小野先生の一期一会地球旅⑬外国語で苦労したこと (その2 ロンドンとリヨン)

一期一会 地球旅

外国語(英語)で苦労したこと その2 ロンドンとリヨンにて

                    小野 鎭

駆け出しのころ、英語で苦労したことをもうすこし書いてみたい。 数々の失敗や悔しい思い出は山ほどあり、枚挙にいとまがないが今回は二つの思い出に絞ってみた。

にわとりのエサができそうだ!?

71年7月、司厨士関係の団体で欧州へ添乗した。有名料理店のシェフやマネジャー(日比谷公園にある有名レストランの常務も居られた)、料理学校の校長や生徒さんなど20数名。コペンハーゲン、アムステルダム、チューリヒ、ロンドン、フランスはニースやパリなどで有名ホテルやレストランでの厨房を見学、勿論、食べ歩きも楽しまれた。社員からは添乗することについて羨ましがられた。

24059683[1]この添乗で苦い思いをしたのはロンドン。Simpson’s in the Strandを訪れた。ローストビーフで知られたロンドンを代表する老舗レストランの一つである。トラファルガー広場から数分のところに位置している伝統と格式のあるシンプソンを訪れると、黒いキャップのシェフがにこやかに迎えてくださった。普通、シェフは白くて長いトーク(と呼ぶそうである)をかぶったスタイルが一般的であるが、シンプソンでは伝統的に黒い帽子をかぶっているのだ、との説明であった。(別添 参考資料) シェフに案内されて広いキッチンに入っていくとたくさんのコックが忙しく働いていた。牛肉の赤く大きな塊がオーブンで廻っており、空腹をさらに高めるおいしそうなにおいがいっぱいに漂っていた。ガイドが説明するまでもなく、一行はシェフの説明にうなずき、興味深い時間が進んでいった。

thumb_600[2]ひとまわりした後、一行のまとめ役である料理学校の校長からシェフに質問があった。「ローストビーフに付け合わせのヨークシャー・プディングがもう一つの名物だと聞いている、そのおいしい作り方を教えてほしい」とのことであった。シェフの説明があったが、同行のガイドが今日は自分はガイドできているので通訳はできません、とのことで止む無く筆者が通訳せざるを得なかった。「小麦粉と卵、牛乳を一定割合で準備して、ゆっくり溶きながらひっかき回して・・・」などと訳したような気がするが、すっかり上がってしまい、何と表現したかおよそ覚えていない。 料理とは程遠い乱暴な言い方をしたのだろうと思う。冷や汗をかきながらシェフの説明についていくのが精いっぱいであった。多分、当店秘伝の食材と割合で時間をかけて、丁寧に・・・などの説明であったのかもしれないがそんなことを聞きとる余裕などはまるでなかった。団員諸氏は、私が訳するまでもなく、同じプロとしてよく理解されていたと思う。そのうち、件の校長から「小野さん、もういいよ」といわれてその場は終わった。

その後、ゴージャスなダイニングルームでいただいたローストビーフ定食はろくに喉を通らず、味わう余裕もなかった。横に座っておられた校長から、「さっきの訳を聞いていると、ヨークシャー・プディングというよりはニワトリのエサを作っているような感じがした。」といわれてすっかり萎縮してしまった。その後、シンプソンには幾度か行ったが、やはり料理は訳するよりも食するに限る!と思ったものである。

余談であるが、この旅行では有名ホテルやレストランでの食事を楽しむことができたことと、食事が旅行の大きな要素であることを強く学び、それからは食事内容についてもいっそう真剣に取り組むようになった。

リヨン 教育事情視察 1972

水は物質名詞

少し前に、海外教育事情視の添乗でインドのボンベイ(現ムンバイ)での思い出を書いた。その後フランスのリヨンでも学校等の視察があり、数日間を過ごした。ここで苦い思いをしたことについてちらっと述べたが、その時のことを書いてみたい。

リヨン郊外 ヴィエンヌ 古代ローマ時代の劇場

リヨンは古代ローマ時代に起源をもつ古い町で絹の町としても知られている。フランス第3の大きな都市でローヌ川とソーヌ川の合流点に位置しており、美食の町としても知られている。4日間の公式訪問も終わり、打ち上げの夕食会の席であったと思う。日本やアメリカと違って、フランスなど多くの国では食事であっても注文しない限りテーブルには水(お冷)は出してもらえないことが多い。そこで、ウェイター(ギャルソン)に“Water Please for everybody”と頼んだ。

