小野先生の一期一会地球旅⑦「オランダ人に見る合理性」

オランダ人に見る合理性 

 小野 鎭

国づくりという観点から世界的にも知られているオランダの干拓事業を挙げてみたい。わが国でも秋田県の八郎潟、長崎県の諫早湾や岡山県の児島湾など干拓事業は知られているが、オランダには、農業関係者や産業青年だけでなく、建築や都市計画、福祉や医療、教育など様々な分野の視察団を干拓地や花市場などへ案内した。

オランダのアムステルダム、スキポール空港へ向かって下降する機の窓から見ていると、どこまでも広がる緑野が目に入る。見事なまでの幾何学模様と濃い緑である。この国の国土の総面積は、九州よりは少しだけ広く、人口は、1600万人強(2010年)だそうである。人口密度は、450人に上り、世界でもっとも人口の超密な国の一つである。ところが、上空から見ると、海岸部から内陸に広がるアムステルダムやロッテルダム、ハーグなどの都市圏の外側には広大で低平な緑野がどこまでも広がっている。そして、幾何学的に伸びる運河とパッチワークのように見事に土地が整備され、ヤナギなどの樹木が街路にあるいは牧場の境などに見事に植えられている。土地の平地割合が殆ど80%以上の国であることを考えると日本よりはるかに土地が効率よく使われていることがよくわかる

オランダの干拓地 よく言われるように、この国は国土の1/4が海面下の低い土地である。なるほど地図を見ると海抜0mよりも低い部分が海岸部やライン川沿い、そして湖沼の周りに広がっていることがわかる。国土の15~18%しか平地のない我が国で人口が1億2千500万人、それも首都圏や関西はじめ大都市圏など超過密な地域と比較するとオランダの広大な風景に、「話には聞いていたが、これほど広いとは!」というおっしゃる方も多かった。

北海に面した低地、ライン川河口一帯やゾイデル海(現在は、アイセル湖)などこの国の歴史は水との戦いでもあったとある。干拓は、古くは13世紀ごろから行われてきたそうであるが、20世紀になって新たに作られた土地(干拓地)だけでも1600㎢以上ある。私たちがよく訪れていた70年代は、フレヴォラント地区が殆ど出来上がっており、訪れる度に農地が広がり、町ができ、工場ができており、その間を忙しく自動車が行きかっていた。国づくりとはとはこういうことを言うのだと思ったものであった。

オランダの干拓地(Polder)づくりは次のような方法が一般的である。

  1. 浅い海や沼沢地などの一定範囲に堤防を作る。 オランダには岩石が少ないので、柳の木(ハコヤナギというそうである)などを柵のように編んで、そのなかに地底からくみ上げた土砂を詰めて次第に固めていく。干拓と風車の役割
  2. 堤防が出来上がって固まってくると中の水を風車などのポンプで外へ出して排水していく。 北海方面からいつも海風が吹いてくるので風車は古来、動力源として重宝されてきたそうである。いまは、風車に代わってモーターが稼働している。
  3. 年月をかけて水が減ってくると少しずつ地底が現れてくるので、乾燥させながらそこに葦(アシ)などの草を植えて、根を張らせ、土地を少しずつ固め、乾燥させていく。 水路はそのままを残して排水や灌漑用水などとして使っていく。
  4. 土地が造成されてくると整地して農地や住宅地など地目を定めて使用する。 土地の使用目的は時代の流れの中で議論を重ねながら決められていく。

ここまで十年以上もかかることがあるとのことで国家百年の大計とはこういうことを言うのだろうと今も思う。その後、アムステルダムの中心部の運河沿いや、ロッテルダム近くのキンデルダイクの風車などが世界遺産として登録されているが、当時はそのような感慨もなく忙しく回っていただけであった。

チューリップ畑 (干拓地) オランダ農業の特色は施設園芸、酪農、畜産が多く、トウモロコシや馬鈴薯、ビート(サトウダイコン)などが多かったように思う。今ではEU構成国家の一つとして、他国との競合もあり、効率的な農業経営を行うことがさらにむつかしくなってきているようであるが、当時もそれぞれの農家の生産性は日本よりもはるかに高かったことに多くの視察団が興味深く感じておられた。

アルスメア 花卉市場アムステルダムの近くにアルスメアという町があり、世界最大規模の花市場があることで知られており、最近は、観光ガイドブックにも紹介されている。一帯はチューリップはじめ花卉の一大産地であり、朝刈り取られた花々が市場に運び込まれる。 直径2メートル近い時計形のセリ機があり、観客席のようなイスに座っているバイヤーが希望の値段のところに時計の針がくると間髪を入れずスイッチを押す。のんびりしていると他のバイヤーに競り落とされるのでうかうかできない。きわめて合理的で公正かつ迅速にセリが進められていく。そして、競り落とされた花々は、空港から、あるいは網の目のような高速道路網を走るトラックで消費地へ送られていく。パリで、ロンドンでそして欧州各地の町々で午後には花屋に並べられ、市民が買い求めていく。この合理性に多くを学び、刺激された人たちが多かった。オランダのチーズなど酪製品は日本にもたくさん輸入されており、あの広大な緑の牧場で草を食んでいた牛たちのミルクがこのような形で東京のスーパーにきているのだと思うとぐっと身近に感じる。

