2022.11.28 小野 鎭
一期一会 地球旅 238 英国の伝統・文化と田園を巡る旅⑩
一期一会・地球旅(238)
英国の伝統・文化と田園を巡る旅 ⑩
(Liverpool:リヴァプール)

旅の4日目、10月7日、ウィンダメアから中部イングランドにある古代ローマ時代からの城塞都市チェスターへ向かった。直行すれば、半日で着いてしまうが、この日は、英国有数の港湾都市リヴァプールに立ち寄った。添乗経験で言えば、病院見学で二度、農住都市関係で一度、計3回ほど訪れたと記憶しているが、いずれも視察旅行であり、この町を丁寧に見たことはない。この町は、かつては米国のヴァージニア州や西インド諸島、アジア諸国との貿易により、18世紀に大発展した。特にマンチェスターなど産業革命を経て大きく成長した工業都市群などの後背地があり、港湾都市としてのリヴァプールは大英帝国の発展に大きく寄与した。しかしながら、第2次大戦以降、英国の産業構造の変化に伴い次第に活気を失っていった。それでも近年はサービス産業や観光事業で成長し、文化面でもビートルズがこの町で誕生、一方では、リヴァプールFCやエヴァートンFCというサッカークラブの強豪がこの町を拠点にしていることなどで再び活気を呈してきている。

静かな湖水地方から南下してくるとM6のMotor Wayは次第に交通量が増え、大型のトラック等の姿が目につき、大都市圏に入ってきたことを感じた。リヴァプールに入ると最初にロイヤル・アルバート・ドックという港湾地区に直行した。いまは、リヴァプールの再開発地域を代表する一大レジャーコンプレックスであり、ショップやレストラン、ホテル始め様々な見どころがひしめいている。私たちが訪れたこの時(2013年)は、まだその再開発が少しずつ始められたころであったと思う。マーシーサイド海洋博物館があり、かつて世界有数の港町都市として栄えたリヴァプール港の歴史にスポットを当てた博物館がある。今はかつての奴隷貿易やこの町から新世界へと旅立っていった何百万もの移民、さらにタイタニック号やルシタニア号などの海難事故など興味深い展示が目白押しだという。

リヴァプールが18~19世紀に大きく成長した背景には、水力のほか、中部イングランドの豊富な石炭と鉄鉱石を元にした産業革命でマンチェスターなどの工業都市群が生まれたことがある。一方で、海外領土の獲得と植民地の拡大があり、東インド会社等に代表さ れるアジア諸国やカリブ海諸島、アメリカ東海岸などから綿花や小麦、砂糖、胡椒などの香辛料など原材料が英国に運ばれ、英国で加工された工業製品が欧州大陸、アフリカ、アジア諸国、新大陸などへ輸出されていった。このいわゆる三角貿易でリヴァプールは大発展し、ロイヤル・アルバート・ドック一帯には、各種港湾施設、倉庫群、商社、銀行、保険会社などが軒を並べ、この一帯は殷賑を極めたそうである。18世紀から19世紀にかけて、中部イングランドは大発展した。大英帝国に日の沈むときはないと言われた時代であり、ビクトリア女王時代の頃、日本では、江戸から明治に到る時代であり、我が国からは若者や政治家などがこれを見学、留学して多くを学び、明治日本を大きく成長させたことにもつながっている。

しかしながら、私たちがロイヤル・アルバート・ドックを見学したときは、他には観光客もほとんどおらず、一帯は横浜の赤レンガ倉庫街のような静かな港湾地帯であった。たとえは適当ではないかもしれないが、「つわものたちが夢の後」といった佇まい(たたずまい)であった。その後、中心街にある鉄板焼きの店で、ショーマンシップたっぷりのコックが面白おかしく演じてつくってくれた昼食で楽しいひと時を過ごした。

ロイヤル・ アルバート・ドック一帯は、大英帝国の繁栄を支えた街が「リヴァプール海商都市」として、他の港湾地域や公共施設など全6地区が2004年に世界遺産として登録されていた。しかし、ウォーターフロント開発計画が進行し、港湾施設を含めた街並みの再開発はリヴァプールという街の景観と雰囲気、そして歴史そのものを損ねるとして危惧され、2012年に危機遺産リストに記載され、私たちが訪れた2013年はすでにそれに列せられていた。その後も開発計画は、さまざまな修正が試みられたそうであるが、基本的な事業は進められ残念ながら2021年に世界遺産しての登録が抹消された。これは、世界遺産という歩みの中ではドイツの「レスデン・エルベ渓谷」の抹消に続く3例目である。他にも、開発計画と景観保護というむつかしさは世界各地から報じられている。

メンバーは、昼食後この町のもう一つの見どころとして、住宅街にある「ペニー・レイン」を訪れた。ロンドンのアビー・ロードと同様、ビートルズによって世界的に有名になった通りであり、歌詞に出てくる床屋や銀行、ラウンドアバウト等もある。ペニ―レインには、いまもビートルズ・メモリアルオフィスがあり、通りを見上げると4人が歩いている飾りが付けられていた。
しかし、かつてほどの賑わいはなく、観光客は、この日は我々を除いてそれらしい姿もなかった。また、そこから10分ほど走った瀟洒な住宅街の一角には、ジョン・レノン一家が住んでいたという小さな札が掛けられており、今は、保育所と思しき看板が掛けられていた。
こうして、リヴァプール各所を巡って、この町を発ち、この日の宿泊地であるチェスターに向かった。(以下、次号)

 

写真&資料(上から順に)
 リヴァプールのウォーターフロント:Liverpool Express
 ロイヤル・アルバート・ドック一帯:Visit Britain
 リヴァプールのカニンガム・ドック 1840年頃:The Scarrows of Cumberland
 ロイヤル・アルバート・ドック一帯:2013年10月6日 筆者撮影
 リヴァプール海商都市:ユネスコ 世界遺産
 ペニー・レインに見る飾り:ビートルズ・メモリアルオフィス付近:2013年10月6日 筆者撮影
 グループがペニー・レインに行くと4人組にあやかって写真を撮りたくなる?:2013年10月6日 筆者撮影
 ジョン・レノン一家の住いであったところ(1945~1963):2013年10月6日 筆者撮影