ウェイターから普通の水ですか?それともミネラルウォーターですか?と聞かれたので、わずかばかり学んでいたフランス語で、”De l’eau naturale, s.v.p.”「普通の水をおねがいします」、と伝えた。しばらく待たされたが全員のテーブルにグラスが配られ、カラフ(水差し)に入れた水が配られた。

その後、食事は和気あいあい、楽しい雰囲気で進んでいったが、途中で、渉外担当(通訳担当兼務)の3人の英語教員のお一人から、「小野さん、先ほど、Water please ! と言っていたが、水は物質名詞だから、A glass of waterというべきではないですか?」と指摘された。 一瞬、わが耳を疑ったが、全員が楽しんでいる会食中に、周囲にも聞こえるような大きな声でそんなことを言われるとは!と正直ショックであった。内心、悔しくて「レストランのテーブルで水といえば、バケツで持ってくるはず無いでしょう?」と、よほど反論したかったが我慢した。そして、「そうですね、でも、普通はWater please! で十分意味は通じていますので・・・」と答えてその場は終わった。周りの先生方は苦笑しておられたが、妙に白けた夕食会となってしまった。

添乗業務に於いては、正しくきれいな英語をしゃべるに越したことは無いが、忙しく様々な場面で当意即妙、臨機応変に業務を処理していかなければならない。だから、言いたいことをきちんと伝えて必要な交渉や指示をしていくことが肝要である。正直言って、その後も「物質名詞」を意識しながらしゃべることはほとんどなかった。 それよりも、De l’eau s.v.p.(仏)、Wasser Bitte(独)、 Acqua per favore(伊)、 Agua por favor(西)、 ムル チュセヨ(韓) 給我飲水(中)などをおぼえた。

検査室病院や施設などの視察先ではいくつかの小グループに分かれて見学することもあり、簡単な名称や数字などはドイツ語やフランス語であればこれを受け持つこともあった。また、バスツアーの多いドイツやスイス、イタリアやフランスなどの場合は運転手との会話も多かった。朝夕の挨拶、ありがとう、すみません、お願いします、数などはできるだけその国の言葉で言うように努めてきた。現地語を少しでも解するように努めることでドライバーやレストランのウェイター、ホテルのポーターなどとの親近感も深まった。 大都市の大きなホテルにはいくつかのグループが滞在していることもあり、結果として、他のグループよりもてきぱきと心象よく仕事をしてもらえることも多かった。

英語をうまくしゃべれないことで苦労はしてきたが、それでも76年頃からは否応なしに通訳の真似事をせざるを得なくなってきた。そして、逃げるよりは積極的にこれに向かうようになり、逐語訳で可能な時は、国際会議の分科会や米国やカナダの有名大学では看護や発達障害などに関する特別セミナー等での通訳も行うようになっていった。駆け出しのころの苦い思い出がよほど悔しかったのかもしれない。勿論、その前に事務所では、専門視察の訪問許可や研修受け入れの依頼をするための手紙(T/V Letters)を書かなかなければならない。いつしか依頼文を書くのがまるで気にならないようになっていったし、社には何十団体という組織の便箋(Letter Head)があった。今も、旅行業に携わる一方NHKラジオの語学番組は楽しく聴いている。但し、若い頃は2,3回も聴けば頭に残っていたのに、今は何度聞いても右から左へ消えていく。熱心さが足りないのか、記憶力が退化したのか? 残念であるが、多分、その両方であろう。

英文

(資料)
上から順に
Simpson’s in the Strand (資料借用)
ローストビーフとヨークシャー・プディング(資料借用)
リヨンにて児童センター見学(海外教育事情視察団報告書より 74年2月)
古代ローマ時代の円形劇場(リヨン郊外ヴィエンヌ 86年 医療事情報告書より)
医療施設見学(ドイツ・バンベルク病院 86年6月 同上)
黒いキャップはロースト・ミート芸術におけるマスターの証(あかし 資料借用)

(2014/07/12)