産業青年海外研修団 

この国は、海運国として知られているが航空業界でも世界に知られたKLMオランダ航空がある。今は、エールフランスと経営統合されているがKLM機の青と白のしゃれたデザインは今も世界の空を飛んでいる。昔は、東京・アンカレッジを経由して、明け方アムステルダムのスキポール空港に到着していた。 スキポール Schip-holとは「船」&「穴」という意味だそうで、世界有数のこの大きな空港もかつての干拓地にある。

このオランダ航空の南回り便で帰国したことがある。記録を見ると、71年9月であった。ローマから発って、ギリシャのアテネでKL861便に乗り換えている。お客様は、最初に紹介した産業青年海外研修団(静岡県主催)一行81名、機材はDC-8であったので多分全搭乗客の半分以上を占めていたであろう。当時は日本人または日本語のCA(キャビンアテンダント=スチュワーデスなど乗務員)は搭乗しておらず、機内アナウンスはオランダ語と英語であり、日本語での案内は無かった。機内アナウンスの内容は、安全に関すること、機内サービス、到着地までの所要時間や途中の天候など、定型パターンであるので、必要なところをお客様には、筆者と仲間の添乗員からお客様に説明していた。

この便は、アテネからカイロ~クウェート~カラチ~カルカッタ~バンコク~マニラを経て東京に着くことになっていた。多分、カイロを過ぎてからだと思うが、チーフパーサーが筆者の席に来て、機内は我々のグループだけでなく、ほかにも日本人乗客が多い、しかし、乗務員はだれも日本語ができないので、機内放送を手伝ってほしい、とのことであった。 多くの日本人乗客があり、英語の達者な人もあるだろうから、変なことを言ったら恥ずかしい。失敗したらカッコ悪い・・と躊躇したが、お客様にも背中を押されて意を決し、機内アナウンスのマイクを握った。 多分、下手なところはお許し願いたいとおことわりしてクウェートまでの所要時間や途中の天候などを伝えたと思う。何とか用を為したが手に汗を握っての数分間であった。 ホッとして、席に戻り、眠り込んでいたところ、今度は、間もなく到着するので、また案内してほしい、との依頼があり、今度はすんなり応じて間もなく到着することや安全に関する案内などを伝えた。

それからは、毎回の飛行ごとにこの役を引き受けざるを得なかった。つまり、乗務員は1~2回の区間ごとに交代するが、その都度、次の乗務員にメッセージが残されていたらしい。バンコクからは日本人乗務員が搭乗してきたのでその仕事は不要になり、ほっとして東京へ向かった。アナウンスのマイクを握ることは最初のうちは、少し勇気がいったがそのうち、慣れてきたので、内心ちょっと得意であったことも覚えている。後日、東京のKLMの営業マンからお礼を言われたことも懐かしい。

デルフト焼 花瓶オランダには、随分送客したが、当時、オランダ政府観光局は、たくさんお客様を送った旅行代理店には、その実績に応じて優待クイズのようなものがあった。ある時、筆者は、アムステルダム往復旅行に当選した。ところが、そのころは立て続けにオランダを訪れていたので休暇をとって遊びに行く、などの気持ちにもならなかった。 そして日頃は海外添乗の少ない社員に使ってほしい、とこの特権を会社に提供し、経理担当社員が喜んで出かけた。そのころの記念として、観光局からもらった高さ50㎝もあるデルフト焼の花瓶が今も残っている。我が家には不似合いなほど、大きく立派なものである。

最後に、オランダで一人紹介したい人がある。K氏は今もアムステルダム郊外に住んでいてクリスマスカードを交換している。彼は、当時オランダが誇るダイヤモンド研磨会社の営業マンであったが、日本からの旅行者のガイドや通訳もしておられ、干拓地や花市場見学でいつもお世話になっていた。そして、彼はオランダ人気質について、次のように話していた。

「オランダ人は、合理性に富む一方、とても気の長い人たちです。風車で水をかい出して干拓地を完成するまでに長い年月がかかります。ダイヤモンド研磨も同じで、時間をかけて世界でもトップクラスの品質に仕上げていきます。ちょっと見ただけでは出来ているかどうかわからない、でも時が過ぎてみるといつの間にか出来上がっています。 オランダ人はこのような特質を持っています。 オランダの小学校の教科書には、地球は神様がお作りになった。でも、オランダはオランダ人が作った、という言葉があります。 オランダ人の誇りです。」

そんなK氏も今は引退しておられると思うが、これからもクリスマスカードは交換し続けていきたい。

(2014/06/04)

(資料)

オランダの国土に占める干拓地 (資料借用)

風車の役割(いまは多くは動力源としての役割は終わっている(資料借用)

アルスメア一帯のチューリップ栽培(1970年代)

アルスメアの花卉市場(2000年代 : 資料借用)

産業青年海外研修団(例)

デルフト焼 花瓶