2014.09.24 小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅㉓「もう一つの施設職員海外研修団に添乗して」

一期一会地球旅 23

もう一つの施設職員海外研修団に添乗して (その2) 

ハプニング!

昭和49年(74年)の社会福祉関係収容施設海外研修団は多くのことを学ばれて帰国された。とは言いながら、実は大きなハプニングがあった。当時からすでに40年が過ぎているので随行された事務局の方を始めとして多くは引退されていると思われる。しかしながら今も現役の方がおられるかもしれないが、今となってはすでに「時効」となっていると思われるのでこの時のことを書かせていただくことをお許し願いたい。もし、差支えがあるようであれば筆者の責任としてお詫びすることを最初におことわりしておきます。 欧州主要五都市での研修プログラムの合間にローマまで足を伸ばした。ドイツはハイデルベルクでの研修を終えてフランクフルトからローマへ飛んだ。 
一泊して翌日、市内の主な観光スポット数か所を回って昼食後にサンピエトロ大聖堂を見学。最後にバチカン市国の背後にあるジャニコロの丘に上がり永遠の都ローマを眺めてそこから空港へ向かうことになっている。 人数を点検して、バスは空港へ向かうべく丘を下る街路を走り出す。 間もなくして、ある班から男性団員一人が足りないと声が上がった。急停車して全体の人数を改めて数えてみた。やはり、一人足りない。目の前が真っ暗になる思いであった。 通常は、添乗員が人数の確認をすることが鉄則である。それもお一人ずつの顔を見ながら最初はバスの前方から数えて後部に至り、今度は逆に戻りながら再度確認する。ところが、この研修団は自治体主催で事務局(都の随行職員)では班編成に従って班ごとの人数確認、各種連絡通達、レポートを作成することなどが当初から決められていた。この時も各班から人数点検報告があり、それによって出発したのであった。件の班では、班員がバスの前方と後方に分かれて座っておられたため、数え方が杜撰であったのかもしれない。悔やまれたのは、添乗員もこの団の決まりということでそれを敢えて点検するということは班員を信用していないと思われて事務局や班長などのご機嫌を損なうのではないかという弱気な一面もあった。当時としては、事務局のご威光を意識せざるを得なかった。 とにかく、ジャニコロの丘まで戻ってみたが勿論それらしい人はいなかった。航空便出発時間との兼ね合いもあり、それ以上遅くなることは許されない時間であった。それでも、その前のサンピエトロ大聖堂の駐車場も回ってもらい、念のため確認してみたがここでも発見されず、止む無く空港へ向かうことにした。 今であれば、多分携帯電話で確認するということも出来たかもしれないが当時はそんな便利なものはない。その班によると、多分、ジャニコロまでは居たはずだとのことであったが今となっては探す手段もない。神頼みではあるが、件の団員氏が自分で空港にタクシーで向かわれたであろうことを団員全体でひたすら願いつつ運転手は空港への高速道路を飛ばしてくれた。そして、みんなで祈った。「彼が空港に居ますように!」と。
ローマの国際空港はレオナルド・ダ・ヴィンチ空港。ターミナルビルに至る道路わきにレオナルド(日本では、ダ・ヴィンチと呼んでいるが、イタリアではレオナルドが一般的)が自ら考案したプロペラの原型を持った大きな像がある。そのプロペラの原型のデザインが全日空のロゴマークのアイディアとなっているらしい、などと説明するのだが、この時ばかりはそんな余裕はなかった。そして、ターミナルビルの入り口に着いた。バスの窓から全員が目を皿のようにして団員の姿を求めたことは言うまでもない。 そして、大歓声が上がった。「居たっ!」 彼も、両手を上げて泣きそうな笑顔であった。 バスから降りて、「すみません、置き去りにして」とお詫びして、それ以上の詳しい経過を聞く余裕もなく人数と荷物を今度は自ら確認してチェックインカウンターに急いだ。 アリタリア航空のカウンターでは、パリに向かう40人もの団体がまだチェックインしておらず、心配していた。急ぎ手続きを済ませて団員に搭乗券を配り、出国手続きへと進み、全員が搭乗ゲートへひた走った。そして、パリへ向かうことができた。 この時の大きな反省は、たとえどんな団構成であろうともお客様の人数確認と荷物の個数チェックは添乗業務の鉄則であるということであった。 旅行業約款で言えば、「旅程管理」の条文に照らし合わせるまでもあるまい。その後は、事務局(都の随行職員)に人数確認は添乗員の最重要な責務の一つであることを改めて説明して班ごとの点検とは別に団全体の人数再確認をさせていただくことにした。
出発便を待つ間に人数漏れとなった経過を再確認したところ、団から遅れたのは最終地ジャニコロの丘ではなく、その一つ前のサンピエトロ大聖堂であったとのこと。集合時間に遅れて、バスが見つからなかったため、置いていかれたらしいと気づいた。 今となってはどうしようもなく、意を決してタクシーに乗り、空港に先着して待っていたとの話であった。 ジャニコロの丘までは居た、というそのグループの班員の確認は為されていなかったと思われる。集団責任体制は時として機能せず、馴れ合いの無責任な動きに陥ることもあるということかもしれない。もし、あの時、空港でお客様に会えなかったらどうなったのだろう? 二度と思い出したくない失態であった。 後日譚であるが、帰国した後の反省会や報告書にもこのことはなにも触れられていなかった。 (資料 上から順に) ジャニコロの丘 (資料借用  市内を展望できるこの丘を昔は市内見学でも訪れた。) ローマ国際空港のターミナル入口にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの像、(資料借用) サンピエトロ大聖堂と広場 (小野撮影) (2014/09/22) 小野 鎭