2022.11.14 小野 鎭
一期一会 地球旅 236 英国の伝統・文化と田園を巡る旅⑧
 
一期一会・地球旅(236)
英国の伝統・文化と田園を巡る旅 ⑧

旅の3日目、10月6日、エディンバラを発ち、湖水地帯のウィンダメアに向かった。
途中、いくつかの興味深いことがあった。

その一つは、Motor Wayまさに自動車専用道路である。日本では通常高速道路と呼んでいるが英国ではそのものずばりであった。そして、概ね無料であったと記憶している。税金で賄われているのだろうか。クルマは左側を走っていることから日本と同じであり、違和感はない。欧州大陸は、ほとんど右側通行であるが、英国は、昔から左側であり、その矜持は、見事というほかない。鉄道と言い、道路と言い、日本の近代化は英国に学んだことが多いのでその流れを汲んでいるのであろう。実は、スウェーデンがかつては左側であったと聞いているが、1967年に右側に変更されたそうである。自分が初めてスウェーデンを訪れたのは1969年であったので現地ガイドから、この国では数年前に車は左から右に変わったと聞いたことを覚えている。自動車の通行帯を右から左、あるいはその反対にするという大変革は国家的な大事業であると理解できる。考えただけでも国家予算並びに民間の費用、国民の理解と負担などとにかく大変なことであり、その準備と実行には周到な計画が求められたことであろう。

今年は、沖縄返還50周年であるが、沖縄の道路交通は、米国管理下にあったことから車は右側通行であった。沖縄の本土復帰から6年後の1978年7月30日に本土と同じように左側に変更されている。昭和53年であり、沖縄での出来事としてテレビや新聞で大きく報道されていたことを覚えているが、この変更日、7月30日を周知させるため「730(ナナサンマル)」というキャンペーンが沖縄県下で行われて子供から大人までこの変更事業についての理解を徹底し、円滑な変革が行われるようにと進められたそうである。

この日は朝から雨が降っていたが、車窓からはスコットランドの丘陵地帯の寒々とした風景が続いていた。そんな中で、Glen xxxという地名がときどき目についた。調べてみるとGlenは特にスコットランドで「谷間」を意味しているとある。
この谷間を流れてくる清らかな水と湿原にあるピート(泥炭)由来の燻製の香りがスコッチ ウィスキー作りに大きく役立っているとのこと。GlenfiddichやGlenmorangieなどのモルトウィスキーのブランド名をよく聞いていた。自分は、アルコールはまるで駄目であるが、かつて洋酒が日本では高額な時代であった1970~80年代、添乗から戻るときはスコッチウィスキーやブランディを2~3本買ってくることと上司から言われていた。業務用の土産として使われていたことを覚えている。今は、洋酒の値段も下がっており、わざわざ買ってくる人は以前ほど多くはないであろう。

エディンバラからウィンダメアに向かう前にこの日の昼食は、イングランド北部の街カーライルで摂ることにしていたがその前にMotorwayを下りて地方道を少し走り世界遺産「ローマ帝国の境界線」に立ち寄った。

紀元2世紀頃、古代ローマ帝国はその版図を殆ど最大にしており、ヨーロッパでの最北端は、イングランドとスコットランドの境界線にほぼ近い地域を西から東へ約120kmにわたって境界を成していた。拡大し続けたローマ帝国の国境を守る防護壁であり、ハドリアヌス皇帝は治世の半分以上の年月をかけて各地の前線基地を視察し、防衛システムの整備・強化に力を注いだ。ブリタニア(現在のイングランド)北部に残る防護壁・通称ハドリアヌスの長城はそんな彼の業績を象徴している。この城壁は、ローマ帝国が滅びたのちまで機能した。17世紀、イングランド女王エリザベス1世はスコットランドに対する防壁としてハドリアヌスの遺産を活用している。

ところがこの城壁を考古学的な見地から調べると、帝国崩壊の兆しがいくつか見られたそうである。いくら立派な城壁があっても人がいなければ何もできない。ハドリアヌスは「ヌメルス」という制度を創設し、農閑期の農民たちを兵士として雇った。しかし、非正規兵を多く取り入れたこの制度は、のちには軍全体の質の低下を招く要因となった。本国から遠く離れた正規兵の軍機は乱れ、大帝国は少しずつ崩壊に向かって行ったのである。(この項:「NHK世界遺産100・ローマ帝国の拡大と滅亡2」を参考にした)

私たちは、カーライルから10㎞位のところWillowford Farmにある長城を見学した。高さ1.5m、幅2mくらいの石の壁が農場のなかを東西に延々と伸びていた。この石壁が今から1800年前に造られ、もしかすると実際にハドリアヌス皇帝がここにも来たかもしれないとおもうと感慨深いものがあった。福岡市在住のY氏に言わせると「福岡市内の海岸付近にも元寇襲来に備えて作られた防塁があるが、それと似たようなもんたい(似たようなものである)」と言っては愛用のカメラを動かしていた姿を思い出す。その後、カーライルで昼食を済ませ、いよいよ湖水地帯(Lake District)へ向かった。

 

写真&資料(上から順に)
 英国のMotorway Highways Magazineより
 右と左が一夜にして逆転 沖縄「ナナサンマル」狂騒曲 琉球新報より
 Glenfiddich Glenfiddich Distilleryより
 ハドリアヌスの長城 History Channelより
 ハドリアヌスの長城 2013年10月6日撮影
 ハドリアヌスの長城 Willowford Farmにて 2013年10月6日撮影