小野先生の一期一会地球旅㉕「もう一つの施設職員海外研修団に添乗して」

一期一会 地球旅 25

もう一つの施設職員海外研修団に添乗して (その4) 

うれしいハプニング! ベント・ニルエ博士との再会

東京都の研修団はそれ以後もたびたび頂戴したが、特に印象深いのが昭和57年度(82年)である。すでにこの研修派遣事業が始まって10年が過ぎ、当初よりは団員数も半数近くに縮小されていた。また民生局から福祉局へと局の呼称もかわっていた。しかしながら、団編成はやはり5班であり、各班の人数は当然のことながら5名が3班、2班は10~11名くらいの構成であった。そのころになると多くの施設内ですでに海外研修に参加された人たちが多くなり、いろいろな研修会などでも懐かしい顔が見られたり、毎年の研修団では先輩たちの話を参考に一層内容が充実し、さらに求められる条件も少しずつ細かくなったりしていた。 一方では、わが社や筆者の名前も少しずつ知られて参加者は毎回初めての顔ぶれであるが最初から一層親しみを覚えるようになっていった。

82 TMG  Group D and Eこの年も、研修地は、ストックホルム、ローマ、パリ、ロンドンであった。ほかに、週末のジュネーブがあった。手元に報告書があり、研修報告は各国またはその地域の福祉サービス概要が紹介されており、訪問研修した施設やサービスについてそれぞれに詳述されている。5グループが各都市で1~2日ずつの研修があり、その数は40か所以上になる。この時は、後輩のS君と2名で添乗しているが、精神薄弱児(者)、特別養護老人、救護・身体障害者、肢体不自由児、重症心身障害児関係各施設(いずれも当時の表現)からなる班編成であった。そこで、筆者も研修地毎に偏りが無いように各グループに付くようにしたが、交通機関の利用や研修内容などにより全体としては、大人数のグループに付くことが多かった。その中で、うれしいハプニングがあったのでそれを先ず紹介したい。

ストックホルムでは、精神薄弱児(者)グループに付いた。この時の研修は、実際にはストックホルム市内ではなく約70㎞離れたウプサラにあるリッコンベリエ児童ホーム(重度障害児居住ホーム&施設内学校)を訪れた。ウプサラ・コミューン(地方自治体)立の施設であり、重複障害児の身体的機能訓練や感覚訓練と特別教育(今日でいえば、特別支援教育)が行われていた。施設には、22人の児童がおり、27人の介護職員、他に管理者、看護師、PT,アシスタント、清掃や夜勤スタッフ等がいた。また、学校には、教師3名、アシスタント2名が配置されており、驚くほど密度の濃いサービスが行われていた。50年代末ごろから言われ出したノーマライゼーションの考え方は広く北欧からすでに欧米に広まっていて、日本の福祉関係者も、北欧、特にスウェーデンやデンマークの福祉を実際に見ることが当時としてはとても熱望されていた。近年、わが国では、多くの福祉サービスが各地方自治体の実情に合わせて、地方に移管される方向に変わりつつある。スウェーデンでは、1982年に大きな法改正が行われて、国は全体的な方向を決め、実際には県や市町村(コミューン)がその地域にある課題に対応しやすいようにサービスを行うこととなっていた。

リッコンベリエ施設を見学した後、素晴らしい方のお話を拝聴することができた。以前にもチラッと述べたがベント・ニルエ博士本人であった。氏は、国連の難民支援部署等でも活躍しておられたが、この時期は母国のウプサラ県で障害者福祉を所管する部署の責任者として活躍しておられたらしい。全くの偶然であった。 実は、この年8月にもカナダのトロントで行われたIASSMD国際会議でも氏にはお会いしていた。氏は、その夏、一度お会いしたことを覚えていてくださっていて、あの時はありがとう、といった意味合いのことを個人的にも言ってくださったことを思い出す。 このことについては、別の機会に改めてか書かなければならない。

ニルエ氏は社会学者で精神薄弱児・者(当時の呼称)のノーマライゼーション理論の提唱者で世界的に著名な方であった。氏の主張は、障害者にも、普通の人間と同じようにノーマルなリズムが保障されるべきである。ノーマルな一日のリズム、一週間、一年間、そして一生のリズム、ノーマルな生活環境、経済の状態、学校、仕事が大切である。どんな人たちも一人の人間として尊重されるべき権利があり、その人間性そのものの尊厳が重要である、ということであった。今日では、至極当たり前の考え方であるが、19世紀末から20世紀前半にかけて始まった欧米の特に知的障害や精神障害のある人たちへの処遇は、20世紀の中ごろまで障害の原因や精神遅滞などについての理解不足もあって、はなはだ不十分な、あるいは きわめて不遇なあつかいが為されていたといわれている。これに対して、50年代末ごろからバンク・ミケルセンはじめベント・ニルエなどがノーマライゼーションという考え方を唱えて、障害者に対する処遇の在り方を根本的に改めさせる大きな潮流がうねり始め、欧米各国に広まっていった。Dr.Bengt Nirje at Uppsala  1982
ニルエ氏から直接お聞きしたノーマライゼーション理念の意味するところ、実際にそれがスウェーデンで、北欧で、欧米各国に広まってきている様子について、研修団員は大きな感銘を受けたらしい。11月16日のスウェーデンは東京で言えば厳冬期に近い寒さであるが、ウプサラ城をバックにした丘の上でニルエ氏のほとばしるような熱い思いを感じた。それは団員にも伝わってきていたであろうことがその時の報告書からうかがえるし、多くのページが割かれていることも印象深い。筆者にしてみれば、ニルエ博士と1年間に二度もお会いできるなど、考えもしなかった嬉しいハプニングであり、光栄であった。 その後も、いろいろな書物やテキストなどで氏のお名前を見るにつけ誇らしい思いがする。今回、ニルエ博士について書くにあたり、ホームページを開いてみたところ、2006年に81歳で生涯を終えられたとあった。

9d-Gunnar-_-M-kenn[1]また、余談であるが、発達障害の歴史にみるリーダーシップというコラムの中にGunnar Dybwad博士の名前も目にする。以前にカナダのNew Westminsterの施設についてDybwad博士がこの施設における処遇の在り方を世に問われたことを書いた。実は、いずれ改めて書く予定のIASSMDの会議で筆者は氏にお会いしている。考えてみると、錚々たる方々にお会いしてきた筆者は果報者である。

 

(資料 上から順に)

肢体不自由児施設と重症心身障害児施設関係グループにもよくお供した。

Dr. Bengt Nirje   ウプサラ城公園にて

Dr. Gunnar Dybwad (資料借用)

(2014/09/29)        小野 鎭