2014.07.22 小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅⑭児童福祉関係視察団に添乗 シチリアで味わった感動

一期一会 地球旅

児童福祉関係視察団に添乗して(1)  シチリアで味わった感動

 小野 鎭

70年代から医療や福祉関係の視察・研修や国際会議出席のお客様などの添乗が多くなり、今日に至るまで多くがこの分野に含まれている。 勤務していた明治航空サービスでは、専門視察の団体のお世話が多かったことはこれまでも幾度か書いてきた。 筆者は最初のころは農協や文教関係でたびたび出かけていたが次第に厚生関係に深くかかわるようになっていった。そして、最初のころはもっぱら児童福祉関係団体のお世話であった。
70年6月に「全国社会福祉協議会(全社協)ならびに国際社会福祉協議会日本国委員会主催[国際児童福祉連合50周年記念会議出席及びヨーロッパ児童福祉視察団]」という主催者名も旅行団名共にとても長い名前の団体に添乗した。背景は、筆者が学生時代に今で言う児童養護施設に勤務していた経験から児童福祉分野についての若干の知識があったこと、東京都や全社協、東社協などもよく訪れていたことなどからお客様にも「受けが良いのではないか」と判断された結果であった。 この会議への日本代表は当時の厚生省児童家庭局長が務められたと思うが、筆者が添乗した団体に加わっての同行ではなく独自に出かけられた。私が添乗した団体のメンバーはオブザーバーとしての会議参加であったが、国連欧州本部や国際機関の訪問、ジュネーブ大学講堂での厳粛なセレモニーなどもあった。 オブザーバーとはいえ、国際会議は初めての経験であり緊張しながらも誇らしい気分であったことを思い出す。一行の中には、都の児童部長始め県や政令都市の児童関係部署幹部、関係団体の役員などがおられた。20日間の旅行中、団員各位には随分親しくしていただいたことが後になってとても幸いな結果につながっていった。 今日的に見ると、旅行期間は随分長いが、欧州への時間的な距離も長かった。往路はいわゆる南回りで、東京(羽田)を発って、マニラ、バンコク、ニューデリー、カラチ、テヘラン、アテネ、ローマと経由してチューリヒ着、ここでスイス航空の国内線に乗り換えてやっとジュネーブに着いたのは翌日の午後であった。延々28時間40分かかっていた。 実は、ジュネーブですぐに会議が始まったのではなく、会議に付随した事前の催しのほかにスイス国内やドイツでの児童福祉関係施設の視察などが含まれていた。そこからローマ乗換シシリー島(今はシチリアと呼んでいるが当時はシシリー島という英語表記の和名がふつうであった)のパレルモへ向かった。これよりも数年前、地中海一帯では最大規模の活火山であるエトナ山の噴火や地震があり、山麓一帯に大きな被害が出ていた。 この島最大の都市であるパレルモ郊外の丘陵地にある小学校が全壊して学童も犠牲になっていたらしい。国際児童福祉連合(IUCW)の援助で小学校が再建されて、その完成記念式が行われた。その式典に我々の団体も参加することが目的であった。 シチリアは地中海の真ん中にあり、古代ギリシャ、古代ローマさらにはビザンチン、アラブなどの支配を受けて複雑な歴史に翻弄されてきたところである。5か所の世界遺産を始め、島中いたるところに史跡や風光明媚な観光地があり、今では日本からの観光客も多い。しかしながら、今から40年以上前、この島を訪れる日本人はほとんどなかったのではあるまいか。マフィアのことを聞いていた我々はちょっと不安な気持ちも抱きながら、一方では興味津々でこの南の島へ向かった。 ローマでアリタリア航空の国内線に乗り換えて1時間余、眼下には夕日に照らされてティレニア海がまぶしく広がっていた。機内では筆者と通路を挟んでイタリア人の夫婦と子供達の一家が前後に座っていた。一番下のまだ赤ん坊が機内の圧迫感に疲れたのか大きな泣き声をあげていた。父親は、周りの乗客にちょっと申し訳なさそうな顔をしながら、妻と一緒に赤ん坊をなだめていたが容易には収まりそうもなかった。それでもパレルモが近づくころになると落ち着いてきた。そこで、シチリアへは観光ですか?と聞いたところ、自分は20数年前に親に連れられてアメリカへ移住し、ニューヨークのピッコロ・イタリア(Little Italy)と呼ばれる下町で働き、そこで結婚して家庭を持ち、シチリアへは初めての帰郷だという。 勿論、子どもたちはアメリカ生まれである。その子どもたちにも自分の生まれ故郷を見せてやりたい、やっと家族で里帰りするだけのお金もできて今回実現した、と誇らしく話してくれた。そして、一刻も早く着いて欲しいとの気持ちがいっぱいにみなぎっているように思えた。
やがてパレルモのプンタ・ライシ空港に着いた。滑走路の向こう側には壁のようにそそり立つ大きな岩山があった。小さなターミナルビルの横には鉄柵があり、その向こう側にたくさんの老若男女が到着客をまっていた。 タラップからあのイタリア人の一家が降りるやいなや一斉に鉄柵の方へ走っていった。向こう側からも待ちきれないように十数名が駆け出してきた。お互いに熱い抱擁を交わし、大きな身振りと大きな声で何十年ぶりかの再会を喜び、祝福しあっているようであった。そして、感動の涙を流しあっていた。感情を表すことでは、わりに控えめな日本人から見るとその光景は何事があったのかと思うほどの感情のほとばしりが感じられた。この一家を迎えに来ていた一族や村の人々であろうか、その歓迎ぶりは圧倒されるほど熱く感じられた。
1972年に「ゴッドファーザー」というマフィアの家族にまつわる映画が公開されたが、イタリア人、特にシチリアの人々の同族意識は一層強いと聞いている。同じシチリアーノ(ナ)ではあっても我々が飛行機で一緒であった一家は、ゴッドファーザーで見た血なまぐさい抗争に明け暮れたマフィアなどではなく、素朴な市井の人々であり、小さな村に住む一族であったのだろう。そこでは、ほのぼのとした温かさを覚えた。 一方では、我々が訪れた70年6月ごろにはあの映画の撮影準備がこの島のあちこちで進んでいたのかもしれない。
ニューヨークのLittle Italy(ピッコロ・イタリア)にはレストラン、カフェ、食料品店、八百屋などたくさんの店舗があり、朝からにぎわっている。大仰な身振りと元気なイタリア語が飛び交っている。お客との掛け合いもあれば、店員同士のやり取りもある。あのにぎやかさは、イタリアの下町で見る風景そのもの。ニューヨークを訪れるたびに観光や食事によく立ち寄って楽しいひと時を過ごすことが多かった。シチリア出身のあの家族もこの町のどこかで頑張っているのだろう、会えるといいな・・・ などと思ったことである。   (資料 上から順に) 「国際児童福祉連合50周年記念会議出席及びヨーロッパ児童福祉視察団」 携行旅程表紙 パレルモ ・ プンタ・ライシ空港(L’Unitaより資料借用) パレルモ ・ プンタ・ライシ空港 ターミナルビル前で待つ人々(資料借用) ニューヨーク・Little Italy (資料借用)   (2014/07/18)

小野 鎭

お詫びと訂正のお願い

「海外教育事情視察団に添乗して その4 ビルマ(ミャンマー)のこと」のおわりに近いところで、オーストラリア英語のことを書き、その中で、Good day mites = グッダイ マイツ”と書きましたが、これはG’day mates = グッダイ マイツ”と書くべきでした。 お詫びして、訂正させていただきます。   (小野 鎭)