2014.10.22 小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅㉗「コート・ダ・ジュール(紺碧の海岸)にて」

一期一会 地球旅 27

コート・ダ・ジュール(紺碧の海岸)にて

地球旅では、数十年間の添乗経験にまつわる様々な思い出などを書き連ねているが、今回は閑話休題ということで近況を書いてみたい。 つい先ごろ、フランスに行ってきた。久しぶりの訪仏であったが、今回は純然たる私的な旅行であった。これまでに230回余りの海外旅行をしているが恥ずかしながら私的な旅行はわずか2回しかない。そのうちの1回である。1964年に旅行会社に就職してから、50年が過ぎたが、今日まで一貫して旅行業にかかわってきた。そこで、この半世紀を記念して親しい方々に呼びかけてフランス旅行を計画、ご案内したいとして準備をしてきたが諸般の事情でやむなく延期せざるを得ず、自らの旅行として決めたものであった。10月2日に発ち、前半では、コート・ダ・ジュールの美しい風景、プロヴァンスやカルカッソンヌに2000年の歴史をさかのぼる数々の世界遺産などを巡り、最後にパリに4泊滞在してパリの風物を楽しんできた。 最初に訪れたのはニース、ここでは2つの思い出がよみがえってきた。 一つは、ニースというよりはモナコである。
1967年に初めて欧州への添乗を経験したがこのときは、145人という大人数で英国から欧州各国を貸切バス3台で駆け抜け、イタリアのジェノアから海岸沿いにフランスに入り、夕方ニースに着いた。翌日、午前中市内観光、午後は急峻な崖っぷちに作られた道路から美しい地中海を眺めながらモナコ公国に至り、短い時間であったが観光を楽しんだ。ハリウッドの有名女優グレース・ケリーがモナコ大公に見染められて王妃となって世界的な話題となったが、それから数年経った頃であった。王宮前のテラスから見下ろすフォントヴィエイユの港には豪華なヨットがいっぱい繋がれており、47年前、はたしてどんな気持ちでこの風景を見たのかは思い出さない。とは言え、こんな世界もあるのだと、学生時代にみた映画のシーンにある風景が実際に目の前に広がっていたことに感動したことだけは今も覚えている。もう一つの名所カジノの前には中国人旅行者が溢れていて思い思いのポーズで写真を撮っている今日的な風景がひときわ印象的であった。いまや中国からの旅行者を見ない名所旧跡を探すことは難しいのかもしれない。
さて、ニースであるが天使の湾(Baie de Anges)岸辺は小石の海岸であり、日本の砂浜とは趣を異にしているが波は静かで秋の日が明るく水面に明るく映えていた。その岸辺に沿って英国人の散歩道(Promnade de Anglais)とよばれる広い遊歩道があり、朝早くからおる遅くまで散歩する観光客やジョギングを楽しんだりサイクリングなど人の動きが絶えない。夜は光の帯がどこまでも続いていた。
この通りに面してニースを代表する豪華ホテルネグレスコはじめ瀟洒なホテルやレストラン、カジノなどが並んでいる。今回は、ちょっとだけ頑張ってその中のひとつ1840年に建てられたという古いホテルに泊まり、少しだけ優雅な気分を味わった。そのホテルから少し進んだところで中心街に向かう通りとの角にメリディアンホテルがある。モダンな建物であり、ホテルの前は通りを挟んでアルベール1世公園になっている。 実は、ニースという名前を口にするときいつもまず最初に苦い記憶がよみがえってくる。17年前の1997年6月あるグループをご案内してパリを皮切りに陶磁器で有名なリモージュ、さらにはリヨンを経てここニースに至りこのメリディアンホテルに泊まった。一夜明けて、午前中にモナコの観光、午後は自由行動、そして夕食会を楽しんだ後、翌日帰国することになっていた。その日、午前9時の出発へ向けて一行は三々五々バスに乗車いただいていた。このグループには数名の車いす使用の方がおられ、伝い歩きできる方は手を引いたりして乗車いただいたが、内3名は介助が必要であり、筆者はそのうちのお一人をホテルの玄関から負ぶってバスに乗車して座席に誘導することにした。
この時、旅券、旅行者小切手、現金、カメラなどの貴重品を入れたリュックサックを背中から降ろして、バスの運転台のダッシュボードの上に置き、玄関先まで戻った。すでにバスには数名の方が乗っておられ、運転手はバスの前でタバコを吸っていたと思う。その間、多分2分足らずであったかもしれないが、お客様を背負ってバスの階段を上ってステップを上って座席へ進もうとしたところ先ほど置いたリュックサックが消えていた。変だなと思い、お客様を座席におろし、すでに乗り込んでおられたお客様のどなたかがあずかってくださっているのだろうと思い、聞いてみたがどなたも預かってはおられなかった。 後から考えてみると、生憎バスの乗車口は、ホテルの玄関から車道側、つまり反対側になっており、その向こうは車道を越えて公園になっている。つまり、何者かが、ほんのわずかの時間にステップに足を掛けて手を伸ばしてリュックサックを盗んだのであろう。誰を責めることも出来ない。全くの不注意であった。自分さえ、お客様にはくれぐれも荷物の管理にはお気をつけください、油断も隙もありませんから、といいながらの不始末であった。