楽しんだ後、黄昏のロンドンに到着。ウェストミンスター寺院やハイドパーク、ピカデリーサーカス、さらにはロンドン塔などを訪ね、さらにもう一日フリータイムでは、それぞれに新しいロンドンの顔や風景を訪ねると2012年オリンピックで味わった感動がもう一度甦ってくるかもしれませんね。大英帝国の伝統と文化、そして美しい田園風景をぜひお楽しみいただきたいと願っています。

(資料は、英国政府観光局の案内より)