盗まれたとわかったときには一瞬背中に冷水を浴びせられたような気持といおうか、一方で前身の血が逆流する思いであった。 普段、2泊以上滞在するときは航空券、旅券や旅行者小切手など貴重品はホテルのセーフティボックスに預けることにしているが、この日は前述したようにモナコに行き、カジノも入場見物することを予定しておりこの場合は旅券が必要であった。また、最後の晩餐を楽しむための食事代としてかなりの金額も準備していた。クレジットカードも含まれており、結論から言えば、最悪の状態であった。 急ぎ、グループの代表者に事情を説明した。 事態はもちろん筆者の不注意によるものであるが、お客さまを背負うためにリュックサックを下ろさざるを得なかった理由などを含めて理解してくださり、これからとらなければならない善後策を採ることについての了承を得た。その上でガイドに午前中の観光案内と昼食や午後の自由行動中のヒントを皆様に提供してほしいと頼み、その上でお客様におことわりして必要な手続きをとることにした。 必要な手続きは、次のようなことであった。 ①社に緊急連絡をして事情を説明すること、②旅券(この場合は、帰国のための渡航書)再発行を受けること、③旅行者小切手の再発行願い、④クレジットカードの取消、⑤物品被害はカメラその他であるが保険会社にも連絡する必要がある等々。明日は、フランクフルト経由で帰国することになっており、しかも本日の夕食会(夕方5時出発)までにすべての作業を終えなければならない。ここで不幸であったのは、ニースには日本の在外公館が置かれておらず、総領事館は230㎞離れたマルセーユにあることだった。 お客様を見送り、それからはひたすら動き回った。ホテルの部屋に戻って社へ電話連絡をした後、マルセーユの日本総領事館に電話して事情を説明した。次いで、預けてあったセーフティボックスから残りのお金などを出して、ホテルから数分のところにあるアメックス(American Express)の事務所に行って旅行者小切手の再発行を申請し、一方でクレジットカードの取消、すぐ近くの写真店で間に合わせの写真を撮った。 その後、タクシーで駅近くの警察(旅行者をめぐるトラブルについては市の特別部署があった)に行き、事情を説明して被害届を出して証明書を発行してもらった。 そして、SNCF(フランス国鉄)のニース市駅へ行った。案内書で聞いてみると次のマルセーユ行まで1時間近く待たなければならず、しかも3時間近くかかることがわかった。 時間は10時を回っており、どう考えても夕方までに往復することは先ず不可能に近い。そこで、朝から動き回っていたタクシーの運ちゃんがまだ駅前に停まっていたので訳を話し、夕方まで借切ることを交渉した。筆者のわずかばかりの片言フランス語とドライバーの片言英語で朝から飛び回っている理由を彼はおぼろげながら理解していたので、心よく承知してくれた。マルセーユまで片道2時間強らしい。どうやら高速道路を相当飛ばすつもりらしかった。とにかく任せるしかない。
こうして、先ほどの英国人の散歩道を走って高速道路(Auto-Route)に入り、ひた走った。当時、ピーター・メイルのエッセイ「南仏プロヴァンスの12か月」続いて「南仏プロヴァンスの木陰から」がベストセラーとなっており、特に日本からはロヴァンスを訪ねる女性の旅行者が多かった。ブドウ畑や、オリーブの木、小高い丘の連なりや鷲の巣村とよばれる小高い丘の上の小さな集落などとどこまで青い空と紺碧の地中海は憧れの旅行先でもあった。ところが、筆者にとってのマルセーユまで疾走するタクシーから見える風景は灰色のプロヴァンス以外の何物でもなかった。 昼過ぎに在マルセーユ日本総領事館に到着するとあらかじめ電話で事情を説明していたので書記官
はてきぱきと作業をしてくださり、15分足らずで「帰国のための渡航書」を発行してくださった。この時ばかりは、思わず書記官に深々と頭を下げて心からのお礼を述べたことを覚えている。表で待っていたタクシーのドライバー氏に書類を見せると、「トレビアン!」と喜んでくれた。そして、途中の屋台でイカだか何かのフライとフランスパンの昼食を摂り、今度はきた文字通りプロヴァンスの青い空を眺めながらニースへの帰途をひた走った。そして、多分4時頃であろうかホテルに着いた。多分、運賃は、4,000数百フラン(邦貨で約9万円)位であったかと思う。運ちゃんには心から「Merci Beau Coup!」を幾度も繰り返した。勿論かなりのチップをはずんだことは言うまでもない。   部屋に戻ってグループの代表に先ず報告してご迷惑とご心配をかけたことをお詫びした。
代表はとても喜んでくださり、団員各氏から集められたかなりの金額のカンパを提供してくださった。 旅行者小切手の再発行はしてもらったものの今夕の夕食会に備えてかなりの金額をすでに現金化していたため、それは当然戻ってこないし、タクシー代もかかっており、この時のお心づかいは申し訳ないと思いつつもほんとに地獄で仏の思いであった。 その夜、かねて予約してあったサンジャン・キャプ・フェラにある「Grand Hotel du Cap Ferrat」のラ・ヴェランダ・レストランで味わった夕食と暮れなずむ地中海に照り映える夕日の美しさはまた格別であった。